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11.奏人先生のモテ期


 「奏人かなと先生!」



 姫華が、わざとらしくヒカリの肩にぶつかって行く。



 翌日。あの授業以来、奏人先生の立場は一気に逆転した。あれだけイジメていたクセに、みんな掌を返して“カワイイ”とか言っている。



 お嬢様たちが先生に群がった。中心にいるのは、もちろん姫華だ。先生に抱きつかんばかりの勢いで音楽室へ連れて行こうとする。



 「今行くから」



 困ったように笑いながら、奏人先生はみんなと教室を出る。一瞬振り返った奏人先生に、ヒカリは軽く手を振った。姫華たちなんかと混ざるつもりはない。



 (私だけの先生だったのに)



 ちゃんと笑えていただろうか。ヒカリは、取り残された教室で足元を見つめた。



 「違うか」



 小さな呟きが、絨毯に吸い込まれていく。奏人先生は、生徒たちのことを分け隔てなく見てくれる優しい先生。自分も、そのうちの一人なのだ。



 「おい、メシだぞ」



 廊下でカゲが呼んでいる。ヒカリは弱々しく笑うと、護衛たちと連れ立って食堂へ向かった。




 「やっぱり、もういいわ。これあげる」



 ヒカリは力のない声でそう言い、マイセンの皿を押しやった。煩わしい姫華たちがいないので、食堂はこの学院本来の上質な空間を作り出している。



 「しかし、お嬢様……」


 「なかなか美味ぇじゃねえか」



 鈴木さんが心配する一方で、カゲは皿に乗っていたパンケーキを手掴みでムシャムシャとやり始める。



 「泥棒さん!」



 温和な鈴木さんが、珍しく語気を荒げてカゲの頬をつねった。カゲは口の中にパンケーキを詰めたまま目を尖らせ、負けじと鈴木さんの頬に掴みかかる。



 「にゃにふぃやがりゅ(何しやがる)!」


 「ふぉろほーしゃんはにゃにもふぉもふぁにゃいんれしゅか(泥棒さんは何も思わないんですか)!」



 睨み合う二人。鈴木さんを睨んだまま、カゲはゴクンとパンケーキを飲み込んだ。



 温厚な鈴木さんがこんなことをするのは、カゲの責任である。カゲがちゃんと教えてあげないから、鈴木さんはヒカリが不治の病だと思い込んでいるのだ!



 (奏人先生……)



 ヒカリは上の空だ。取っ組み合う護衛たちなど眼中にない。



 「そこの護衛! こちらへ来なさい!」



 見回りの教師から鋭い声が飛ぶ。この学院では、態度の悪い護衛は怒られるのだ!



 (先生、今頃どうしてるかしら?)



 姫華にベタベタされているのか……。そう思うと胸がキリキリする。



 「うっ! 腹が痛ぇ。鈴木さん、あと頼んだ」



 カゲの姿が消えた。職業柄、逃げ足は早い。



 「ズルいぞ、泥棒さん! 旦那様に言いつけてやるからな!」



 でも、もしかしたら本当にトイレかもしれないと思う優しい鈴木さんである。



 ヒカリは、重い気分で頭上のシャンデリアを見上げた。



 (恋って、もっと楽しいものだと思ってた……)





 午後。ヒカリたち2年A組の担任が英語の授業を行なっている。



 ずっと、胸が痛い。昼休みの後、奏人かなと先生は姫華たちに囲まれて帰ってきた。そして姫華は、わざわざヒカリのソファ席まで来て耳打ちしたのだ。



 「奏人先生に、ピアノ教えてもらったのよ。手取り足取り。素敵な時間だったわ」



 ほとんどのお嬢様は幼少期からピアノくらい習っている。姫華だってそうだし、ヒカリも小学生くらいまでは屋敷に講師を招いていた。



 ただ、そういうピアノ講師というのは大抵厳しい。面白くもない練習曲を課題に、テンポがどうのフレーズがどうのと口酸っぱく注意され続ける。



 それに比して、奏人先生のピアノは自由だ。姫華が「素敵な時間」と言うのも無理からぬことであった。



 手取り足取り? 姫華の言うことなんて信じない。

 姫華なんかに負けない。



 ヒカリは、教室の隅に控える奏人先生を見つめた。奏人先生は、真剣な表情で授業の様子を見学しながら時折メモを取っている。



 (好きな人を見てるのに、どうして泣きたくなるのかしら)



 奏人先生が、ふいっと顔を上げた。穴が空くほど先生を見つめていたヒカリと、視線がかち合う。



 (あっ──)



 どぎまぎしていると、奏人先生は少し笑った。それから、持っていたボールペンのノック部分を前方の大型スクリーンに向けて動かす。『ちゃんと授業を受けなさい』ってことだろうか。秘密のやり取り。たったそれだけのことで、胸の痛みは和らぐ。



 姫華は居眠りをしていて気づいていない。昼休みにはしゃぎ過ぎたためか。



 (フッ! 所詮は姫華も悪役ね!)



 次第に、いつもの太々ふてぶてしさが戻るヒカリお嬢様である。



 (こういうのは、邪魔が入った方が盛り上がるのよ……!)



 ヒカリは、そう思っていた。

 この時までは。



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