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第9話:タケルの過去

「あーーー。なんだろうな。ついあっさりと決着をつけちまった。俺はエーリカの雰囲気に飲まれてたのかもしれん、あの時は」


「タケルくんらしくないですね。親衛隊長というのは大将のもうひとつの良心なのです。それなのにエーリカくんに飲まれるのはいかがなものかなと忠告しておきますよ」


「へいへい。小言はそれくらいにしといてくれ。俺としても反省点だとわかってんだからさ」


 タケルはそう言うと、黙って酒の入った杯をクロウリーへと差し出す。クロウリーはクスッと笑顔を零して、その杯に自分の杯をこつんと当てる。そうした後、ふたりは杯の中身を一気に飲み干し、月見を楽しむのであった。


 次の日、エーリカは少し不機嫌であった。タケルは何かエーリカにやらかしたことでもあったのだろうかと頭を悩ませる。しかし、エーリカの言葉を聞いて、ぶふっ! と噴き出すタケルであった。


「わるかったわるかった。エーリカが酒を飲める18歳になった時は仲間外れにしないようにするからさっ。機嫌直してくれよ」


「大人ってずるいわよねー。あたしたちにはジュースで乾杯しとけって言っておいて、自分たちは気持ちよさそうに酔っぱらってるもんねー」


 100の僧兵を無傷で完勝したオダーニ村はそれぞれの家でどんちゃん騒ぎであった。集落の喧噪を遠目に昨夜はクロウリーとタケルは月見で一杯としゃれこんでいたのだ。エーリカの家で成人してないのは、もはやエーリカのみである。エーリカの5歳年上であるメジロトリーでさえも、この完勝は喜ばしいものであり、めったに飲まないお酒を楽しんでいたのだ。


 家族の中でひとり、仲間外れっぽくなってしまったエーリカは自分たちが掴んだ勝利ではあったが、その祝勝会がなんとなく面白みに欠けていたのだ。ちょっとくらいいいじゃないのーとパパやママに頼んでみたものの、未成年の飲酒は絶対に駄目だと叱られてしまっていた。


「あたしも早く祝勝会でお酒を飲んでみたいなー」


「先日のエーリカの手腕を見るに、これから先、どんだけでも祝勝会を開けそうだから、楽しみはもうちょい先まで取っておきな。あと1年。そうかあと1年かー。エーリカが大人になっちまうのか」


「なによ、急にパパみたいにしんみりとしたこと言わないでよ。それとも未成年のほうが好みだったりするの?」


「いやいやいや。未成年相手はただの犯罪だ」


「じゃあ、10歳年下相手だとどうなるわけ?」


「うぐっ。それはそれで犯罪チック……だな」


「ウケるーーー! ちょっと笑わせないでよー! お腹がよじれちゃうーーー!」


 エーリカはお腹がよじれるのを我慢できずに草むらで転げまわるのであった。タケルが変に真面目に受け答えするのがおかしくてしょうがない。笑われているタケルは憮然とした表情だ。しかしそれでも笑い止まらないエーリカにタケルはこいつちょっとこらしめてやろうと思った。


「やめてーーー! お腹とれちゃうぅ!」


「俺をからかって笑いが止まらないやつには笑い地獄の刑だっ!」


 タケルはそう言いながら、エーリカの脇腹をこしょこしょと両手でくすぐったのだ。エーリカは笑い地獄に落とされてしまい、しまいには笑いながらの泣き顔になってしまった。そんなことをかれこれ3分ほど続けたタケルは刑はおしまいとばかりにパッとエーリカの脇腹から手をひっこめるのであった。


 エーリカは木陰が差し込む草むらの上で大の字になりながら、5月の青空を仰ぎ見る。その状態からぼそっとタケルに質問をする。タケルは何だってそんなことを今聞くのかと問い返す。


「セツラお姉ちゃんって、タケルお兄ちゃんのこと好きだと思うんだよね。時折、タケルお兄ちゃんの背中を目でおっかけてるもん」


「そりゃただ単にあぶなっかしくてほっとけないから目で追っかけてるってヲチなんじゃねえのか?」


「そんなことないと思うよー。タケルお兄ちゃんって、たまにほんのたまーーーにかっこいいところあるから。うちの血の繋がったお兄ちゃんは終始、かっこ悪いけど、タケルお兄ちゃんは違うじゃない」


