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不遇の王子様(5)



 揺れる馬車の中。



 ケイオスのとなりに座ったエルディオンは、車窓に映るシルヴィアの横顔をチラチラと見ていた。



 ——綺麗だ。



 王族、貴族に限らず、エルディオンがこれまで目にした女性の中で、シルヴィア・バイロンは最も美しい人だった。



 宝石のように輝く碧眼と艶やかな金髪。



 柔らかなそうな白い肌と薄紅色の頬。



 形のよい唇は、笑うとさらに魅力的で、彼女の笑顔につられてしまい、気を抜くと頬が緩みっぱなしになってしまう。



 母上が亡くなってから、こんなことは久しくなかったのに——



 今朝、賊軍の奇襲を受け、防戦するさなか。



 脇腹に敵の一撃を受けたあとの記憶はひどく曖昧で、レグルス辺境領に逃れたあたりで、意識が途切れた。



 疲れ果てていた。



 もう指一本すら動かせないほど身体は重く、混濁する意識のなか、自分が生きているのか、死んでいるのか、それすら判らない。



 このまま死ねるなら——それもいいかと、正直思った。



 命令されるがまま戦いに赴き、ここ数年、自分が何者であるかを忘れてしまう日々を過ごしてきた。



 母上の死の真相を突き止めるまでは、決して死ねない。



 そう強く決意したのに、いつしか心は、身体よりも先に疲れ切っていた。血を流して命を奪い合う日々の残酷さに、感情が失われていく。目的を見失っていった。



 俺は、何のために血を流すのか。



 国のため、国民のために戦っているのか。



 そうであるならば、この先には何がある?



 数日後を想像しても、数年後を思い描いても、何も浮かばない。黒く塗りつぶされた絵をみせられているようだった。



 幸せだった幼き日々。緑あふれる庭園で描かれた母と自分の肖像画を、エルディオンは思い出した。



 明るい陽射しのなかで過ごす穏やかな日々は、もう二度と訪れない。この先につづくのは、死に場所を求めて彷徨いつづける日々だ。



 苦しみつづけて生きる意味とはなんだ?



 自問すればするほど、生きることへの執着が失われていく。



 この先にあるのが死であり絶望ならば、もう待つ必要なない。いっそ、自分から、黒く塗りつぶされた未来を手放せばいい——



 生きることを放棄しようとしたときだった。



 強烈な光が浴びせられる。あまりに眩しすぎる光に抗うことができずに、吸い込まれていく感覚だった。



 光のなか、声が聞こえた。



「エルディオン・プロキリア、生きなさい! ここで、死んではいけない! 負けないで、貴方は誰よりも強いから、もっと輝けるから!」 



 俺の名を呼ぶ、キミはだれ?



 強烈な光に呼び醒まされたとき。



 視界いっぱいに広がった輝く太陽のような金の髪と、澄み切った青空のような碧眼。このうえなく、美しい色彩を持つ『キミ』がいた。



 ああ、絶望の中で見つけた美しい『キミ』を、ずっと見ていたい。



 笑えるほどあっさりと、まだ死にたくないと思った。



「……俺、生きているのか」



「はい、殿下は生きています」



 美しい『キミ』がそう云って一滴ひとしずくの涙をながしたから、俺は——生きて『キミ』を護らなければ——と、漠然と生きる目的を得ていた。



「わたくしのことは『シルヴィア』か、愛称の『シア』と呼んでいただいて構いません」



〖 シルヴィア 〗



 聖なる森の乙女に由来するその名は、彼女にふさわしかった。



 いつか自分のことも愛称で呼んで欲しいと願いながら「シア」と呼ぶ許しを得たことに高鳴る胸を押さえつけ、慎重に彼女の手を引いて森を抜ける。



 いいようのない幸福感に包まれ、このまま森を彷徨いつづけたい——と、まで思った。



 馬車に乗り込んだとき、汚れにまみれたケイオスの顔を見て、現実に戻された気がした。



 きっと俺は、それ以上に汚い。血と汗と埃にまみれている。



 馬車に揺られる間。



 薄汚れた自分の手を見て溜息を吐き、車窓に映るシアをチラリと見て、うっとりする。



 それを何度も繰り返しているうちに、憧れのバイロン城へと到着した。





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