テレビ画面の中で、美しい青年が一心不乱にピアノを弾いている。ヒカリは画面に吸い込まれるように立ち上がった。カシミヤのストールが、華奢な肩を滑り落ちていく。
「最近デビューした新人のピアニストでございますね」
テレビ画面を一瞥し、橋倉は即答した。万能である。ヒカリの瞳が爛々と輝き始めた。
「彼の資料を集めて……! 明日まででいいわ」
「かしこまりました」
橋倉が、うやうやしく頭を下げる。
「何だ何だ、こんな軟弱そうな男に熱上げてんのかぁ? ガキには百年早いぜ」
ヒカリの様子を見たカゲは手を振ってせせら笑い、続いて「いっ!」と顔をしかめた。
橋倉が表向きは穏やかな表情でヒカリの側に控えながら、カゲの足を思い切り踏んづけたのである。ピアノの青年に釘付けのヒカリは気づいていない。
「橋倉」
「はっ」
番組がCMに入ったところで、ヒカリはようやく顔の向きを変えた。
「適当に報酬渡しといて。カゲに」
「承知いたしました」
(あいつ、報酬の話、聞いてやがったのか)
とてもそんな風には見えなかったが。
「ねえ、カゲ」
ふいに名を呼ばれ、ハッとなった。あのガキ、執事から聞いた名前を覚えてたんだ。それだけのことが、妙に胸に残る。
「明日から、私の護衛について。橋倉もありがと。下がっていいわよ」
カゲなんて、同業者が勝手に呼んでるだけだ。自分の本当の名前なんざ覚えちゃいない。だが。
(生意気なガキだが、人を引きつける素質はあるらしいな……)
財界の鉄人の血を引くだけのことはある。
「フン。俺は気まぐれだし、使われるのも嫌いなんだ。いつまでいるか知らねーぞ」
言いながら、カゲは内心ほくそ笑んだ。
金目のものをごっそり引き出すには、雇われておいた方が都合が良い。金持ちに恩を売っておいて良かった──。激しすぎるミッションだったけど。
「わりいな、オッサン」
部屋の外へ出たところで、苦虫を噛み潰したよう顔の橋倉に向かって言った。
「お嬢様は慈悲深いお方なのだ。くれぐれも裏切るような真似はするなよ」
橋倉に釘を刺される。
「そう言うしかねえよなぁ。お嬢様のご命令は絶対、だもんな」
カゲが頭の後ろで手を組んでニヤリとすると、舌打ちだけが返ってくる。
「俺の寝床は?」
「今考えとる。私のことは橋倉様と呼べ」
「頼む。トイレの近くにしてくれ」
さて──。
ヒカリは、泥棒と恋に落ちて
“危険な香り”系ブームの終焉。
これからの時代はピアノ男子である!
それからカゲは。まんまと胡桃沢邸に入り込めたと喜んでいるようだが、万能執事の監視のもと、大金を引き出すのはなかなか骨が折れそうだ。
今後の展開、覗いてみたいところだが。
それはまた、別の機会に──。
◇泥棒の章 おしまい◇
続きましては ~ピアノ男子の章~
お楽しみに!