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4.教育実習生、担当教科は



 ホームルーム前のわずかな時間。教卓をぐるりと囲んだソファの、いつもの位置に座ったヒカリはスマホを見つめていた。待ち受け画面も奏斗である。



 「ちょっと、ヒカリ。何でアンタが奏斗様を知っているのよ?」



 ヒカリの前に立ちはだかり、腕組みして尖った声を上げるのは冷泉れいぜい姫華。同じクラスなのだ。他のお嬢様が二人、金魚のフンのようにくっついている。



 「姫華。いつも真似をしてくるのはアンタの方でしょ」


 「何を言うの? “ホテル・ヨルトン”のラウンジでピアノを弾いてる彼をスカウトしたのは、この私よ」



 ヒカリは耳を疑った。この女が?



 「その縁で、今度の我がR警備保障の新CMには彼が起用されるの」



 ハッタリとも思えない。今度は、ヒカリが唇を噛み締める番であった。金魚のフンたちが、「さすが姫華さんね」などと持ち上げる。



 「あなたたちも撮影の見学に来るといいわ」



 姫華が満更でも無さそうに声をかけると、金魚のフンたちはワァッと沸き立った。



 「ヒカリ。どうしてもって言うなら土下座でもなさい。そしたら見学させてあげても良くてよ。端っこの方で」



 姫華と金魚のフンが、意地悪そうにクスクスと笑う。



 「……お断りよ!」



 一瞬、間が空いてしまったのが悔しい。

 奏斗様。何故、冷泉の会社のCMになんか!



 「まぁ。姫華さんの寛大なお心を無下にするなんて」


 「失礼ね」



 金魚のフンが囃し立て、姫華は高笑いしながら去っていく。



 (きっと断れなかったのよ!)



 冷泉側が汚い手を使ったに決まっている! ヒカリはギリリと歯噛みした。



 (そうだわ! こっちには『ペコム』があるじゃないの!)



 祖父・胡桃沢春平くるみざわしゅんぺいが新たに立ち上げた警備会社。今から手を回せば間に合うかもしれない。奏斗様を冷泉に取られてたまるか。



 (決めたわ。『ペコム』のキャラはワンちゃんよ! 奏斗様には、犬耳をつけて『ペコム』のCMに出てもらう!)



 可愛いバージョンの奏斗様が見られる。奏斗様とお近づきになれる……! ヒカリは春平に連絡を取るべく、スマホのメッセージアプリを開いた。



 「皆さん、ホームルームを始めますよ」



 担任が来てしまった。銀縁眼鏡の神経質そうな女教師だ。ヒカリは思わず舌打ちしそうになる。隠れてスマホ操作できないのが、このソファ席の欠点だ。



 「本日より2週間、教育実習の先生が入られます。入って。モリシタ 先生」





 クスクス……。


 失笑が漏れる教室に、彼はおずおずと足を踏み入れた。前方の大型スクリーンに彼の名前が映し出されている。



 森下奏人もりしたかなと──。

 あのピアノ王子、奏斗かなとと一字違いの同名。なのだが。



 「これから二週間、森下先生にはこのクラスの担任の他、音楽の授業を担当してもらいます。じゃ、先生」



 銀縁眼鏡の担任は、やや心配そうに彼に挨拶するよう促した。顔を強張こわばらせた彼は、ロボットのような歩き方で何とか教卓へたどり着く。



 「あ……も、森下か……と、いいます。皆さ……どうぞ宜し……ねが……しま……」



 消え入りそうな声だった。



 急場凌ぎで揃えたと思しきグレーのスーツはブカブカで、まるで制服に着られた中学生のよう。鼻のまわりのソバカスが、彼の顔立ちをより一層幼く見せている。



 「聞こえませーん」



 誰かが言うと、教室はイヤな笑いに包まれた。彼は、生白い顔をサッと赤く染めて俯いてしまう。



 彼、森下奏人先生は。全てにおいて自信なさげでぎこちなくて、「先生」には程遠かった。



 同名の、今をときめくピアノ王子・奏斗とのギャップも相まって。彼は来校初日にして、癖の強いお嬢様たちの格好の笑い者となってしまったのだった。



 ───



 「そいつなら俺も見かけたぜ」



 カゲは、そう言って煙を吐き出した。



 「こんなところで吸わないでよ。寒いし」


 「カビ臭えんだよ、俺の部屋」



 胡桃沢邸、ヒカリの部屋である。



 「カビ臭い」というカゲの部屋は、ヒカリの部屋に近い書庫だ。胡桃沢邸に忍び込んだのがバレた際に連れて行かれた書庫が、そのまま彼の部屋になっている。トイレまでの距離は申し分ないが、古本独特の匂いには慣れない。お嬢様の部屋の方が何百倍も過ごしやすいのだ。



 バルコニーへ続く窓を開け放し、カゲは煙草をふかしている。かつて、彼がよじ登ったバルコニーだ(【泥棒の章】参照)。



 煙草の銘柄にこだわりはない。大きな声では言えないが、適当にくすねた物で充分なのだ。ただし。この煙草は温厚な護衛仲間、鈴木さんから了解を得て貰った物である。



 「ああいうの見てるとイライラしちゃう! もっと堂々とできないの!?」



 ヒカリが話すのは、教育実習の森下奏人先生のことだ。初日とはいえ、彼は結局、生徒の前で何一つまともにできなかった。



 「実は、あいつな」



 カゲは途中まで言いかけると、ニヤリと笑って口をつぐんだ。



 「やっぱいいや」



 今朝、学校でトイレに行った後、カゲは奏人先生とすれ違っていたのだ。奏人先生は物陰に隠れて電話をしていたのだが……。その内容を思い出し、再び笑いが込み上げる。



 「何よ?」



 気になったヒカリがどれだけ聞いても、カゲは意味ありげに「カカカ」と笑うだけだった。




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