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16.箱入り令嬢たち、城へ突撃する


 厚い雲が湿気を閉じ込める。重苦しい6月の日曜日。ヒカリと姫華は、滑り台の脇に無言で立ち尽くしていた。互いの護衛は一人ずつ。



 できうる限りのオシャレをしてきた。TPOを考えて、やりすぎないように計算して。それでも。



 北白河の妻が小走りで公園に現れたとき、姫華は打ちのめされたような顔をした。




 北白河家は、公園のすぐ傍だった。白壁の、一言で言えば手間をかけた家。



 そこかしこに植物や小物がさり気なく並べられている。それでも嫌味がなくて、適度にきれいで開放的で。この家を切り盛りする者のセンスが光っている。



 通されたリビングからは芝生と小さな自転車が見えて。花壇には、名前の分からない花々が咲き乱れている。



 「二人からです」と、ゼリーの詰め合わせを差し出した。彼女は恐縮して礼を述べると、「少し待っててね」と下がっていく。



 「おかまいなく」



 と答えたものの、緊張で喉はカラカラだ。姫華を気遣う余裕はない。サイドボードの写真立てが目に入って目を逸らした。



 きっと家族写真。



 真正面から見て平静でいられる自信なんかない。ヒカリは、机上に飾られたアジサイをひたすら眺めた。



 「いらっしゃい」


 「お姉ちゃん、あそぼー」



 美亜ちゃんと北白河が現れた。ヒカリがよく知る誠先生じゃないみたいだった。



 「……誠先生」 



 姫華が蚊の鳴くような声を出す。



 「お邪魔しています。美亜ちゃん、こんにちは」



 我ながら、どうしてこんな大人の対応ができるのか。何度か味わった感覚だ。泣きそうな自分が、そつなく笑う自分を見ているような。




 「すみませんね、奥さん」



 カゲと冷泉家の護衛は、立ったままグラスを受け取った。



 「あの、座られては?」


 「いえ、我々はここで」



 戸惑い気味の彼女に、冷泉の護衛が答える。カゲは、喉を鳴らして麦茶を飲み干した。尿意を気にせず、喉が渇いた時に思い切り飲む。一度やってみたかったのだ。



 幸せを噛み締めるカゲを、冷泉の護衛がすごく変な目で見ていた。




 「美亜。お姉ちゃんたちと遊ぶのは後って約束だろう?」



 ゴネる美亜ちゃんを、北白河が宥める。



 「ごめんなさいね、騒がしくって」



 彼女は、ヒカリたちの前にもグラスを置いた。



 「一段落したら早速始めましょ」



 そう言って、美亜ちゃんの方に顔を向ける。



 「美亜ちゃんには大切なお仕事をお願いしてるものね。パパを助けてあげてよ?」


 「そうだった。頼んだぞ、美亜」


 「お仕事? 何かしら?」



 圧倒されているらしい姫華に比して、彼らと積極的にコミュニケーションを取るのはヒカリの方だった。会ったのが初めてではないのもある。ただ、やっぱり泣きそうな自分が、笑顔を振り撒く自分を見ているような感覚は抜けない。



 「秘密ぅ。後から教えてあげる」



 何だろう、気になるな。



 美亜ちゃんに向かってそう言おうとしたとき、家族三人がアハハと笑い合った。




 (あっ──)




 何気ないその場面が、ヒカリには一枚の絵画のように見えた。誠先生が、いつもの先生に見えない理由が分かった。ここから先は自分が踏み込めない世界だ。




 「姫華。私、降りるわ」




 奥さんが道具を取りに行っている少しの間に、手短に伝えた。美亜ちゃんと北白河が、お揃いのエプロンでオープンキッチンに立つのを眺めながら。



 「はっ?」


 「私たちは普通にお裁縫して、美亜ちゃんと遊んで帰るの」


 「今さら何を……!」



 ヒカリを責める姫華の目に、いつもの鋭さはない。



 「無理よ。アンタも、本当は止めてほしかったんじゃないの?」



 姫華が何も言い返さず俯くのを見て、ヒカリはホッと息をついた。そう。これで良かったのだ。



 少し離れた場所で、カゲが口角を上げた。



 ───



 二人は、当初の目的を忘れて裁縫に没頭した。



 キッチンから甘い香りが漂ってきて、美亜ちゃんの“秘密の仕事”の内容が何となく分かってくる。出来上がったのはマドレーヌだった。奥さんが紅茶を淹れてくれた。



 姫華は、子供嫌いなりに頑張って美亜ちゃんとコミュニケーションを取っている。



 「意外とカンタンなのよ。ほら、こうして……」



 ヘアメイクを教えてあげたりして。



 「美亜も、大きくなったらお姉ちゃんみたいにクルクルの髪にしようかな」



 なんて言われた時には、吹っ切れたように笑っていた。ヒカリも、最初より楽な気分で過ごした。



 泣きそうな自分は相変わらず存在するけど、その顔は少しホッとしているようだ。



 「じゃあね」



 遊び疲れて眠そうな美亜ちゃんに手を振った。激動の日曜日が終わる──。




 ───



 「また学校でね」



 普段なら絶対に掛けないような言葉を掛けたのは、姫華が濡れそぼった猫のように見えたからだった。



 「何よ、気持ち悪い」



 眉を寄せる姫華の顔には、疲労が色濃く滲んでいる。



 「フン。今日だけよ」



 ヒカリが言い返すと、彼女は苦笑して迎えの車に乗り込んだ。




 「ああ。いま終わったところだ」



 カゲが胡桃沢家の警護班と連絡を取っている。



 『では車を回す』



 彼はヒカリを見遣ると、



 「……いや、いい」


 『しかし雨が』



 警護班の話を聞かずにそのまま通話を切った。



 「さて。帰るか」





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