「それ、褒めてんのか? てか、俺はセツラに対して何の感情も持ち合わせていない」


タケルはきっぱりとそう断言する。エーリカがひっどーい! と言うがしったこっちゃないという雰囲気すら醸し出していた。


「タケルお兄ちゃんって、セツラお姉ちゃんに気が無いとしたらどんな娘が好みなわけ?」


「うーーーん、そうだな。俺は……」


 タケルは何かを言いかけた瞬間、頭の奥にズキンと鈍い痛みと音が鳴り響くことになる。タケルはこめかみに右手の指を持っていく。だがその痛みに抗ってでも言わなければならない言葉があるような気がしてならない気持ちになっていた。


「俺は……、俺が好きなの……は」


「タケルお兄ちゃん、大丈夫?! 顔が真っ青だよ!?」


「エーリカ、俺が好き……なの……は」


 タケルは言わねばならない気がしてたまらなかった。失われた記憶を取り戻すきっかけになる気がしたのだ。頭の中を鳴り響く音は銅鑼のようになっていた。全身から鈍い汗が流れだし、痛みが頭の中だけではなく、身体の隅々にまで広がっていく感覚にとらわれる。そんな中でもタケルは途切れ途切れの記憶の糸を必死にかき集めていく。


「エーリカ、聞いて……くれ。俺が好きな……のは」


「もうやめてタケルお兄ちゃん! 誰か呼んでくるっ!」


「エーリカ、行かないで……くれっ!」


 タケルはそう言うと、立ち上がろうとしたエーリカの右手を自分の左手で強く握り、さらにはひっぱる。それによってエーリカは体勢を崩し、タケルと折り重なるように草の上で倒れこむことになる。


 エーリカはタケルの身体の上で体勢をどうにかして整えようとする。そのせいでエーリカとタケルの唇同士がどうしようもないほど近くなってしまう。その時であった、エーリカの左手の甲から光があふれだし、強欲の聖痕スティグマがありありと浮きだしたのだ。


「タケルお兄ちゃん。助け……て。あたしの中でとんでもないドス黒い感情が暴れようとしているの……。タケルお兄ちゃん……」


「エーリカ……」


 そこでタケルは痛みに屈し、失神に至る。身体に抵抗する力を失わせ、ぐったりと動かなくなってしまう。エーリカは失神してしまったタケルから身体を離し、自分を縛るように両腕を回し、身体の奥底からあふれ出そうとするドス黒い何かを必至に抑える。


「ダメッ。タケルお兄ちゃんはタケルお兄ちゃんなのっ。タケルお兄ちゃんとセツラお姉ちゃんのお世話焼きをするのがあたしの役目なのっ! あたしは……あたしは……」


 エーリカは気付きたくない気持ちが身体から解き放たれようとするのを必死に抑える。しかし、抑えようとすればするほど左手の甲に浮かび上がる欲望の聖痕スティグマが歓喜するかのようにさらにその色合いを濃くしていく。


「だれか……、あたしの想いを止めてほしいのっ! 誰か助けてっ……」


「チュッチュッチュ。呼ばれてきたのでッチュウ。エーリカちゃん、今、眠らせてやるのでッチュウ。覚醒の時はまだでッチュウ。眠れ眠れ……、麗しの眠り姫スリーピング・ビューティ


 サイズ大の真っ白なネズミがいつの間にかエーリカの太ももの上に乗っていた。あやすようにエーリカの左手の甲を前足でさすり、深い眠りにいざなう魔術を施すのであった。


「ありがとう、コッシロー。あたし昨日のいくさで疲れてるのかも。ちょっと寝る……ね」


「チュッチュッチュ。麗しきエーリカ姫。王子様とのキスは結婚式のその日まで取っておくでッチュウ。今はまだ夜明け前でッチュウ。さあ、良い子はたっぷりと昼まで寝ておくでッチュウ」


 コッシローは麗しの眠り姫スリーピング・ビューティの魔術を施しながらもエーリカを介抱しつづけた。その甲斐もあって、エーリカはまるで幼子のようにすやすやと眠りに落ちていく……。

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