ああ。
この夜空の向こうには、何があるのだろう。
生まれてから今まで、叶わなかった願いはない。
毎日、毎日、きれいでカワイイものに囲まれて。私は、この世でいちばん幸せな女の子。
でも、どこか満たされない。籠の中の鳥でいるのはもう飽きた。
自由に空を飛びたい。
連れて行ってほしい、誰か。
広い世界を知ってる誰かに──。
───
闇に支配される世界。一人の男が獲物を狙っていた。暗闇と同色のフードの下で、男の目は油断なく光る。
(あぅっ……)
男の身体が異常を知らせた。
(くそっ! こんな時にっ)
今回の獲物は大きい。
しかし──。男は身震いした。
(しかし、”コレ”が起こるってことは、止めといた方が良さそうだな)
意外にもあっさりと、男は引く算段を始める。伝ってきたロープにつかまると、男の姿はスッと消えた。動きが速い。一瞬の後には、男は既に屋根の上でロープを回収していた。
と。折悪しく、もう一つの人影が屋根の上に現れる。対峙する二つの影。
こんなところで油を売っている暇はない。男は、人影に向かって言った。
「同業者か? 止めときな。ここは、この後ヤバいことになるぜ」
人影は何も答えず、ただ男を馬鹿にするように肩をすくめる。
「忠告はしたぞ」
男は人影の挑発に乗ることなく、素早く姿を消した──。残された人影は、一拍置いて鼻で
(ヒヨッコが。この辺のパトロールは、もうとっくに終わってんだよ)
歌うように呟いて、瓦屋根の上をそろりと移動する。
ここの爺さんは多額のタンス預金をしている。人影は、高揚感にゴクリと唾を飲み込んだ。久々の大金だ。その時。周囲がパァッと明るくなった。
投光器だ。
見下ろせば、いつの間にか赤色灯を光らせたパトカーが数台で屋敷を囲んでいる。不意をつかれたせいで逃げ場を失った。
「畜生……!!」
悪態をついても、時すでに遅し。
男は駆けていた。後方でパトカーのサイレンが聞こえる。勘が当たったのだ。
彼の同業者たちは口を揃えて言う。その「勘」が羨ましいと。
(馬鹿野郎! 人の気も知らないで!)
時間がない。こんな時、男はいつも、自分の身体を呪いたくなる。
(俺は! ただ本能に従って、向かうべき場所を探してるだけだ……!)
トイレを──!!!
───
高級住宅街の夜は、それに相応しい
その一角に、ひときわ目を引く白亜の豪邸がドドンとそびえ立っている。セレブな方々が住まう屋敷も怖気づく大豪邸だ。
その豪邸の正面。二階の広い洋風バルコニーに、少女が一人たたずんでいた。
(私だって、胸がキュンとするような恋をしてみたいわ!)
先ほどから物思いに
彼女の祖父は財界の鉄人、
なるほど、よくよく見れば楚々とした雰囲気だ。しかし、茶色がかった大きな瞳だけは勝ち気に光っている。
彼女の側には常に護衛がつく。通うのは名門の女子校だ。恋愛対象になりそうな異性との交流は皆無である。十七歳というお年頃にもかかわらず、募るのは憧ればかり……。
今もわざわざレース生地のロングワンピに着替えて寒風にさらされているのは、「ロミジュリ」的展開に憧れてのことである。
雰囲気を出すため、部屋の灯りは消した。他の部屋と玄関ポーチの灯りにぼんやり照らされて、ヒロインの気分を味わうヒカリお嬢様である。
(ああ。誰か私を|拐《さら》って……)
世間というものを知らないお嬢様の妄想は、今宵も膨らんでゆく。
籠の中の自分を奪って行くのは、どんな人だろう。白馬の王子様は飽きた。ちょっと危険な香りがする方が良い。お嬢様の中では、ちょうどそういうのがブームなのだ。
実在した大泥棒をモチーフにした物語や、『小さくなっても頭脳は大人』な探偵が主人公の漫画に登場する『怪盗
(誰かと取り合ってくれたらもっと嬉しいんだけど……。家にはおじいちゃんと執事の橋倉と、他の使用人しかいないし)
妄想に浸りながら、妙なところで現実が顔を覗かせる。想像が広がらないのは世間知らずであるが故か。
ヒカリの両親は、ヒカリが小学校へ上がった頃に不慮の事故で亡くなっている。遺されたヒカリを可哀想に思った祖父は、ヒカリのことをとても過保護に育てた。
ヒカリは、祖父や使用人たちに常軌を逸するほど甘やかされて十七歳になった。
本当に
と、そこへ。高級住宅街には似つかわしくない足音が近づく──。