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バイロン城(3)



 現代語での自叙伝の清書を終えると同時に、安静期間も終了した。



 自由に動き回れるようになったシルヴィアが、まず向かったのは、城内にある書庫。



 手元にある主観だらけの自叙伝では、事実関係を中心に不可解な点が多く、内容を精査するためにも、より詳しく正確な情報が必要だった。



 七聖大陸の勢力情勢に加え、プロキリア王国の過去から現在までの資料を集め、朝から晩まで読みあさる。



 およそ100年分の膨大な量ではあるが、滅亡した王国とバイロン家について研究していた歴史学者にとっては、宝の山でしかなかった。



 連日、書庫に篭るシルヴィアを見て、顔色を悪くしたのは侍女のエマだ。



「お嬢様……いったいどうされたのですか。三行以上つづく文字列には、拒否反応を示されていたのに。まだ、どこか具合が悪いのでは」



「大丈夫よ。いたって元気だから安心してちょうだい。たぶん、これまでになく大量の魔力を一度に失って、知識欲に火がついたのかも」



「お嬢様が知識欲ですか……」



 両親もまた、シルヴィアの異変に気付くと大いに狼狽えた。



 初代バイロン家当主でありㇾグルス辺境伯領の父マクシムは、すぐさま医師を呼んだが、「異常は見当たりません」と告げられ、頭を抱えた。



「どうした、シルヴィア。身体が悪くないなら、何か不満があるのか? 云ってみなさい。云わないとわからないこと方が、世の中にはずっと多いのだから」



 母・カリーナは、愛娘を抱きしめる。



「お勉強なんか出来なくなくても、貴女を愛しているわ。心配しないで、シルヴィア。辺境伯領主になるのが重荷なら、そんなものは優秀な婿を迎えればいいし、貴女が望むなら、数字に強くて賢い養子を探しましょう」



「お父様、お母様、どうぞご心配なく。魔法につづき、勉強に励むという、素晴らしい才能が、ようやく芽生えたにちがいありません」



 取って付けたような云い訳を信じてもらうのに、多少の日数は要したものの、それから1か月——



 バイロン城では、だれよりも計算が早く正確で、多言語を読み書きできるようになったシルヴィアに、惜しみない称賛がおくられるようになった。



 夏が過ぎ、秋を迎えたレグルス辺境伯領の山々は、紅葉に彩られていた。



 プロキリア王国の西側に位置する辺境領は、比較的温暖な気候ではあるが、やはり冬になると、雪を降らせる北西の風が強く吹き、寒さが厳しくなる。



 バイロン城にある領主の執務室では、冬支度の予算割り当てをしたシルヴィアが、父・マクシムに報告していた。



 帳簿をめくりながら、王城の財務官並みに予算を編成してみせた愛娘に、父・マクシムは「そうか。それでいい」と、頷くだけで良かった。



 転生前、歴史学者ではあったが、稼業である商会を手伝っていた経験から、予算のやり繰りは慣れたものだ。



「それではお父様、このまま進めさせてもらいます」



 魔法の才能は突出していたが、良くも悪くもそれだけだった愛娘が、一気に聡明になったのは初夏のこと。



 極度の本嫌いだったのが、夏の間ずっと書庫に篭り、



「もう、ほとんど読み終えました」



 歴史書や経済学の蔵書を中心に読破してしまったときの父・マクシムの動揺といったらなかった。



 それから数か月足らずで、領内の内政を任せられるまでに娘が成長したことは、まさしく神のお恵みとしか云いようがなく、それならばと——



「神に感謝の言葉をお伝えしなければ」



 王都の中央神殿で開かれる『新年祭』に参列し、大陸を守護する七聖神に感謝の祈りを捧げることにした。



 そのため、数年ぶりに冬季を王都で過ごすことに決めたレグルス辺境伯夫妻は、来週、領地を出発する予定となっている。



 両親が不在の間、領主代行をつとめるシルヴィアは、すでに使用人たちから絶大な信頼を得ており、



「これは、シルヴィアお嬢様にお伺いしましょう」



「シルヴィアお嬢様に確認してもらおう」



 執事や家令の多くが、領主室よりもシルヴィアの私室を訪れることの方が多くなっていた。



 そうして、王都に出発する両親を見送った日。



 私室から領主室に移動したシルヴィアは、窓から見える北西の山脈を眺めた。



「そろそろね」



 およそ1カ月に迫ったエルディオン・プロキリアとの遭遇。それを前に、あらゆる対策を記した『新たな自叙伝』をシルヴィアは開いた。



 エルディオン・プロキリアは、まさしく不遇の星のもとに生まれた第一王子だ。



 国王と王妃の第一子であるエルディオンは、本来であれば『王太子』となっていたはずだった。



 しかし、風向きが変わったのは、現国王が侯爵令嬢ヘレネを側妃に迎えてからのこと。



 エルディオンの母である王妃モリアーナが不審な死を遂げ、一気に権勢を振るいだした側妃ヘレネは、自身の息子である第二王子リュカリアスを王太子にのし上げ、つづいて生まれた第三王子マーカリオスを、王位継承権第二位とした。



 このときすでに、側妃の実家であるデロイ侯爵家を中心とした派閥が貴族院を席巻しており、国王も譲歩するよりほかなかった。



 その後、側妃ヘレネの策により、16歳のエルディオンは王都を追われるように戦場へと出征。



 エルディオン率いる第一騎士団は、戦争終結後も王都への帰還が許されず、今も国境沿いで残党や賊軍を相手に戦いつづけている。



 現代語で清書された『自叙伝』から顔をあげたシルヴィアは、北西に連なる険しい山々に、ふたたび目を向けた。



 今ごろ、国王直轄地である険しい山岳地帯に潜んだ賊を相手に戦っているはず……



 兵力の少なさに加えて、不利な地形。



 前世で読んだ歴史書にも記されているくらい、劣勢がつづく激しい戦闘で、エルディオンが深手を負うのは間近だ。



 残念ながら、すでにはじまっている戦闘を止める手立てはなく、父の代行として領地を預かっている以上、シルヴィアが領内から出ることはできない。



 待つしかなかった。



 深手を負った彼らが、山岳地帯からレグルス辺境領へと逃れてくる日を——







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