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欲望と策謀(10)




 とても分かりやすく足取りが軽くなったエルディオンと、アルファザルトが待つ兵舎へ。



 「シルヴィアお嬢様、こちらです」



 出迎えに来てくれたエルマーに案内されたのは軍議用の広間で、暖炉には赤々とした焔が揺らめいていた。



「シア、寒くないか?」



 勢いよく燃える焔を背にしているので寒くはないが、



「えーと、室温は大丈夫なのですが……なんというか、いつもとは机の向きが、ちがうような気がして」



 自分から見て縦長に配置された長机に、シルヴィアは苦笑いを浮かべた。



 横長の間取りとなっている軍議室。



 いつもなら暖炉に対して並行に配置されている長机が、不自然に縦方向になっていて、その端と端。



 暖炉の反対側で温もりがほとんど届かないであろう壁際ギリギリの場所に、今夜も仏頂面のアルファザルト少年が座らされていた。



 武器を隠し持っていないか調べられたのか、防寒具のたぐいはすべて剥ぎ取られ、見るからに寒そうな格好をしている。



「話しをするには、ちょっと遠くないかしら? いつものように机を元に戻しましょう」



 その提案は、即座に却下された。



「相手は、プロキリア王国の元密偵部隊出身で、現在は傭兵ギルド『赤口』のマスターです。悪い噂しか聞かない凶悪ギルドですから、これぐらいが適正距離かと」



 そう云って、アルファザルトを睨みつけているのは、セロス山の警備から交替で、今夜バイロン城に戻ってきたばかりの第一騎士団ケイオス副団長。



 対して、見た目は少年でも、この道10年の二重間諜は、その言葉をせせら笑った。



「極悪傭兵だった『セント・セブンスの悪鬼』が、何をいってやがる。ずいぶんとお行儀良くなったもんだな。やっぱり王子様のとなりにいると、暴れ猿でも躾が行き届くらしいな」



「また、ずいぶんと昔のことを覚えているな。それに、小さい犬ほどよく吠える」



「猿は、もう少し賢いはずなのになぁ。挑発するだけで、芸がない」



 バチバチの火花が飛び交っている。シルヴィアは気づいた。



 この2人こそ、犬猿の仲だわ。



 その後。領主命令をチラつかせたシルヴィアは、軍議用の長机を元の配置に戻すことに成功。



 ようやく右目の下にある泣き黒子ぼくろを、はっきりと確認できる位置までアルファザルトとの距離が縮まった──のは、いいのだけれど。



 その結果、この前とおなじくシルヴィアの真うしろには、エルディオンがピタリと張り付き、狂犬アルザの背後には、暴猿のケイオスが不俱戴天の敵を見るような目つきで立っている。



 いつにも増して空気は悪いが、今回もまた、これが長机を縦方向から横方向に配置する条件なのだった。



 仏頂面を目の前に、さっそくシルヴィアは本題に入った。



「今夜、会いにきたということは、結論はでたのかしら?」



「さあ、どうかな」



 長机に頬杖をついただらしない姿勢で、アルファザルトは不敵な笑みを浮かべている。 



「今後1年、わたくしにだけ尻尾を振るというのが、取引条件よ」



 それに構わず、話しをつづけたシルヴィアだったが、



「今夜は美味しいお茶を飲みにきただけかもよ。まだ、用意できていないみたいだけど」



 面白おかしく、こちらの出方を試すようなアルファザルトの態度は変わらなかった。



 今回は事前準備ができているから余裕だよ、とでも云いたげな様子に──ああ、試されているな──と、シルヴィアの視線が冷めていく。



 少しでも良い条件を引き出そうとするアルファザルトの交渉術は悪くない。けれども、今回に限っては、相手の力量を見誤ったと反省するべきだ。



 なぜなら、期限付きの彼の命を握る交渉相手は、過去と未来を知る歴史学者にして、友人の考古学者デレクから「俺、賢い金持ちだけは怒らせずに、味方につけようと思う」と云わしめた、非情さを合わせ持つ令嬢なのだから。



「そうね。それならそろそろ、ご所望のお茶にしようかしら」



 悪役になることを厭わないシルヴィアは、用意してきたバスケットの中から飾り気のない大小のポットと木製のカップをとりだす。



 まずは、エルディオンとケイオスにテーブルにつくように云って、大きい方のポットから茶を注いでふるまう。



 つぎに扉の前に立つデニスとエルマーを呼んで、席につかせた。同じく大きなポットから茶を注ぐ。



 自分用にも1杯淹れたところで、シルヴィアが持つ大きなポットは空になった。



 残りのカップはひとつ。最後のひとつだけは、銀製のゴブレットだった。



「交渉相手から出された飲み物は警戒するかもしれないと思って、まえもって銀製を用意したわ。どう、気が利くでしょう」



 事前準備をしていたのが、自分だけだと思っていたのなら、アルファザルトの能力を下方修正しなければならない。



 これは、手を差し伸べる価値がある命かどうか、見極めなければ──



「密偵部隊にいた貴方なら知っていると思うけど、水溶性の毒といえば、無味無臭のヒ素よね」



 余裕を見せていたアルファザルトの背中に緊張が走ったのを、シルヴィアは見逃さなかった。



「この数日間、貴方は考えていたでしょうね。シルヴィア・バイロンは本当に『出生証明書』の在りかを知っているのか……と」



 シルヴィアの真意を探るように見つめてくる榛色の瞳からは、もう余裕は感じられない。



「交渉ごとにおいて、わたくしには厳格なルールがあって、相手がこちらを試してくるのなら、こちらも同じように相手の度量を試すことにしているの」



 小さいポットを、シルヴィアは手にした。



「さて、アルファザルト・ブロイア。わたくしがこれから、貴方に振舞うのは、美味しいお茶かしら、それともヒ素入りのお茶かしら」






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