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12.密談


 ところ変わって胡桃沢くるみざわ邸。授業を終えて帰宅したのだ。午後の授業の余韻もあって、ヒカリは上機嫌だ。



 (ああぁーっ!)



 ヒカリは、クッションに顔を埋めて手足をジタバタと動かした。あの時の奏人かなと先生の笑顔を思い出すと、こそばゆくてじっとしていられない。



 一方、階下では男たちが密談している。吹き抜けのリビングで、ソファに腰掛けた春平しゅんぺいが言った。



 「何を言っとるんだ、鈴木さん。ヒカリは病気じゃないぞ。主治医が毎月チェックしとるんだから間違いない」



 鈴木さんは、あるじにも「さん」付けで呼ばれている。



 「し、しかし泥棒さんが」



 鈴木さんがカゲを見下ろす。直立不動の鈴木さんと執事・橋倉の足元で、カゲは白く磨き上げられたフロアに片肘をついて寝そべっている。基本、使用人はソファに座れないのだ!



 (あれ、煙草がねえな)



 一服したくてスーツの懐を探るが、煙草が出てこない。直後、上からグシャリと音がした。見上げれば、橋倉が煙草の箱を握り潰している。



 「どこでくすねたか知らんが、屋敷内は禁煙だ」


 「いつの間に……万能か」



 このオッサン、でもやっていけるんじゃないか? カゲは、一層警戒心を持って橋倉を見上げた。



 「何か知っておるなら旦那様にご報告せよ」



 橋倉がカゲの襟首を掴む。



 「大したことじゃねえって。かくかくしかじかだ」


 「やはり相手は教師か! けしからん!」


 「その男がお嬢様をもてあそんだのか!」



 話を聞いた橋倉と鈴木さんは、悲痛な声を上げてその場にくずおれる。



 (何故そうなる?)



 カゲは、少しだけ奏人先生に同情した。



 「慌てるでない、皆の者」



 それまで無言だった春平が、威厳ある声を発する。



 「俺は別に慌ててねえ」


 「しかし、旦那様! お嬢様が身近な人間に熱を上げるなど!」


 「そうです! これまでは架空の人物や有名人だった。捨て置けませんぞ!」



 春平は「まあ待て」と、言い募る使用人たちに大きな掌を向けて場を鎮める。そして、すっくと立ち上がると不敵に目を光らせた。



 「だって、教育実習もうすぐ終わるじゃーんっ」



 嬉しそうにピースサインを作る春平。教育実習は二週間なのだ! 鈴木さんが顔を上げて「おぉっ」と叫んだ。



 「終わってしまえばこっちのもの!」


 「非常時にも取り乱すことなく……。お見それいたしました」



 橋倉がうやうやしく頭を下げる。



 (また茶番か)



 カゲは耳を掘りつつ、そろそろかなぁとトイレの方角を見遣った。




 そのさらに向こう。螺旋階段の中ほどに、揺れる人影が──。ヒカリであった。たまには鈴木さんに宿題をやってもらおうと思ったのだ。

 しかし、ヒカリは青い顔でその場を動けない。祖父のよく通る声は、ここにも届いていた。



 (忘れてた……奏人先生が教育実習生だってこと)


 教育実習は、既に一週間を切っているのであった。





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