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第7話

 コンコンと扉がノックされた。メイドが食事を持ってきたかと思ったが、扉を開けたのはハインツだった。走って来たのか息が切れている。


「トモル…!」

「ハインツ!そんなに急いでどうしたの?」


 ハインツは呼吸を整えてから話し出した。どうやら、お昼を僕と食べるために待っていたが、一向に僕が部屋に帰る気配がなく研究棟に行こうとした時に伝言を聞き、走ってきたらしい。一緒に食べようと約束している訳ではない。ただ、一人で食事は寂しいだろうとハインツがいつも一緒にいてくれていた。でも、今日はもうお昼を食べるのも遅くなったから先に食べているものだと思っていた。申し訳ない気持ちが出てくるのと同時に僕のために待っていてくれたと思うと嬉しかった。ハインツが僕のところへ来るので、僕も立ち上がってハインツの傍まで歩く。


「ごめん、先に食べてると思った…」

「私が勝手に待ってたんだ。トモルが謝ることは何もないよ。」

「…ううん。僕、ハインツが僕を待っていてくれたと思うと嬉しくなっちゃったんだ。…だからごめん。」


 自分で言っておきながら恥ずかしくなってしまった。顔が少し熱い、こういう時に手は握っていていいのか、開いていていいのか、どの位置に置くべきか分からない。ハインツも何も言ってくれない。今、ハインツがどんな顔をしているのかも見れない。

 今の空気に耐えきれなくなって、もう一度ソファに戻ろうとするとハインツに手を掴まれた。


「ハインツ?」

「私が待っていて嬉しかった?」

「え?う、うん。嬉しかったよ。」

「嬉しい?」

「う、嬉しかったって言ってるじゃん!」


 ハインツは僕に何回も嬉しかったか聞いた。そのたびに僕が嬉しかったと答えることにハインツは笑っていた。その笑顔は、ハインツの金髪よりも輝いていた。何回も同じことを繰り返されてしつこいと思うのに、ハインツの笑顔をそれも見ると忘れてしまう。


「楽しそうなところ申し訳ないのですが、食事が届きましたよ。ハインツ殿下のものも用意しました。」


 いつの間にか、隣にステファンが立っていて驚いた。ヒカルはすでに食べ物を口に運んでいて、アルバはティーカップに紅茶を注いでいる。ハインツが僕の手を取り、椅子に座らせた。やっとありついた食事はとても美味しかった。恥ずかしさで味を感じないかと思ったが、しっかりと味に感動出来た。

 食べている間、ステファンは今後のことについてハインツと話していた。ステファンが図書館に文献を探しに行くと言うので、僕も手伝うと手を上げるとハインツは自分もすると言い出した。ハインツの言葉にステファンは「忙しいでしょう」の一言で黙らせていた。それで引き下がる訳もなく、調査が進み次第報告をするように言ってきた。ステファンはもちろんと承諾した。

 僕たちの会話をアルバは聞き耳を立てていて、ステファンのことを気にしているようだった。アルバがステファンを“先生”と呼び、慕うのには理由がある。アルバは元々、孤児院で暮らしていた。魔力があると分かってから院長に隣国に売られたところをステファンが保護したのだ。アルバを助けただけではなく、ステファンはアルバのいた孤児院にいた他の子どもたちも助け、院長たちを牢屋に入れた。アルバがステファンを盲目的に慕うようになったのはその時からだ。


「アルバ、この料理名はなんて言うの?」


 ヒカルは食事をしていてもアルバに質問をしている。アルバもそれに慣れたのか、ステファンが同じ空間にいるからなのか、悪態もつかずに答えている。

 デザートが出てきて、ヒカルは目を輝かせていた。デザートはイチゴのショートケーキだった。ヒカルの横で僕も思わず、目を見開いた。僕の好物の一つのショートケーキを目の前に嬉しくないはずない。

