夜明け前──
左右にふらつくアルファザルトを、ケイオス、デニス、エルマーの3人が裏門から見送っていた。
生気を失った幽鬼のごとく。ユラユラと薄暗い道をすすむ灰色の影。
バイロン城から遠ざかっていく少年の背中に、少なからず同情を禁じ得ない大人たち3人だった。
「アイツ……あの状態で、ギルドの隠れ家までたどり着けますかね?」
犬猿の仲のケイオスでさえ、心配する始末。先ほどまでの軍議室での出来事に、三者ともほぼ同じ感想が漏れた。
「シルヴィアお嬢様に忠誠を疑われたら……俺も……あの銀製のゴブレットで……ウウッ」
3人のなかで一番顔色が悪かったのは、シルヴィアの護衛をつとめるエルマーだった。
言葉がつづかず、震えの止まらない護衛隊長の肩に、司令官デニスの手が乗せられた。
「大丈夫だ。シルヴィアお嬢様を怒らせてはいけないと、我々は骨の髄まで身に染みたじゃないか。それさえ忘れなければ、銀製のゴブレットなど恐れる必要は……」
ブルリと、司令官は全身を震わせた。
良くも悪くも取引は、シルヴィアの完勝に終わった。アルファザルトは心身ともに陥落させられ、今後、針の穴ほど逆らう気はおきないだろう。
徹底的に追い込まれ、最終的に茶を飲まされたアルファザルトは、間違いなく死を覚悟していた。
結果として、ただの茶であったが、しばらくは茶を見るたびに、今夜のことを思い出して飲めないだろう。
その見事な交渉術というか、もはや策謀というか。アルザの背中を押さえつけていたケイオスは、その凄みを真正面でみていた。
ダリアの朱印がある『出生証明書』を蝋燭の火で燃やすと脅し、それが嫌なら、ヒ素の疑いがある茶を飲んで忠誠を示せと迫ったシルヴィアの手腕は、数多の捕虜、斥候を自白に追い込んできた尋問官のような老獪さがあった。
ケイオスが舌を巻いたその姿は、デニスにとっても驚きだったようで、
「それにしても、いつも
複雑な表情のまま、固まってしまった。
「幼少のころからシルヴィア嬢を知るデニス司令官も、あのような冷酷……失礼、決然たる姿を、はじめてみたのですか?」
ケイオスの問いに、デニスは頷いた。
「良い意味で、シルヴィアはお嬢様に変化が現れたのは半年ほど前です。神殿にて魔力の過剰供給によって倒れ、昏睡状態から回復されたあと、それまで寄り付きもしなかった書庫に篭りだし……なんというか、人が変わったように聡明になって……」
「なるほど。我々は、慈悲深く聡明なシルヴィア嬢しか目にしていなかったもので、先ほどはその……ひどく驚いたのですが、デニス司令官もエルマー隊長もおなじだったのですね。元密偵部隊のアルザを、あそこまで追い込むとは……」
「おそらく、シルヴィアお嬢様は本来の能力を隠されていたのではないかと……聡明さも、あのような厳しく非情な部分も……」
収まりかかっていたエルマーの震えがぶり返してきた。
「それにしても、エルディオン殿下はさすがですね。護衛隊長という立場にありながら俺など、身体が硬直して顔が引き攣ってしまったのに――殿下は、いつもと変わらず接しておられて」
「いや、あれは……」
今度はケイオスの顔が引き攣った。
アルザとの面会終了後。シルヴィアを私室まで送り届ける役目を得たエルディオンは嬉々としていた。
『わたくしの命令なら、なんでもきくのよね。さあ、アルファザルト、一気に飲み干しなさい』
シルヴィアの独壇場となった軍議室で唯一、目を輝かせていたエルディオンの狂喜に満ちた金色の瞳を、ケイオスは忘れられない。
あの瞳はともすれば、自分が命じられたいと願っていた。
親愛を抱くとか、魅力を感じるといった範疇を軽く超え、羨望や憧憬。一種の女神崇拝に近い目だった。
ケイオスにとっては今夜、主君と崇めるエルディオンの隠すことのない執着、独占欲、欲望を、はじめて垣間見た衝撃の方が大きかった。
手際よく獲物を追い詰めていくシルヴィアの凍てつく碧眼に背中をゾクリとさせた自分のとなりで、ボソリと呟かれた言葉。
「ああ、最高だ」
性的なものをにじませたエルディオンの恍惚としたささやきに、ケイオスは全身の毛が逆立った。