「まあ。誠先生のお子さんだったんですか?」
ヒカリはわざと大袈裟な声を上げてみせた。
「お姉ちゃん!」
北白河の腕の中で振り向いた美亜ちゃんは、思いがけない再会に喜びを爆発させる。
ヒカリたちと美亜ちゃんが会うのは今日が二度目で、しかもさっきまで一緒に遊んでいたのだと分かると、クリニックの待合室は温かな笑いに包まれた。
「美亜ちゃんのパパね。私のおじいちゃんの健康診断してくれたのよ。ありがとう」
「こちらこそ、美亜が何度も世話になって」
ヒカリが美亜ちゃんに笑いかけると、北白河はしみじみとした様子で言った。
「小さかったヒカリちゃんに、自分の娘が遊んでもらえる日が来るとは……本当に、素敵なお嬢さんになられましたね」
話を振られた春平は、目尻を下げて何度も頷く。
(私、なんで大人みたいな会話してるんだろう)
ここで自分が狼狽したら、おかしいんだ。
美亜ちゃん、誠先生。彼らを自然に受け入れているナースたち。自分がいま崩れたら、温かな雰囲気は壊れてしまうだろう。
でもヒカリは、不思議と苦しくはなかった。言葉はスラスラと出てくるし、笑顔を見せることも容易だった。
作り笑顔ではなく。
ヒカリ本人がビックリしてしまうくらい、自然に笑うことができるのだった。
振り返れば、思い当たることはたくさんあった。誠先生が、これまで自分に対して見せてきた態度。その数々は、大人から年少の者に向けられる態度であった。妹とか、娘とか。
(なあんだ、そうだったのか)
いや、本当は分かっていたのかも。見て見ぬフリをしていただけ……。呆気ない。でも、思ったより傷は浅いかもしれない。
ただ、ヒカリは酷く疲れていた。
カゲは、もう一度トイレに引き返した。元から柱の陰に隠れていたし、みんな話に夢中だったから、誰にも気づかれることはなかった──。
───
そんなことは知る由もない不倫男は、同僚(チャラい)とともに酒を飲みに行く。
『結婚なんて紙切れ一枚提出したかどうかだろ? おまえたちが、もっと強い絆で結ばれてることを俺は知ってる。諦めるなよ。俺もできる限り力になるから──』
同僚(チャラい)は、そう言って彼を励ますのだった。このドラマは、何故か不倫カップルが応援されている。
『紙切れ一枚、か……』
同僚(チャラい)の言葉を反芻しつつ男が帰宅すると、苦しげに顔を歪ませた妻が待っている。その後は怒り狂う妻の独壇場であった。
テーブルに並んだ料理を投げ、皿を割る。男を罵る、子供を盾にとって恐喝する、泣き叫ぶなど不安定ぶりを発揮。最終的には包丁を持ち出した。
『離婚はしない! あなたがあの
包丁を自分の首に当てる妻。血走った目の下に踊る「つづく」のテロップ……。彼女の怪演は視聴者を震撼させた。
───
「……なに、このドラマ?」
冬子の指からポロリとスナック菓子が落ちた。彼女は、ヒカリの部屋に遊びに来ている。
ジュースとおやつで女子会的なことをしていたのだが、BGM代わりにつけていたテレビで例のドラマが始まってしまったのである。
昼下がりに相応しい薄さのドラマ。
だと思うのだが、ヒカリの部屋の大型テレビで観るといろんな意味で圧巻で、つい見入ってしまった。
「ええと、誠先生の話だっけ」
「ん。結婚してるの知らなかったってだけの話」
「そーなんだ」
「うん。先生、指輪してなかったし」
「まあ、しない人はしないからね。誠先生、医療従事者だし」
その後、ヒカリは美亜ちゃんの話をしたりした。話をいきなり変えたような感じだった。それに、今日はどうもヒカリと目が合わないような気がする。また逸らされた。
そのときの微妙な表情を、冬子は見逃さなかった。
「ヒカリちゃん?」
冬子が呼びかけると、ヒカリは慌てて顔を上げた。
「何よ、ショックだったわけー?」
わざと軽い調子で話しかけ、ジュースのおかわりを
「そんなんじゃないって! そもそも誠先生はずっと歳上だし」
「カッコいいもんねー、誠先生」
姪っ子の相手をしながら、「あ、これは本気だったな」と確信した。もしくは現在進行形か──。
冬子だって、まったくショックじゃないと言えば嘘になる。ただし、彼女にとって北白河は単なる「推し」でしかない。
(私も騒ぎすぎたかな。ヒカリちゃんを煽っちゃったかも)
少々反省する冬子であった。直後、さっきのドラマの内容を思い出して薄ら寒くなる。
(まさか、ね)
ドラマに影響されて、可愛い姪っ子が不倫に走ったらどうしよう。まさか、北白河が応じるとは思えないけれど。
「うーん、ヒカリちゃんもお酒が飲めればいろいろ話せるのになー」
冬子が思わず声に出すと、ヒカリはポカンとした顔で首を傾げた。