 誕生日には絶対、イチゴのショートケーキを頼んでいた。どんなプレゼントよりも先に頼んでいた。もちろん、プレゼントは嬉しいのだが誕生日の楽しみはケーキだった。白い生クリームの絨毯とクッションの上に堂々と座っているイチゴは輝いていて、誕生日じゃない日でも、その一日が特別なものだと錯覚する。たった一つの僕だけのイチゴを食べることが楽しみだった。


「…トモル、ケーキが好きなのかい?」

「え!ふ、普通だよ!」


 僕は咄嗟に誤魔化した。男でケーキが好きだなんて少し恥ずかしいのだ。用意されたケーキを口に運ぶ。甘い生クリームが口の中に広がる。滑らかな舌触りが心地いい。その甘さの中に溢れるイチゴの果汁と酸味がマッチしている。スポンジもちょうどいい硬さだ。どうやって作ったのか、聞いてみたいところだけどそんなことをしている暇はないだろうなと僕は肩を落とした。

 あっという間に食べ終わってしまい、空になったケーキ皿を見つめているとハインツが隣に座った。何かと思えば、フォークにケーキを一口だけ刺して僕の口元まで運んだ。


「はい、トモル。あーん。」

「え、ハインツ?」

「トモル、早くしないと落ちちゃうよ。」


 フォークに刺さったケーキのスポンジは今にも落ちてしまいそうだった。僕は仕方なくフォークにかぶりついた。相変わらずケーキは甘い。フォークから顔を離してハインツの顔を見た。ハインツは満足そうに笑っていた。


「はい、トモル。あーん。」

「も、もういいよ!ハインツのケーキでしょ。ハインツが食べなよ。」

「トモル、落ちちゃうよ?」


 ハインツの言葉に僕はもう一度、ハインツのフォークからケーキを貰う。


「トモルが幸せそうな顔をしていたから。ケーキ好きなのかなって思って。」

「普通だって…」

「嘘だ。」


 僕のことは分かっているかのようにハインツは笑っている。その笑顔が少し憎らしくも思う。


「確かに好きだけど…そのケーキはハインツのものなんだからハインツが食べないと。」

「私のものだから私の好きにするよ。私はこれをトモルにあげたいんだ。だめかい?」


 ハインツはそう言って、再びケーキを刺したフォークを口元に近づけた。僕はなにも言えなくなって、ただハインツが差し出すケーキを食べることしかできなかった。ハインツは嬉しそうに笑っていた。

 そんな僕たちを見て、ヒカルはケーキを食べる手を止めていた。羨ましそうに、虚しそうに二人を見つめていることに僕は気づかなかった。それに気づいたのはアルバだけだった。それでもアルバはヒカルに自分のケーキを与えることは出来なかった。その時、すべてを俯瞰して見ていたのはステファンだけだった。


「ハインツお皿を貸して。」


 僕はハインツにケーキの乗った皿を渡すように言った。ハインツは何の疑問も浮かべず、僕に皿を渡した。僕は自分のフォークにケーキを一口刺した。そして、ハインツの口元に運んだ。ハインツは僕の行動に驚いていた。


「トモル?」

「ハインツ、あーん。」


 ハインツは少し固まった後に、ケーキを口に入れた。


「美味しい?」

「…美味しいよ。」


 ハインツは片手で顔を覆いながら呟いた。指の隙間から赤くなった顔が見える。僕はやってやったと心の中で喜んだ。


「ハインツ、まだケーキあるよ。」

「トモル、返して。私がトモルに食べさせたいんだよ。」

「やだね。」


 僕はケーキ皿を両手で上へ上げた。ハインツはそれを取ろうと立ち上がった。騒いでいる僕たちを見て、ステファンが声を出した。


「二人とも食事中に騒がないでください。ハインツ殿下、メイド長がいないからと気を抜いてはいけませんよ。ケーキを食べたら図書館に行かないといけないのですから、どちらでもいいので早く食べてください。」


 ステファンはまるでお母さんのように僕たちを叱った。ハインツは大人しく座り、ケーキを食べ始めた。怒られて大人しくなっているハインツを見て、笑ってしまいそうになった。



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