わたしは、巫女……いや神様のことを兄さんって言ってるから神様ではあるのか……よくわからんが美紅と名乗ったそのひとに出された緑茶を口にして一息つく。
「美味しい」
自分の体が随分と冷えていたことを自覚させられる温かさだ。
どうにか神社に辿り着いたときは人気がなさすぎてどうしようかと思ったけど、丁度美紅さんが出てきてよかった。お陰でこうしておみくじとか売る人が立つ建物(名前なんだっけ?)の奥にある居住空間っぽいところの和室でちゃぶ台の前に座っている。
「お口に合ってよかったわ」
正面に座る美紅さんは、口元に手を添えて上品に笑う。手も顔もやたら白い人だ。白い分血色の赤が目立って、ぼんやりと細めたような目も相俟って美人な日本人形って感じがする。人形めいていないのは、黒髪の毛先だけ痛んで赤茶けているところくらいだろうか。
美紅さんは口元に添えていた手を湯呑みに戻して、ややあって眉尻を下げる。
「折角訪ねてきてくれたのにごめんなさいね。兄さん、いないのよ」
「今年の神無月はもうちょっと先だと思ってたんだけど……早めに出ちゃったとか?」
わたしが日数を指折りながら尋ねると、美紅さんはゆるりと首を振る。
「いいえ、言いにくいのだけど、兄さんはもう何年も前にお隠れに――なくなったわ」
途中で言い換えてくれたお陰で、わたしにも意味がわかるが、意外な発言にわたしは言葉を詰まらせる。
「なくなって…………そう、か」
咄嗟にそれくらいしか言えなかった。魔女のやつがもたもた先延ばしにしていたせいで亡くなっていた相手は今までもいたが、神様が亡くなっているのは流石に予想外だった。
「今はこの神社跡しか残されていないの」
美紅さんの言葉に、わたしは神社の様子を思い浮かべる。跡というよりは立派な神社に思えたが、誰も参拝していないというのが現状を物語っていたのだろうか。
「えぇと、じゃあその、祀られてた神様は、黄泉に行った……のか?」
気まずくなったり失礼に当たったりする可能性を承知の上で現状について尋ねるが、これにも美紅さんは首を振った。
「神としての力があるまま亡くなっただけなら、そのはずだったけど、兄さんは信仰が廃れてしまったから……」
「あ……ごめん」
わたしは恥でカッと熱くした頬を畳に向けるように謝る。
神社に来たせいで神社っぽい生死観で話をしてしまったけど、魔女としてのわたしは、死後の出来事についてもっと現実的な知識を持っているんだった。
死んだものの魂……つまり幽霊になったりする部分は、それぞれのペースでこの世に溶けて還元されて雨や風や空気や他の生き物の一部になるのだ。
強い信仰があればそれぞれの『あの世』に該当するところに辿り着くって説も古い魔女の本に載ってたけど、依頼元の神様は少なくとも、その例にはあたらなかったらしい。むしろ美紅さんの言い方からすると『完全に消滅』したかもしれない。言及すべきじゃなかった。こういうとき未熟で嫌んなるし、やっぱりローエンがいないと心細い。
誤魔化すようにじゅるじゅるちょっとずつ緑茶を減らしていると、美紅さんは特段気にした風でもなく、代わりにわたしを気遣ってくる。
「兄さんはいないけど、魔女さんが訪ねてきたらどうするかってことは聞いているから安心してくださいな」
「どうって……?」
わたしは脱いだ上着と一緒に横に置いてあった魔女帽子をなんとなく手に取って、首を傾げる。『手酷く追い返してやるのだ〜!』とかじゃないことは確かだが、神様からの指示ってどんなもんなのか、よくわからない。
美紅さんはずずいっとお茶を飲んで微笑む。
「魔女さんが来たら、倉庫に案内するように言いつけられているわ。魔女さんに渡す用の箱を仕舞ってあるから、それを渡すようにって。中身は聞いてないのだけど……」
わたしは伝わっている情報量に、頭を掻く。どこまで言っていいもんだろうか、こういうの。
「あー……なるほど。うん。先代が書き残したメモ見る限り、手紙……かな」
結局わたしは、ちょっと誤魔化して説明した。
お茶休憩を終えると、わたしは美紅さんの案内で少し離れたところの蔵を訪れた。
南京錠を開けてもらって木の扉を開く。薄暗くて埃っぽいそこは、ほぼほぼ神具と思しきもので埋まっていた。
「これ、壊したらまずいよな……?」
わたしが半分独り言で漏らすと、美紅さんはあははと声を立てて笑う。
「もう使う人もいないから、気にしなくていいわ。それより手紙の箱がねぇ、結構奥に行っちゃってて……あそこの丸めたゴザや箪笥の向こうにも小さな箪笥があって、その中だったはずなのよ」
「お、おうぅ……」
言われた方向に向けて背伸びしてみても、それらしき小さな箪笥とやらが視界に入らない。神聖な道具が整然と並ぶ中にぽつんと箱があるものかと思って覗いたのだが……。
「がんばります」
とりあえずそれしか言えないわたしが腕まくりをすると、美紅さんも紐を取り出して端を唇に挟み、しゅるしゅると巫女服の袖を纏めてしまう。
「がんばりましょう」
美紅さんは細くて白い腕を持ち上げて、力こぶのようなポーズを取った。
だから、わたしは、素直に厚意に甘えることにした。
「助かる」
そうして、一人だったらどれくらい掛かったかわからない掘り出し作業を、わたしたちは小一時間で終わらせる。
その間、わたしは美紅さんと軽い雑談などを交わした。家探しの途中途中に、ぽつりぽつりと。
話してみて思ったのだが……美紅さん、やはり昔のことをかなり知っている。それに、わたしが映画の世界でしか知らない結構古い時代のことをちょっと前のことのように話す。たとえばカセットテープとかMDとか、長野でやったっていうオリンピックとか。でも、その割に、本当に『ちょっと前』の記憶にはあやふやなものが多い。
やっぱり、ここの神様の妹で、この美紅さん自身も神様で……ってことでいいんだろうか。
やがて、
「出てきたぁー」
疲れを見せない美紅さんの伸びやかな声が蔵の中でささやかに響いた。
「ありがとうございます」
美紅さんが手に取った手のひら二個分くらいの木箱を、わたしは両手で受け取る。
この中身が、離縁状――俗に言われる三行半というものなのだろう。