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第七十六話 『見習い魔女と文化祭』その8

 わたしは、花降らしの魔法を使うための準備が整っているかどうか思い返す。

 まず、花降らしに使う対価……というか実質材料は、ステージ脇の小道具置き場に積んだままになっている。だから、わたしが魔法さえ使えれば何とかなる。

 それから、わたしが魔法を使うために必要な道具、箒。これについては残念ながら普段使いのものは家に置いてきていた。

「……ローエン」

 諦めるのも勿体ないので、使い魔に助けを求めてみる。

 わたしはしゃがんで、内緒話の要領でローエンに顔を近づける。

「今花降らしの魔法で酸素を補充できればいけそうって気づいたとこなんだけど、箒なくてもあれっていける?」

「……結局何かやるんだねぇ。流石にぶっつけでできることじゃあないよ」

 ローエンは首を振る。だけど、こうも言う。

「魔女が使う箒か杖があれば、借り物でもなんとかなるだろう。……お前、招待したって言ってただろう? あいつならきっと貸してくれる」

 頭に、超頼りになるベテラン魔女の姿が浮かぶ。

「うん」

 わたしはスマホを取り出すと、隅に寄せてあった司会の台の影に隠れてメッセージをチェックする。駐車スペースないよって教えたら箒で来るかもって言ってたキオちゃんから、新着メッセージが入っていた。

『やっぱだるいから途中まで電車→最後箒で来た。舞台見てるからね!』

 よしっ。

 わたしは小さくガッツポーズして素早く返信を打つと、わたしとローエンの奇行を訝し気に見ていた志村と担任の近くに戻る。短時間で打てた返信内容は『箒貸して』だけだけど、伝わるだろうと一旦信じる。

 合唱部の面々もまだちゃんと整列している。みんななんだかんだ諦めがつかないのだろう。

「先生、提案いいですか」

 小さく挙手して、わたしは言う。

 冷静に考えるとだめかもしれないけど、検討の場にすら挙げないまま終わらせたら、きっと後悔する。

「なんですか」

 返事をした担任や近くにいた志村だけでなく、合唱部の顧問も、そして合唱部の面々のうち比較的手前に立ってる子たちもわたしに注目する。逆に味方についていてほしいローエンは飽きてきたのか、酸素の薄さの影響を受けだしたのか、あくびをしている。

 視線を集めてみて、改めて思う。

 提案して滑ったときが、怖い。

 でも、くっつきそうになっている唇を舐めて、わたしは伝えるための言葉を組み立てる。

「酸素が増えすぎるリスクを理由に使用中止した花降らしの魔法を使ったら、状況、変わりませんか?」

「…………それは……そうだな、情報が要るけど、恐らく検討には値します」

 担任が慎重に、考えながら話している。

「どんな情報?」

 思わずといった調子で志村が聞く。その横顔は、薄暗闇の中でも見て取れる程度には急いていた。

 舞台の上では、もう美女が野獣と生活を共にし始めている。物語としてはまだ起承転結の承の辺りだけど、決定のタイムアップは多分近い。

「まず、効果のエビデンス――ちゃんと効果があるのかの情報が必要になる。やってみてからの効果で確認してもいいけど……症状が消失したかどうかで判断するには、明らかに時間が足りない」

「……そうですか」

 その手段が思い当たらない。キオちゃんならあるいは、と思ったけど、流石に知らない可能性も高い。

 こんなことなら花降らしの使用許可をギリギリまで粘って『酸素が増えすぎるリスクの大きさ』を詳細に測っておけばよかった。その『リスクの大きさ』が、今は『効果の大きさ』として評価される場面になっているのだから。

 行き詰まったわたしの足元から、ローエンが静かに去る。……思うところはあるけど、猫からしたら学校という大きな共同体の内側というだけでここまで知恵を絞って粘るのは理解不能なのかもしれない。

