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バイロン城(1)



 これより数時間前──



 七聖大陸暦714年のレグルス辺境伯領のバイロン城の私室にて、シルヴィアの身体で目覚めたのは、日付をまたいだ深夜だった。



 時間が時間だけに、周囲に人がいないのは良かったが、最悪の目覚めである。



 目覚めて早々、なんとも不可思議な感覚をシンシアは覚えた。不快さはないものの、ゆっくりと波打つ、うねりのようなものが全身を巡っている。



 日常生活において、脳内で血の循環を感じるなんてあり得ないのに、それに近い感覚は違和感でしかない。



 しかし、恐ろしいことにシルヴィア・バイロンの身体に転生して数分も経たないうちに、この違和感をシンシアは受け入れつつあった。



 2000年の時空を逆行し、祖先の身体に転生するという奇天烈な事象を前にしても、取り乱すことなく、どこか泰然と構えていられるのも、身体に宿るこの感覚を知っているような気がするのも、バイロンの血が流れる子孫だからだろうか。



 もとより研究者気質のシンシアだけに、これらの事象についてもっと考察したいところだが、その時間を与えないとばかりに、枕元には《さあ、気づけ》といわんばかりに、白い砂漠で投げ渡された宝石箱があった。



 もう、開けるしかない。



 煉瓦ひとつ分くらいの大きさ。銀細工の装飾が美しい箱の蓋には、薄暗い中でもしっかりとわかるくらいに大きく、レグルス辺境伯領の領主バイロン家の家紋があった。



 発掘現場の石板に刻印されていたのと同じ『双剣と月桂樹』の紋章。



 シンシアの指先が紋章をなぞったとき、体内に感じていた波動が共鳴する。カチリと、箱の内側で錠がはずれる音がした。



 宝石箱に伝導した波動が、鍵の役割を果たしたのは明白だった。現代でいうところの指紋認証のようなものだ。鍵穴のない宝石箱は、おそらくシルヴィアでしか開けられない仕組みになっているのだろう。



 ゴクリと喉を鳴らし、宝石箱の蓋を開ける。



 淡い光があふれだして──



 パタンと、すぐに閉めた。



 今しがた、自分が目にしたモノが、本当か、どうか。



 また、そっと蓋を開いて、シンシアは確信した。



 これ、魔法遺物アーティファクトだわ。



 博物館に展示されているレプリカを見たことはあった。



 古文書や文献で、数千年前の魔法全盛期、大いなる魔力を秘めた工芸品が作られたという記述を目にしたことはあったけれど。



 まさか、そのひとつを実際に拝む日がくるなんて……



 宝石箱アーティファクトを持つ手が震える。



 蓋が開けられた宝石箱の中には、淡い光を放つ魔力の渦があって、しばらく見つめていると、渦からは古びた皮表紙の本が現れた。



 煉瓦サイズの箱には、到底、収まりきらない大きさの本が出てきたところをみると、この宝石箱アーティファクトは、いわゆるイベントリー機能が内蔵された容量無制限の魔法空間なのかもしれない。



 その認識が間違っていなかったことは、革表紙の本を開いたときにすぐにわかった。



 宝石箱の魔力の渦から、最初に革表紙の本が出てきた理由。



 それは冒頭にて理解できた。



『シルヴィア・バイロンとなる者へ この魔法遺物を贈る』



 このときシンシアは、祖先から二度目のロックオンをされた気がした。この転生は、祖先・シルヴィアによって完全に仕組まれたものだったのだろう。



 冒頭につづく一文には、



『とにかく読んで。読めばわかる。色々いいたいことはあると思うけど、運が悪かったと思ってあきらめて。いいことも、きっとあるから』



 なんだこれは……



 子孫をいきなり転生させておいて『運が悪かった』で済ませようとするのは、あまりにいい加減すぎる。



 適当さ加減に呆れながらも、宝石箱から煌々こうこうとあふれる魔力を照明がわりに、本の頁をめくっていく。



 ひととおり読み終えたとき。自分が歴史学者で良かったと、シンシアはこの夜ほど思ったことはなかった。



 もしも、古代言語に精通していなかったら、綴られた古字を一文字も読むことはできなかったし、もしも、滅亡したプロキリア王国の歴史を知らなければ、支離滅裂な内容の半分も理解できなかっただろう。



 革表紙の本の正体。



 これは、ありのままに綴られたシルヴィア・バイロンの『自叙伝』であり、逆行転生する子孫のための『転生説明書』といえた。



 雑多に綴られた七聖大陸暦714年以降の数十年。この自叙伝をシルヴィア・バイロンが書き綴ったのは晩年だろう。



 なぜなら、バイロン家が隣国に渡り、商会を設立したあたりで説明が終わっているからだ。



 もう一度、パラパラと頁をめくりながら、深い、深い、溜息がシンシアから漏れた。



「彼女、お世辞にもお勉強ができたとはいえないわね」



 『自叙伝』は、或る意味、難解だった。



 古代大陸言語に精通している歴史学者をもってしも、解読に数時間を要するほどで、「わかるよね」といわんばかりに省略された文章は時系列がバラバラなうえ、誤字脱字だらけ。



 何をいいたいかは伝わるが、子どもの手紙だって、もう少しまともなんじゃないかという文章力のなさは、読み進めるシンシアに苦痛を与えてきた。



 貴族令嬢としての聡明さは残念ながら微塵も感じられず、それは本人も承知のようで、『自叙伝』の中盤にて、子孫に向けてこう断言していた。




* * * * *




わたしに知識と教養がないのは、仕方がないと、さっさとあきらめて。


その方が、お互い楽だから。


これでも、枕を叩きながら千回は思ったのよ。


もっと、わたしが賢かったら~って。


でも、無理だわ。


文字を読むと急激に頭が痛くなるし、内容を理解しようとすると今度は恐ろしいほど眠気が襲ってくるのよ。


これを書き残しているだけでも、相当な努力と忍耐力が必要なんだから。


やっぱり魔法の方が一万倍楽だわ。


そうそう、いっておくけどわたし、治癒魔法の天才なのよ!



* * * * *





「ここまでくると、いっそ清々しいわね」



 下手に取り繕うことをせず、自分の強み、弱みを知った上で、肯定できるのはいいことだ。



 自身が為すべきことを、子孫に委ねなければならなかった胸中を、祖先シルヴィアは赤裸々に語っている。







* * * * *


悔しいけど。


あと何回やっても、あの女には敵いそうにない。


あの女っていうのは、もうわかっているわよね。


名前を書くだけでイラつくから、もう書かないけど、


とにかく、陰険で陰湿。嘘つきの天才。


どうやったら、そんなこと思いつくの????


って、感じの悪魔みたいな女だから。


会って話せば、すぐにわかるはず。


ああぁぁ、腹立つぅぅ!!


とにかく、わたしの代わりに、あの女をコテンパンにするのよ!


そして、何より大事なのは、


誰よりも優しくて、傷つきやすくて、我慢ばかりしてきた不遇の王子様。


エルディオン・プロキリアを、暴君にしないこと。


彼を幸せにしてあげることだからね。


それじゃあ、あとはよろしく。



* * * * *








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