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12.泥棒の忠告


 その頃。胡桃沢邸では、ちょうど昼食の膳が下げられているところであった。



 「旦那様。何かご心配事でも……?」



 あるじの食が進まないことを気にかけた橋倉が、遠慮がちに申し出る。



 「うむ……」



 春平は卓に肘をつくと、組んだ手を額に当てた。



 「健康診断の書類を見直したのだが、どうも結果が思わしくないようなのじゃ」


 「何と。しかし、若先生は」


 「あのときはヒカリが傍にいた。気を遣ってくださったのかもしれん」


 「すぐにでも問い合わせましょう」


 「のう、橋倉」


 「は」


 「上手くいかんものじゃのう。いつまでも、ヒカリを見守るつもりでおったが」


 「旦那様……」


 「ハハ。そのうち、直接クリニックへ出向くとしよう」



 春平は努めて明るい声を上げた。眉間の悩ましげなシワは消え、いつもの柔和な彼がそこにいる。



 「食後の茶をいただこうかな」


 「かしこまりました」



 そのように悠長な──。と言いそうになるところを、橋倉はぐっと堪えた。主にも、気持ちの整理の付け方というものがあろう。逸る気持ちを抑えながら茶筒を取り出す。




 「よぉ。ここにいたか、ジジイども」




 出し抜けに声をかけられ、驚いた橋倉は茶葉をぶちまけた。



 「気配を消しながら現れるな! この馬鹿者が!」


 「泥棒。貴様、ヒカリの護衛はどうした?」



 高級茶葉の香りが漂う中、春平が立ち上がる。ヒカリの前から姿を消したカゲは、何と屋敷に戻っていたのであった。



 「気が乗らねー。鈴木さんがいりゃ問題ねえだろ」



 カゲは、春平の斜向はすむかいにどっかと腰を下ろした。



 「訊きたいことがある」


 「何じゃ」


 「ガキの話だ」



 春平が座り直すと、カゲは橋倉の方に首を巡らせる。



 「てめぇ、いつだか“若先生なら心配ない”ようなことぬかしてたが、それは奴が既婚者だからか?」



 橋倉が、茶葉を片付ける手を止めた。



 「それもある」



 橋倉が答えると、カゲは呆れたようにため息をついた。



 「まったく大丈夫じゃねえみてーだぞ」


 「……そうなのか」


 「いいのかよ」


 「泥棒風情には何も見えておらんようだの」



 春平がフォフォッと笑った。橋倉が後を引き継ぐ。



 「黙って見ておれ。いずれ分かる」


 「いや、分かんねえって!」



 カゲは、イラついた様子で立ち上がった。



 「あいつの世界は、てめーらが思ってる以上に狭い。短絡的で幼な過ぎんだよ」



 春平は眉をしかめ、彼の顔をギラリと見上げる。



 「あのガキ、今が永遠に続くと思ってやがる。けど、どうしたってジジイどもは先に逝く。みんながずっと同じ場所いるなんて有り得ねえんだ」



 俺だってな。

 その一言を、カゲは飲み込んだ。



 「もうちょっと現実ってもんを教えてやれ」


 「……かん」



 静かな食堂に、誰のものとも分からない呟きが落とされる。



 「逝かん!」



 春平の声だった。彼は苦しげに続けた。



 「ワシは逝かん。ヒカリと約束したんじゃ」


 「ふざけたこと言ってんなよ、ジジイ」


 「やめんか、泥棒」



 見かねた橋倉が制止に入る。



 「話がズレておるだろう。お嬢様と若先生のことなら心配ない」


 「ズレてねえ! ずっと夢見がちな世界に閉じ込めてるから暴走するんだ」


 「夢見がちで何が悪い?」



 橋倉が拳を震わせた。



 「貴様は知らんだろう。あの日、この屋敷に訪れた絶望を。お嬢様の悲しみを」



 食堂は、それきり沈黙した。たっぷり二分は経った頃、春平がポツリと言った。



 「では泥棒。貴様にくれてやる」





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