 そのとき、自分の頬を軽く張った志村が素早く言う。

「じゃあ、ひとまず花降らしは使いましょう。いいかな、春日」

 わたしは担任と同時に頷いてから、ああと気づく。

 状況の打破に効果があるならもちろん花降らしを使うべきだし、効果がないなら合唱部がキャンドルを灯して歌うことはないのだから使用許可は復帰する。

「合唱部のみんなには、キャンドルは諦めてもらうことになりそうだけど……」

 志村が続けた懸案事項への言及には、合唱部の顧問が返す。

「いや、歌えないよりずっといい。キャンドルくらい諦めてもらうさ」

 声が聞こえる範疇に立っている合唱部の数人が、既に頷いている。

「あの」

 頷いていた中の一人、小柄な女子部員が手を挙げる。

「ご、ごめんなさい。あの、うちのクラスのおばけ屋敷、設営のとき、二酸化炭素濃度計、使ってます。早め撤収だから、今なら回収できるかも……」

「動揺してて思い出せなかったそうです」

 隣に立っている凛とした声の女子部員が補足した。

 それは事実かもしれないし、本当は数値で状況が露わになれば中止が確定になってしまうから言い出せなかったのかもしれない。けど、今はそれはいい。

 その考えは概ねこの場の共通見解だったようだ。合唱部顧問だけ一瞬何か言いかけたが、それさえすぐに引っ込められた。

「……わかった。じゃあ急いで取って来れるか?」

「はい」

 凛とした声の女子部員が返事をして、早速小柄な女子部員と一緒に早速駆け出す。

 そんなソワついた場面になってきても、合唱部のほかの面々は飽くまで静かだった。合唱コンクールなんかのざわついてはいけない場面に多く遭遇する部活だからだろうか。

 いけない、ただ感心していられるほど時間があるわけじゃなかった。

 わたしはこのあとのことを取り仕切るであろう志村の袖を引いて小さく話し掛ける。

「わたしも、今のままじゃ箒がないから先輩魔女に……」

「呼んだ?」

 けど、途中で志村の肩越しに話し掛けられた。

 非常に見覚えがある、使い慣れた綺麗な笑顔の女。記憶の魔女こと、わたしの大先輩のキオちゃんだ。

 ネットでたまに見るところでいうオフィスカジュアルって感じの服装に、手にはキオちゃんの肩くらいまでの高さの竹箒。

「呼んだ。箒貸してください」

 単刀直入すぎるくらい単刀直入に頼む。言ってみてから『そういえば魔女の箒の貸し借りって大丈夫なんだっけ? マナー悪い?』なんてよぎる。

「あ、それかわたしの代わりに魔法……」

 言い掛けたわたしを制して、キオちゃんは言う。

「だめ。はるちゃんがやるんだよ。でも、箒貸すのは全然いいよ」

 そして、突如現れたキオちゃんに困惑する志村や担任たちに如才なく綺麗なお辞儀をする。

「春日はる來の先輩魔女です。此度の助力はここまでとしますが、ご挨拶には後ほど参ります」

 更にそのまま箒だけ預けて、観客用の並んだパイプ椅子に戻って行った。無駄がなさすぎる。

 だけどそんな無駄なさを支えているのは、うちの使い魔でもあったみたいだ。

 座ったキオちゃんの膝の上で、ローエンの金色の瞳が一瞬だけ魔法でちかっと光って、わたしに位置を知らせた。後で褒めまくって良い餌買って来てやろう。

「……よく、わからないけど」

 志村が口を開いた。

「本格的に準備に取り掛かっていいってことだね?」

「うん。魔法はやる」

 わたしが素早く頷くと、舞台上で展開される『末娘と野獣の最初の蜜月シーン』を横目に志村が言う。

「みんなに知らせる。魔法の材料の配置まではもう間に合わないかもしれないけど、いける?」

「任せて」

 わたしは親指を立てる。

 ぶっちゃけると、不安だった。

 だけど、大丈夫。そういうことにして行動を開始するのだ。

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