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不遇の王子様(2)



「こちらです」



 涙をぬぐい、顔をあげた騎士と洞窟の奥に向かったシルヴィアは、覚悟はしていたものの、その惨状に足がすくみそうになった。



 血臭が漂う洞窟内は、まさしく生死の狭間。



 矢が刺さったままの肩や背中。ありえない方向に曲がった手足。誰しもが息も絶え絶えに、血と汚れにまみれて倒れ込んでいた。



 まだ意識のある騎士たちの両眼は一様に血走っていて、洞窟のさらに奥へと向かうシルヴィアと護衛には、激しい殺気が向けられた。



 もし、先を歩く騎士がいなかったら、敵の間者とみなされて、刃を向けられていたにちがいない。



 シルヴィアを護るように、先を行く騎士が声をあげる。



「お前たち、この御方に絶対に剣を向けるなよ。こちらの御令嬢は、元プロキリア国軍総帥にしてレグルス辺境伯マクシム・バイロン閣下の御息女シルヴィア・バイロン嬢だ」



 一瞬にして空気が変わった。



 父・マクシムの名が告げられたとき、殺気が霧散して、騎士たちの血走った眼が和らいでいく。



 この空気に、少し落ち着きを取り戻したシルヴィアは、うしろにつづく護衛三人に命じた。



「洞窟の入口を死守しなさい。バイロンの者以外が近づいたら、迷わず斬りなさい」



 帯剣した護衛を自ら遠ざけたシルヴィアに、騎士たちのまとう空気がさらに和らいでいくのを感じつつ、急ぎ足ですすんだ洞窟の奥には、血に染まった黒髪の青年がいた。



 それがエルディオン・プロキリアであることは、容易にわかった。



 全身から血を流すエルディオンの傍らにうずくまった騎士たちは、必死に声をかけている。



「殿下、しっかりしてください!」



「目を開けてください!」



「団長! ダメだ!」



 しかし、すでに意識はなく、息づかいも弱い。



 あまりの状態の悪さに、シルヴィアは焦った。



 命の灯が消えてしまえば、いくら治癒魔法をそそぎこもうとも、エルディオンは助からない。



 急がなければ。一刻の猶予もない。



「どいて!」



 騎士たちを押しのけ、血に染まった胸に両手をあてたシルヴィアは、光の魔力を一気に注ぎ込んだ。



 高濃度の光の魔力が、エルディオンの全身を包み込む。



 突然のことに、押しのけられた騎士たちは一時呆然としたが、何が起きているのかを理解すると、祈るようにシルヴィアを見つめた。



「頼む、助けてくれ」



「どうか、どうか……」



「殿下を……救ってくれ」



 間に合って!



 光の魔力を注ぐことで、エルディオンの状態がいかに悪いかを知ることになったシルヴィアは、身震いした。



 複数の骨折に内臓の損傷。何よりも血を失い過ぎている。



 かつてないほどの急速の治癒魔法で、シルヴィアの額からは汗が吹き出し、呼吸も荒くなる。



 死が訪れるのが先か。治癒魔法が命をつなぎ止められるか。



 ギリギリの状態で生死の境にいるエルディオンに、シルヴィアは思わず声をあげていた。



「エルディオン・プロキリア、生きなさい! ここで、死んではいけない! 負けないで、貴方は誰よりも強いから、もっと輝けるから!」 



 数秒後、ゴホッ——と咳き込んで、金色の眼がわずかにひらいた。



 ああ、良かった。



 安堵したシルヴィアの碧眼から、ひと筋の涙が流れ落ちて、エルディオンの頬を濡らした。



 かすれた声が洞窟に響く。



「……俺、生きているのか」



「はい、殿下は生きています」



 これがシルヴィアとエルディオンが交わした、最初の言葉だった。



 エルディオンの治癒に総魔力の半分を使ったシルヴィアは、その後も重傷の騎士たちから、応急処置の治癒魔法を施していく。



 そうして、ひと段落ついたころには、シルヴィアを見つめる騎士たちの眼差しは、明らかにおかしくなっていた。



「傷がふさがった……こんなことって、夢なのか」



「まさか、ここで光属性の……しかも治癒魔法の使い手に出会えるなんて……」



「ううっ、死ぬかと思った……神サマぁ」



 いつしか全員が拝むような仕草でシルヴィアを囲み、光の魔力を使うたび、四方から歓声があがる。



 どうしよう、とっても、やりづらいわ。



 瀕死のエルディオンを治癒したときとは、また別の汗がシルヴィアの額から流れていく。



「あの……殿下」



 居心地の悪さを察してもらおうにも、騎士団長であるエルディオンがとかく、



「バイロン嬢、貴女は命の恩人であり、我々騎士団の救世主です。これほど美しい光の魔力は見たことがない。貴女の背中からあふれる光は、天使の翼のようだ」



 目を輝かせて褒め称えてくるので、どうにもならない。



 あきらめたシルヴィアは、入口の見張りに立たせていた護衛を呼び寄せ、追っ手の有無を確認した。



「いまのところ、追っ手はありません。しかし周辺を、冬眠前の獣がうろついていて危険です」



 報告を受け、



「殿下、これより我らの城へ参りましょう」



 バイロン城への移動を促したのだが、それまで輝いていたエルディオンの目が陰りを帯びて伏せられた。



「ありがとうございます。その御厚意だけで十分です。我々は、ここで夜を明かします。明日、体力が回復次第すぐに発ちますので、どうか、それまではレグルス辺境領内にとどまることをお許しください」



「そんな……いま施した治癒魔法は、応急処置にすぎません。どうか、城でお身体を休めてください。父が不在のため、満足なおもてなしはきないかもしれませんが、それでも、この洞窟よりは城の方がいいはずです。食料だって……」



 しかし、エルディオンも第一騎士団の面々も頑な態度を崩そうとしない。



「ご心配なく。携行食がありますし、すぐ近くには泉があるので飲水にも困りません。それに、いざとなれば獣を狩って新鮮な肉にもありつけますので」



「日が暮れると寒さが増します。我々は慣れていますが、バイロン嬢はどうぞお早めに帰城ください」



 口々に感謝はすれども、明らかな一線を引いてきた——が、しかし。シルヴィアの方にも、引き下がれない理由があった。



『不遇の星の王子様・救済作戦』



 負傷した彼らをバイロン城でかくまうことが、その第一歩なのだから。








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