夕食の時間になり、僕はハインツの部屋に戻った。部屋に入るとすでに夕食が用意されていて、ハインツは座っていた。仕事の資料なのか紙の束に目を通している。仕事をしているハインツの姿は年が一つ上とは思えないほど大人びていた。真剣に資料を読んでいる。
僕が部屋に帰ってきたと分かると、先ほどまで誰も寄せ付けないと言わんばかりだった表情はたちまち笑顔になった。顔の周りに花が咲いているようにほわほわとした雰囲気を纏う。「お帰り!トモル」と言う声も本当に僕が来るのを楽しみにしていたかのように聞こえる。これも全部、僕がハインツのことを好きだから起こる錯覚なのか、僕には分からなかった。
「今日のデザートはプディングだって。トモルはプディング好き?」
そう言って僕の手を取る。
「…好きだよ。ハインツは?」
「私も…好きだ。」
二人の間に少し、変な間が出来る。主語を言わないだけで違う意味に聞こえてしまう。自分で言っておきながら恥ずかしくなる。僕はこの空気から逃げるために「プリンっておいしいよね!」と声を張った。急に声を上げた僕にハインツは少し驚いていた。
「そ、そうか!それはよかった。」
「う、うん。早く食べよう。」
そう言って僕はテーブルの方へ歩いた。ハインツもそれに続いた。
席に座ると豪華な食事が今日も用意されていた。僕はいつ昼間のことを謝るかのタイミング考えていた。そのせいでいつもより会話が上手く出来ないことで少し気まずさが広がっていた。ステファンと話した時を思い出す。あの時、僕は頑張るとステファンに宣言した。ここで自分から話し出さないといつまでも変われない。僕は勇気を出して、ハインツに話しかけた。
「ハインツ…昼間のことなんだけど…その、ごめん!」
ハインツは僕が謝ったことに驚いていた。僕が謝った意味が分からないようだった。
「昼間、目が合ったのに無視しちゃったから…」
「…あぁ!それを謝っていたの!?」
ハインツは予想外のことだったのか、声が少し大きくなった。それからすぐに「そんなの気にしていない」と言った。
「ずっと罪悪感があって…僕なんかがハインツを無視するなんて…」
「トモル。」
ハインツが僕の名前を呼んだので、顔を上げるとハインツは真面目な顔をしていた。いつもの柔らかい笑顔ではなかった。
「『僕なんか』なんて言わないで。トモルは大事な存在なんだよ。トモルが思っているよりずっとね。」
「…そう、なの?」
「あぁ、当たり前だろう。」
“大事な存在”それは友達としてなのか、別の意味があるのかを僕は聞くことは出来なかった。だけど、ハインツの言葉自体が嘘ではないと信じたい。ハインツの瞳は真っ直ぐに僕を見ている。綺麗な金色。まるで太陽が目の前に座っているようだった。人々の上に立つために生まれてきたことを疑えない、その瞳に見つめられている。そんな彼に大事だと言われただけで満足しないといけないのに、彼の一番特別でありたいという欲が出てきてしまう。ステファンの言う通り、この気持ちを止めることは出来ないらしい。
「ハインツ、ありがとう。」
「昼間のことは本当に気にしないでくれ。…それと私も謝りたいことがあってだな…」
「え、ハインツも?」
ハインツは少し恥ずかしそうにしながら、頬をポリポリと人差し指で掻いた。口をもごもごさせて、何を言っているのか上手く聞き取れない。僕が聞き返すとハインツは下を向いた。
「昨晩は変なことを口走ってしまって申し訳ない…」
「…変なこと?」
「一緒に寝たいと…」
「…あぁ!…あはは!」
そんなことを謝るとは思わず、僕は思わず笑ってしまった。笑っている僕を見てハインツは眉間に皺を寄せて、口をへの字に曲げてむくれている。先ほどまでの王様の姿から一変して少年のように拗ねるハインツにもう一度笑ってしまった。ハインツが「笑いすぎだ!」と怒っている。
