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19.泥棒の小細工と、箱入り令嬢の目覚め


 くだんのメロドラマは、本日が最終回である。



 不倫男の妻がついに陥落。不倫(バ)カップルの障害はなくなったかに見えた。しかし。まさかの最終回で脚本がさらなる迷走。



 何やかんやあって、結局二人は別れることになるのだった。青空をバックに『忘れない、あなたのこと』とヒロイン(?)の声が入り、不倫男は元サヤに。



 包丁を手に目を血走らせていた鬼嫁は、突然性格が変わったかのように良き妻、良き母となり、慌ただしくも幸せな日々を送る。



 ヒロイン(?)、そして同僚(チャラい)、御曹司など、それぞれの登場人物たちも前を向いて歩いていく──。



 という、薄口すぎる群像劇もどきに仕上がった。



 メロドラマじゃなかったのか……。一体何を見せられていたのか。多くの視聴者たちが置いてけぼりにされるドラマであった。



 ───



 「……」


 「……」



 橋倉が無言でテレビを消した。さすがのカゲも言葉が出ないようである。ヒカリはいない。もうこのドラマを視聴する必要がなくなったのだ。



 「じゃあ、オッサンたちは最初から分かってたのかよ?」



 カゲが言った。ドラマの話ではない。ヒカリの、恋の騒動の話である。



 「当たり前だ。お嬢様は、ご両親に恥じるようなことはなさらない」



 橋倉は胸を張って答えた。



 「ふうん」



 “若先生なら心配ない”とは、そういう意味だったのか。



 ドラマの影響を受けたり、思い詰めて姫華と協力関係になったり。ヒカリの言動にはカゲも振り回されたが、春平と橋倉は「黙って見ておれ」と言った。



 万能か。と言おうとして口を噤む。この場合、万能とは言わないなと思った。



 彼らはただ過保護で甘いだけではなく、胡桃沢ヒカリという一人の人物を心から信じているようである。



 こればかりは、付き合いの浅いカゲにはできない芸当であった。



 (ああ、それで尿意が来なかったのか)



 最後には、ヒカリが自ら降りることになるから。実に確度の高い尿意であることよ。



 「カゲー。ここ?」



 軽いノックの後、ヒカリがひょっこり顔を出した。



 「やっぱりここだった。ねえ、クリニック連れてって」


 「んあ? 薬なら俺が貰ってくるぞ」


 「ううん。喉の腫れが酷いから、一応もう一度診せてって先生に言われてるの」



 ヒカリはちょっと億劫そう言った。




 クリニックに到着すると、膀胱がワヤワヤと騒ぎだした。ただし、まだ余裕を持っていられるくらいのレベルである。



 (いろいろあったから緊張してんのかな)



 最近、胡桃沢邸や学校の方で急激な尿意が来ることはない(前もって頻回にトイレ行っとけば大丈夫)。基本、平和な日々が続いていた。



 (念のため飲み物はやめとこ)



 カゲたちが来院した時間帯はたまたま患者がおらず、ヒカリはすぐに診察室へ通されて行く。あることを思いついたカゲは、そろりと中待合室に近づいた。



 「ありがとうございましたぁ」


 「はい、お大事に」



 ヒカリが診察室を出ると、北白河はパソコンに向かって処方内容を確認し始める。すると、



 「よぉ」


 「うわあっ!」



 突然、降って湧いたように黒服の男が現れた。



 「あ、あなたは胡桃沢様のところの。ビックリするなぁ、もう」



 カゲである。



 「うちのジジイ、じゃなくてあるじから健康診断について問い合わせて来いと仰せつかっている」



 無論、そんな命は受けていない。口から出まかせである。



 「し、しかし」


 「個人情報のことなら大丈夫だ。俺は信頼されてるからな」



 カゲがあまりにも自信満々なので、北白河は「そういうことなら」とパソコンに春平の検査結果を映し出した。



 「ほう。この横についてる記号は何だ?」


 「これは、──ということさ」



 カゲの表情が曇る。何やらブツブツと呟き始めた。



 「くっそ。あのジジイ、くたばりそうもねえな」


 「え?」


 「いや、何でもない。じゃ、問題ねえんだな?」



 爽やかな作り笑顔でカゲが訊いた。



 「ああ。若者に負けないくらい健康だよ」



 北白河は少し考えてから、「ああ、でも」と頭を抱える。彼は、検査そのもののことじゃなくてねと前置きして、



 「いささか説明不足だったかもしれない。実は、あの日は早く帰る約束をしていて……美亜に寂しい思いをさせていたから」



 顔を上げてさらに続けた。



 「記号のこと、胡桃沢様は気にされていなかったかい? 忙しすぎて用紙に凡例を載せるのも忘れてしまってね」


 「ま、その辺は俺が上手く伝えといてやるさ」



 カゲが親指を立てると、北白河は安心した顔で礼を述べた。



 「その代わりと言っちゃなんだが」



 揉み手で医者に擦り寄る。



 「──」


 「ああ、それくらいお安い御用だよ」



 ───



 ヒカリたちがクリニックを出るのと入れ違いに、患者が増え始めた。



 いつもの道を歩く。こんもり緑を背負った公園も通り過ぎる。ヒカリの顔は、いつになくスッキリしているように見えた。



 ああ良かった、とカゲは思う。この尿意レベルなら、帰ってすぐトイレに行けば充分間に合う。ヒカリの通院はこれで一段落、当分クリニックに来ることはない。彼の膀胱もしばらくは平和だろうと思われた。しかし。



 「おーい! この前のセレブの人ーっ!」



 小型車の窓から、先日の業者が手を振っている。



 「あら。彼は」


 「ぐぎっ! 来ちゃったあぁ……」



 強烈な尿意が来た。カゲが内股で電柱にもたれている間に、業者の彼が走り寄ってくる。



 「先日は、ご迷惑をおかけして大変申し訳ありませんでしたぁっ!」



 彼はキャップを取って深々と頭を下げた。



 「いいんです。あの、顔を上げてくださ、い──」



 ヒカリの動きが止まった。



 キャップを取った業者の彼は、アイドルと見紛うほど整った顔面だったのである。



 「良かった、お詫びができて」



 爽やかな笑顔にキラキラが飛ぶ。



 「お、お詫びだなんて、そんな」


 「あ、これ」



 彼は背中に隠していたものを手前に持ってくると、空いた手をツナギでゴシゴシと拭った。



 「俺が初めてアレンジしたものなんだけど、良かったら受け取って」


 「まあ、きれい」



 ヒカリの顔がパッと輝いた。



 彼がヒカリに手渡したのは、ミニサイズのブーケだ。赤いバラがラウンド状に配置され、オシャレな包装紙に包まれている。



 「どうもありがとう! あなたは、お花屋さんなの?」


 「これからなるんだ」



 照れ臭そうな笑顔の破壊力たるや──。



 「素敵。私、きっとお買い物に行くわ」



 潤む瞳は、すっかり恋する乙女のそれである。



 「ああ。待ってるよ。それじゃ!」


 「がんばってねーっ!」





 清涼感あふれる出会いのすぐ横で、カゲは内股でステップを踏み続けていた。




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