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第七十九話 『神様からの三行半』その1

『神様の離縁状を届けてほしいって話、受けちゃった。気が進まないー。』

「げっ……」

 思わず声が漏れる。

 魔女が残した予定帖に書かれていたそれは依頼の予定であり、いつも通り受けた日も締切日も書かれていないメモであり――露骨に、後回しにされたものだった。

 一応必要な物の場所とやるべきことと行くべき住所は書いてあって、やろうと思えばできるけど、正直わたしだって気が進まない。ぴよぴよ未満だった見習いにこんな予定を遺すんじゃねえよ。遺す予定で受けた話じゃないけどさ。

「ローエン」

 猫らしく日向ぼっこに出かけようとする我が使い魔を呼び止める。ヘルプミーの気分。もしくはわたしもこのままこの魔女の隠れ家にある窓際ベッドで日向ぼっこしながら寝落ちして一旦忘れたい。

 どちらにせよ、ローエンだけに逃げられたくはない。

「なんだい」

 対するローエンは黒い毛に埋もれた金色の目を眠たそうに細めて、どうでもよさげだ。

 わたしは手の中の予定帖を広げて見せる。

「これ、今更行っても怒られそうで怖いんだが」

 言いながら、届け先の住所に珍しく添えられていた『〒』の後ろの数字の欠陥にも気づく。郵便番号にしては五桁しかない。二桁足りない。ってことは住所も違うかもしれないってことだ。宛名は流石に違わないだろうけど。

 しかし、ローエンはあっさりしていた。

「ああ、それなら大丈夫だよ。私も知ってる依頼だ。お前だけでもこなせるよ」

「えぇー……」

 わたしはその判断に、思いっきり、思いっきり、難色を示してみせた。嫌な予感がする。

 一人で行けって言われそうな、そんな予感だった。



 魔女見習いでもあるわたしだが、その前に十七歳の女子高生だった。

 ということで学校にも来ている。

 昨日金曜日のつもりで長々と魔女の隠れ家にいたけど、よく考えたら今日が金曜日だったのだ。お陰で六日目の平日気分である。いっそ一日サボればよかったかもしれない。

 午後だけでもサボろうか検討し出したわたしの前にひらりと影が差す。

「文化祭マジックがきっかけで付き合うカップルって別れやすいと思う?」

 昼休み入ってすぐの今、急に話しかけてきたのは中林だ。文化祭中は中林演出家だったけど、今はただの中林ちゃんである。

「そういう話は聞いたことあるけど……」

 藪から棒すぎて曖昧な一般論しか出てこないわたしの目の前で、中林の長い髪とリボンが揺れる。

「やっぱりそうだよねっ」

 なんか悶えてる……。

 ちらと中林の向こう側数メートル先を見遣ると、廊下への出入り口近くに立った女子二人が各々『ごめん』『そいつちょっと今ね』といった感じのジェスチャーを返してくる。二人は中林といつもお昼などで一緒の友達だ。多分二人も散々この相談を受けているのだろう。

「……実際どうなるかはお互い次第じゃないか?」

「そうなんだけどぉ」

 わたしのやんわりとしたフォローにも、中林はまだまだ悩み深い。

「…………」

 わたしはもう少し何かフォローしようか迷って、一旦飲む。

 たとえばすぐ別れることになったからって付き合うこと自体が悪いことにはならない……と、思うんだけど。でも、それは恋愛付き合いをしたことのないわたしなりの考えだ。それに、中林は両親の離婚で振り回されているから、その分思うところが深い可能性だって高い。

 わたしと中林の間が膠着しかけたとき、中林の友達二人からちゃんと助け舟が来る。

「なかちゃん行くよぉー!」

「新しいパン売り切れるぞー!」

 中林も長々愚図る気はなかったようで、パッと顔を上げた。

「ごめん春日ちゃん、参考になった!」

「ん」

 相槌と共に手をひらっとさせるわたしの手を一瞬だけぎゅっと握って、中林は教室を出ていく。汗を感じる熱い手だった。

 付き合ったり別れたり、そういうことにどれだけの熱が伴うものなのか、わたしはよく知らない。

 関係によりそれぞれだろっていう簡素な真理になら辿り着けるけど、そんなの本当に言葉だけの表面的なものでしかない。自分の中の基準というか、常識というか、実感というか……そういうものが形成されていないあやふやな感覚なのだ。

 魔女が気まずさで放置した離縁状の依頼の熱量も、まったく想像がついていない。ローエンが何を以てして大丈夫って言っているのかも全然わからんし。

 わたしは中林の熱を残した手を机について立ち上がる。

 今日のお昼は人少ないところで食べよう。

 風に当たりたい気分だった。


 その更に翌日。

 わたしはお昼休みにわざわざ風に当たっていたことを後悔するくらい風に当たっていた。

「風つっよ!」

 今のは独り言だ。薄情なことにローエンは『箒から落ちそう』とかなんとか言って、今日の予定に付き合ってくれなかったのだ。

 今、わたしは秋空を飛んで県境を越えようとしている。山と山道と田んぼとごくたまに家と……といった景色の上空だ。天気はそこそこいい。でも、如何せん風が強いのだ。

 わたしは箒の柄に最近取り付けたグリップを左手で握り込んで、自由にした右手でスマホのロック画面を表示させる。まだお昼過ぎくらいだった。

 ちなみにスマホは左腕に固定してある。飯系の配達員とかが運転しながらスマホ見る用のバンドで、結構しっかり固定されるから落とす心配がなくて助かる。

 わたしは一旦休憩しようか迷って、気分を振り払って飛行を続行する。早く済ませよう。

 これから向かう先は依頼元の神様の家――つまり神社だ。届けるための離縁状を、まずは受け取らなきゃならない。

 こんな風が強い日に飛んでいるのも、『まずは神社での受け取りが必要』というのが理由だ。今はまだいいけど、だらだらしていると旧暦十月、つまり神無月ってやつを迎えてしまう。

 今回の依頼元は日本の神様らしく神無月には島根まで出張に行ってしまうみたいなのだ。流石に遠い。箒だけは無謀だし、電車乗り継ぐとまた出費だし、避けたい。何ならそんなに乗り継がなくても電車代を出したくない。

 そんな理由で、わたしはこの強い風の中、一人で空を飛んでいるのだった。


 ……まあ、結局当の神様はいなかったから、だいたい徒労ではあったんだけど。

「ごめんなさいね、うちの兄さんがいなくて」

 わたしを出迎えてお茶まで出してくれたのは、一人の巫女装束の美女だった。

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