「あはは、ごめんね。ハインツがそんなことを気にしていると思わなくて面白くて。」
「私にとってはそんなことじゃない。トモルに嫌われたら心臓が止まる。」
「あはは。」
「冗談じゃないよ?」
僕が笑っているとハインツもつられて笑った。もう気まずさはどこかに行ってしまったようだ。
「僕も気にしていなかったよ。」
「ならよかった。」
僕は一人で勝手に気まずくなっていたことが馬鹿馬鹿しくなった。
「最近、アルバが柔らかくなったと思いませんか?」
そう話しているステファンの顔もいつもに比べて柔らかかった。僕とステファンは再び、図書館で資料探しをするために廊下を歩いていた。ふと窓の外を見るとヒカルとアルバが庭園を散策していた。
ステファンが言うにはヒカルは毎朝アルバを連れて庭園に出向いているらしい。それを不満に思っていたアルバも最近は大人しくヒカルに付き合っていると聞いて安心した。
ヒカルは順調にアルバルートを進んでいるらしい。僕とヒカルが話しているところを盗み聞きしてから、アルバのヒカルに対する態度は変わる。もう少しで次のイベントが来る頃には二人の関係は急発展していることだろう。僕がそんなことを考えているとステファンが僕の顔を覗いた。
「なんだか楽しそうですね。」
「え、そう見えましたか?」
僕は咄嗟に頬を触る。最近、ハインツと話すことが楽しくて表情筋が緩んでいたのかもしれない。
「ス、ステファンこそ嬉しそうですよ。」
「嬉しいです。アルバが誰かに心を開くことは珍しいので。」
「なんだかアルバの親みたいですね。」
僕の言葉にステファンは目を見開いた。
「そんな風に見えますか?」
「ちょっとだけ…?」
ステファンはなにか考えるように窓の外のアルバを見つめて黙り込んだ。
「少し、私の話をしてもいいですか?」
ステファンは窓の外を眺めたまま、僕に話しをする許可を求めた。もちろん僕はそれを承諾した。
「私はこの国の子どもたちが健やかに育ってほしいと思っているんです。なので研究と並行して慈善活動を行ってきました。孤児院に寄付金を集め、時には劣悪な環境な孤児院を潰してきました。アルバとはそこで出会いました。魔力を持っている彼は孤児院の院長にオークション商品として売られるところでした。それを私が引き取り、彼は私の弟子になったんです。」
「そうだったんですか。」
正直、ゲームのストーリーを把握している僕にとっては知っている情報だがここは話を合わせておく。この話はステファンルートを選択した際にされる話で、そのシーンも今の状況と同じで窓の外にいるアルバを見つけたときに出される会話だ。そんなことを思い出しながらステファンの話に相槌を打つ。
「アルバは私のことを今でこそ慕ってくれてはいますが、心を開いてくれるまで本当に大変で。」
ステファンはどこか遠い目をしていた。ステファンにこんな目をさせるなんて、アルバはどれほどのことをしたのだろうか。確かに野良猫に心を開かせることはすごく時間がかかると聞くし、そんな感じだったんだろう。
「周りからも猛獣使いみたいなことも言われていたので、親みたいだと言われたのは初めてで…」
「確かに、アルバはステファン以外には当たり強いですよね。」
ステファンはため息を一回ついて、窓の縁に手をかける。太陽光がステファンの顔を照らしている。
「アルバが誰かに心を開いてくれていることは嬉しいのですが…ヒカルさんに少し妬いてしまいます。」
僕は驚いた。ステファンに嫉妬をするという心があったのかと。ゲームのストーリーでもいつも余裕があるように見えていたステファンに人間味が出てきた。ステファンの新しい一面を見れたことが嬉しい。
「ステファンも嫉妬することがあるんですね。」
「ありますよ。ほんの少しだけですけどね。」
そう言うステファンの目はやっぱり優しかった。