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第八十四話 『神様からの三行半』その6

 お昼ご飯を片付けたあと、わたしたちはもう一度同じ部屋に集まり直していた。

 美紅さんが戸棚に隠していた木箱を、改めてわたしから差し出して受け取ってもらう。

 ちゃぶ台のの上に出された木箱を前に、美紅さんはかすかに震える手で箱を開けて、わたしの顔を見る。

「一人で見るの不安だから、一緒に読んでくれる……?」

 そうして手招きされ、わたしはちゃぶ台を回り込んで美紅さんの隣に腰を下ろした。

「多分読めないけど、いい?」

 『離縁』が入ってることだけギリわかる難しそうな表題の時点で令和の女子高生にはちょっとかなり達筆すぎるのだ。

 しかも、形式が古い。三行半って確か江戸だし、魔女に託された日から見てもかなり昔のものを選んでいる。

「大丈夫」

 美紅さんはそう言うと、呼吸を整えて、三つ折りになっていた厚みのある紙をしゅるりと解く。

 表題とその先が全部同じ字の大きさであれば、三行半――つまり三行ちょいで紙をある程度埋めて、あとは署名とかを入れて、その後ろに大きめの白を取れるサイズ感。

「あ」

 しかし、出てきた文字の様子は予想と大きく外れたものだった。

 二行目は字がひょろりと細くなっていて、その先、三行目四行目とどんどん小さくなってびっしり書かれている。

「えぇ……」

 わたしは思わず声を漏らす。どんだけ長いんだよ。

 何かの授業中に雑談で聞かされた気がするのだが、離縁状というのは現代の離婚届と違って別れる理由が書かれていることがあるらしい。『勝手我儘だから』とか『性格が合わない』とか。

 つまり、美紅さんが、ボロクソ言われている可能性がある。

 どうしようと思いわたしが紙から視線を上げると、美紅さんはぽろぽろと泣き始めていた。

「おあ」

 本当にどうしたもんか。

 わたしはひとまず、紙を持っている美紅さんの二の腕をぽんと触る。手を握ってあげるのがいいのかもしれないけど、今は紙を握っているので、下手に触れないのだ。

「……だ、大丈夫?」

 美紅さんは何度も何度も頷いて、それから、真っ赤な顔でぽつりと言う。

「……………………こんなの、殆ど恋文だわ」


『――このような出来た妻がいつまでもいなくなった者の妻として縛られるのは勿体ないこと。以上を以て今後は放免とする』

 長々と美紅さんを褒めたあとに続く内容は、そういうものだったらしい。

「きっと、自分がいなくなることがわかってきてからこれを書いて、魔女さんにお願いしたのね。自分がいなくなったあと、残された私が自由にできるようにって」

 美紅さんは名前の通り美しく紅の差した頬でそう言って、離縁状を丁寧に木箱に戻した。

 それから、いたずらっぽくちろりと舌を出す。

「一応受け取ったけど、これはお断りだわ」

「それもそうだな」

 わたしはなんだかほっとして、美紅さんと一緒に笑った。

 離縁状の顛末は、大切な一人を欠いたあとであっても、熱くもなく、冷めてもなく、あたたかい。

 こんな別れの切り出し方と拒絶もあるのだ。



 わたしは離縁状についてのことが終わると、美紅さんに見送られて帰路についた。

 そのとき「面倒を掛けたから」とポチ袋を渡されそうになったけど、わたしは見習いの身、まだ報酬の受け取りはできないので、丁重にお断りした。

 帰り道で一番びっくりしたのは、帰り道の鳥居を潜った途端、神社の見た目が一気に古びて『廃神社』になったことだった。わたしは知らない間に現世とは別の認識の中に立っていたらしい。

 美紅さんは満足して自分がたち消えるまではそこに居続けると言っていたけれど、なんとなく、廃神社がなくなったら終わりにするような気がする。



「ということで、確かに難しい依頼じゃなかったけど、何で気が進まなかったのかは全然わからんかった」

 家に帰ったわたしがそう伝えると、わたしの部屋に侵入して待っていたローエンはついっと視線を逸らしたまま、鼻白んだように言う。

「どうせ惚気られて時間を食ったんじゃないのかい」

 言われてみれば。探し物のほか、結構惚気にも時間を使わされていた気がする。

「別に気にならなかったけど……えぇぇ、気が進まないって、それ?」

 出発前に身構えていたわたしからすれば、脱力モノの真相だ。

 わたしはソファ代わりに座っていた自分のベッドの上で、ぼすんと後ろに倒れた。

 ローエンはそんなわたしを迷惑そうに見て、ベッドの上での丸まり位置を調整している。

「私からすれば、あんな犬も食わない話を独り身で聞いて気にしていない方が変わっている気がするんだけどね」

 ローエンに評されて、そういえば……と思い出す。わたしがおつかいでこなした最初の依頼のとき、ローエンは両想いでもじもじやってたカップル未満に大変に意地の悪いことを言ったことがあった。魔女と似ていたからイラッとしたと言っていたけど、それ以外に、こういうのを聞かされて不快に思う感性がそうさせた部分も大いにあるのかもしれない。

 いつか。ローエンが猫でもほかの何かでも、恋の相手を連れてくるようになったら、こういう依頼のときも余裕でいるようになるんだろうか。想像がつかない。ローエンには魔女とのことがあるから、結構先のことだろうけど。

 わたしは魔女の予定帖を取り出して、今回のページに『済』を入れる。

 そして、ついでに依頼の個数を数えてみる。

「おぉ」

 気づいたわたしの声に、ローエンが反応する。

「どうしたんだい?」

「十個目の依頼だった。二桁。大台」

 最初はどうなることかと思ったけど、やってみたらできてしまうものだ。

 わたしは魔女の予定帖の厚みを指で確かめる。いい加減なページの使い方をされたこの予定帖は、別に目立って分厚いものでもない。『済』になっているページだって、魔女が『済』にしたものと合わせたらかなり多いだろう。

「……ローエン、わたし、まだ見習いでいいよな?」

 モラトリアムの終わりを予感させられて、わたしはぽつんと口にした。

 今はまだ見習い。やってることは魔女がのこした予定のおつかいばかりだし、報酬だって受け取ることはない。責任の重圧は、なんだかんだ言ってそんなに重たくないのだ。

 そんなわたしに、ローエンはあっさり言う。

「私の監督が必要なうちはまだまだ見習いだよ」

「今回は一人で行って来たよ」

 わたしが重箱の隅をつつくようなことを言うと、ローエンは優しい声色で言い聞かせる。

「全部一人で判断できるようになるまではまださ」

「……そっか」

 なんだかちょっと、安心した。

「未成年のうちは好きなだけ名乗りな」

「そうする!」

 わたしがローエンに向けて元気よく返事をしたとき、丁度下の階からお呼びがかかった。母親が夕飯を作ってくれたみたいだ。精神的な繋がり方はともかく、自立するまでの今は世話を焼いてくれて助かる。

 わたしは二階から降りながら、気持ちを夕ご飯に切り替える。


 避けられない区切りが来るときのことは、また考えればいい。

 わたしはまだまだ高校生の見習い魔女なのだから。

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