(このひと、あたしより圧倒的に強いっっっ!!)
エーリカは全身の毛が逆立つような感覚に襲われる。この1年半、
「あなたもしかしてかの高名な剣王なの!!」
「ほぅ? 剣王とはどの剣王のことだ? マンチス・カーンか? それともシノジ・ザッシュのことか?」
エーリカはキョコーにジロリと睨まれる。まさに蛇に睨まれたカエルとは今のエーリカの状態を指しているとも言えた。エーリカの額から汗がひとすじ流れ、それが顎先で珠となって、石畳を打つことになる。エーリカはその時間がまるで永劫かのように感じるのであった。指先ひとつでも動かせば、この獰猛な虎に頭から丸ごと食べられる。そんな気がしてならないエーリカであった。だが、エーリカはグッと喉に力を込めて、キョーコのひとりごとに似た独白を聞く。
「ふんっ。老剣王が死んでから早10年かい。シノジ・ザッシュとマンチス・カーンとの戦いを見れたのはさぞ幸運なことだわい。しかしだ……。今のシノジ・ザッシュは10年前よりも遥かに強くなっとった。そう、現拳王であるこのキョーコ・モトカードよりもなぁ!?」
キョーコの顔には自虐めいた笑みが浮かんでいた。エーリカはそこで気づくことになる。自らを拳王と呼ぶこの女性が何故、酒に溺れているのか。そして、何故、今現在、ホバート王国に居るのかを。
その答えはただひとつ。拳王:キョーコ・モトカードは現剣王によって、テクロ大陸本土から追い出されたということだ。その事実を察するや否や、冷え切った身体の奥底から熱が溢れ出すエーリカであった。
「あたしは剣王並びに、他の武王をぶっ倒して、自分の国を興す予定なのっ! まさか本物の武王のひとりがわざわざ、あたしに討ち取られに来たことに喜びを感じるわっ!」
「くはぁぁぁ! こりゃおもしれぇ
「あたしの剣のお師匠様?? それが何かと関係するわけ??」
「大有りよ。
アイス・キノレ。彼女はオダーニ村に流れ着き、そこで村の守り人となった。そして、幼い頃のエーリカがアイス・キノレに弟子入りし、旗揚げの時まで、アイス・キノレはエーリカに剣を主とした武術を叩きこんだのだ。しかしながら、エーリカがアイス師匠から授かったのは武術のみではない。アイス師匠は軍学にも明るかった。大魔導士:クロウリー・ムーンライトに比べれば、アイス師匠が教えてくれた軍学はそれの基礎としか言いようがなかったが、それでも、エーリカはアイス師匠のことを誉れ高き人物だと考えていた。
「アイス師匠を侮辱するなら、あたしが許さないっ!」
「ふんっ。ヒトの良い弟子を取ったもんだな。うちもおめえさんのような可愛い弟子が欲しかったよ。でもなぁ?」
「でもって、何よっ!」
「全員、うちのしごきに耐えきれなくて、壊れちまったぁぁぁ……」
「それはあなたの都合でしょうがっ! アイス師匠に当たらないでよっ!」
エーリカの啖呵を受けても、なお、キョーコはガーハハッ! と豪快に笑ってみせる。拳王がつけてくれる訓練とやらには興味がそそられるが、それで弟子をぶっ壊していいかどうかなど、師として当たり前に持ち合わせているはずの常識を持っていないと断言してやりたくなるエーリカであった。
アイス師匠はエーリカに厳しかったが、それでも愛情をたっぷりと注がれたと感じていた。無茶をさせるが、無理はさせなかった。エーリカの成長に合わせて、訓練をつけてくれたのだ、アイス師匠は。だからこそ、エーリカは黙っていられなかった。
「あんたの言いたいことはなんとなくわかってる。昔、アイス師匠とあんたの間で争いごとが起きて、それでアイス師匠が負けたとかどうかなんでしょっ! でも、弟子ひとり満足に育てられなかったあんたと比べたら、アイス師匠のほうが1万倍立派よっ!」
「ほぅ……。どこまであの不愛想がしゃべったかは知らんが、おぬしの想像していることは割りと当たっていそうだなぁ? まあ、続きは医務室で語ってやろうて」
「いむし……つ?」
エーリカはいったいぜんたい、拳王が何を言いたかったのか、わからなかった。その前にズドンと突きあげるような衝撃がエーリカの腹の中心に走ったからである。その衝撃を受けてからすぐ後、エーリカは宙を舞っていた。何故に自分が今、大空を見上げているのか、わからなかった。だが、エーリカはすぐに自分の状態がどうなっているかに気づき、受け身を取ろうとする。
しかし、エーリカが石畳の上に着地することは無かった。今度は背中側に鋭い衝撃を受け、エーリカはまたしても大空高く舞い上がってしまうことになる。エーリカはグゥッ! と背骨に走る痛みを堪える息を吐き、その大空を舞う中で、体勢を整えようとする。
そのエーリカが石畳の方へ視線を向けると、獰猛な虎が口を大きく開いて、獲物が落下してくるのを待っていた。キョーコは両手を虎の手の形にしつつ大きく開き、エーリカが落下してくるのをまだかまだかと待ちあぐねいていた。エーリカはこのままでは、キョーコによって一方的になぶられるだけの存在になろうとしていた。
その時であった。エーリカの左手の甲に浮かぶ強欲の
キョーコは目くらましの類かと思うが、その輝きから一切、目を逸らそうとはしなかった。さすがは武王のひとりと呼ばれる女だけはある。エーリカは左手を手刀の形にして、それをキョーコに突き立てようとしたのだ。キョーコは振り下ろされてくる一撃を左肩で受け止める。
ズシンとした大岩がのしかかってきたような衝撃をキョーコは左肩に受けるが、それでもエーリカの左腕全体を柔らかく両腕で包み込む。さらには背負い投げに似た投げ方で、エーリカを空中から石畳の上へと叩きつけたのだ。エーリカは思わず、口から血反吐をまき散らす。
だが、エーリカはそれでも戦意喪失はしていなかった。キョーコの両腕に包み込まれていた左腕をスポッと抜く。そして、抜いた次の瞬間には握りこぶしを作り、自分にのしかかってきていたキョーコの顔面に向かって、無理やりフックを叩きこんだのだ。キョーコはたまらず、エーリカから身を放す。そして、曲がってしまった鼻に右手で喝を入れ、さらには沸いて出てきた鼻血をブッ! と石畳に吹きかけた。