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5.美亜ちゃん


 ヒカリとカゲは、無言で歩いていた。クリニックの前で言い合ってしまったことが尾を引いているのだ。



 ヒカリは祖父への心配が完全に消えた訳ではないし、新入りの護衛(しかも泥棒)に思いがけず胸の内をさらけ出してしまった気まずさもあり。



 カゲはカゲで、能天気に見える令嬢があんな悲壮な思いを抱いていたことなど露知らず、けっこう無神経なこと言っちまったなーという気まずさがある。



 果たして。この微妙な空気を打ち破ったのは、一人の幼い少女であった。



 「おい、チビ。何してんだ?」



 クリニック近くの、こんもりと緑に囲まれた公園。細い道を挟んだところにある。



 入り口の石段に、小学校低学年くらいの、おかっぱの女の子が腰掛けていた。カゲが声をかけると、女の子はブーッと不機嫌な顔を見せる。



 「あら。あなた、昨日もここで遊んでたわね?」



 ヒカリは昨日のことを思い出した。みんなが自転車に乗って帰っていく中、この子だけ遊び足らないような様子で佇んでいた──。



 「そろそろ帰らないと、パパやママが心配するんじゃない?」



 ヒカリたちは夕方診療が始まってからクリニックを出たので、もうとっくに十七時を過ぎている。小さな子が一人で外にいる時間ではない。



 「……つまんない」



 小さな呟きが地面に落ちる。ヒカリとカゲは、顔を見合わせた。



 「つまんないつまんない! つまんないよぉーっ!」



 女の子は、両脚をバタつかせて叫んだ。



 「落ち着けって」


 「一体どうしたの?」



 二人が口々に声をかけると、女の子はポツリポツリと話し出した。



 「パパ、ずーっと遅くにしか帰らないもん」


 「そうなの」


 「お約束、何回も破ったんだよ。美亜みあにはお約束守りましょうって言うクセに」



 美亜ちゃんはヒートアップしていく。



 「昨日だって、早く帰って遊ぶって言ったのに!」


 「そっか。美亜ちゃんのパパ、お仕事が忙しいのかな?」


 「ママもそうやって言う。パパは忙しいからしょーがないって。パパの味方するの」



 どう答えたものか、ヒカリは困った。




 「……キライ。パパもママも、キライ!」




 言ってしまってから言葉の重さに気づいたか。美亜ちゃんの顔が苦しげに歪んだ。



 「そうかな。美亜ちゃん、パパと一緒にいたいから怒ってるんでしょ? それって、大好きじゃん」



 ヒカリに覗き込まれると、美亜ちゃんは必死で首を縦に振る。拍子に大きな涙の粒が零れ落ちた。



 「お姉さんはね。パパとママ、いないんだ」



 美亜ちゃんがえっと目を見開く。



 「お星様になっちゃった。だから、最後のお約束はそのまま」


 「……」


 「でもね。お姉さん、今でもパパとママのこと大好きだよ」



 ずーっとね。そう言って天空の、朱と藍の境目に光る星を探す。




 「ぅぎ!」




 感動的な夕暮れに奇声が放たれた。



 「ちょっと、カゲ! 何で今ふざけるのよ!?」


 「ハぅぉっ……ふ、ふざけてねえ!」



 カゲは綱渡りをするような格好で水平を保つ。



 (何故ここで尿意が!)



 ふざけているようにしか見えないが、本人は大真面目である。



 「アハハッ」



 美亜ちゃんが笑った。出会ってから初めての、子供らしい笑顔だった。



 喜ばしいことだが、何故ここで尿意が襲ったか謎が残る。尿意イコール危機だからだ。




 「美亜ちゃーん」



 遠くから誰か呼んでいる。



 「ママだ」



 美亜ちゃんの表情かおが、安心したようにふにゃっとなる。



 ママに走り寄っていく美亜ちゃんに、ヒカリは幼い日の自分の姿を重ねていた。




 ───



 胡桃沢邸。

 万能執事・橋倉巌の居室である。



 くだんのメロドラマは、不倫男の妻が違和感を覚え始めているところであった。



 一度は上手く誤魔化せたと思われたが、意外なところからボロ出て──。という展開で、視聴者をハラハラさせている。



 橋倉も心配顔でテレビを消すと、いつものように茶を淹れるべく立ち上がった。




 「うっわぁ。奥さん鋭いねー」


 「ゴフッ! またですか、お嬢様!」



 ヒカリとカゲは、ごくたまに橋倉の部屋でドラマを視聴するのである。



 平日の昼下がり、20分ほどの放送枠でダラダラと続いている。何度か見逃したところで、話の筋が分からなくなるという心配はない。



 「バレるに決まってんだろうが」



 カゲは偉そうにラグに寝そべった。



 「“しばらく会わない”とか言った直後に会いに行ってやがる。意思薄弱か? 欲の塊か?」


 「だって、彼女は独り身で病気なのよ? 行っちゃうでしょ」


 「風邪だろ」



 昼下がりのドラマは、こんな下世話な感想を言い合えるくらいが丁度いい。



 「泥棒が! 当たり前のように寛ぐな!」



 橋倉が雷を落とすも、カゲは薄く笑いながら耳をほじっている。使用人たちを束ねる役割も担う橋倉にとっては頭が痛むところだ。



 しかし、楽しそうな令嬢を目の前にすると、「こういうのもアリなのか」と揺らいだりもする。



 「さあさ。そろそろ旦那様がお出かけになる時間です。お嬢様も参られるのでしょう?」




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