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第七十五話 『見習い魔女と文化祭』その7

 なんのかんのしているうちに、演劇の準備にかかる時間を迎えた。

 その頃にはさそりとサイトウは妙に意気投合しており「一緒に見てるねー」などと見送ってくる。二人は好きなバンドが被ってるらしかった。

 わたしは看板を掲げたまま舞台袖に向かい、劇の開始準備の確認作業を進める。

 順調だ。わたしたちは。

 けど前の出し物が押しまくっていて、バッファ? っていうんだっけ、用意されていた時間の余裕をほぼほぼ使い潰している。合唱部の歌が終わってすぐに巻きで閉会の挨拶があって文化祭終わりってなりそう。

「ねむい……」

 わたしの髪を早めにセットしておこうと弄る委員長が、呑気な感じの大あくびをする。

「小道具の調整お疲れ。でもそんなんでデート中大丈夫だった?」

 わたしがねぎらいと質問を同時にすると、委員長はもう一度あくびをしてからうーんと首を傾げた。

「さっきまでは全然こんなことなかったんだよぉ……」

「そ……っかぁ……」

 わたしは辺りを見回す。疲れてる奴が多いから当たり前だと思っていたけど、なんだか眠そうな奴が多い気がする。あくびも飛び交っている。

「こういうの、見たことあるような……」

 頭のいい志村のつぶやく声が、なんだか嫌な予感を刺激した。


 嫌な予感が姿形を明かさないままで、劇は開幕する。

 志村の前説が終わり、幕が上がって、下準備で、当日に役割があるクラスメイトたちが打ち合わせ通りの動きをする。横から見る限りだけど、演技も上々だ。

 だけど、

「こんな寒い中、彷徨い歩いて……」

 ヒロインの父親である商人役が台詞の途中で我慢しきれずあくびをこぼす。

「ああ、いけない! 寝たら死んでしまう!」

 アドリブで笑いは取っているものの、様子はやっぱりちょっと変だ。わたしもなんか眠い気がしてくる。

 とはいえ、劇は進行する。商人は屋敷に歓迎され、調子づいて失敬するものを失敬して、それでも薔薇を失敬するまでは意外と怒られない。怒られそうなことをする緊張と、意外と怒られなかったことによる緩和を使ったギャグで、音響が入れる効果音のタイミングも相俟って観客にウケる。

 その後も適度にコメディを挟みつつ動く中で、誰かがぽつりと言う。

「なんか寝てるお客さんいたなぁ」

 わたしは何かざわついて、出番がまだ先であるのを良いことに舞台袖から外に出る。

 丁度そのとき、舞台袖入り口のドア外から、悲壮感溢れる声が小さく上がった。

 前説の後もずっと舞台脇で待機していた志村の背中越しに、泣きそうな顔で必死に口を押さえる合唱部員の顔が見える。

「どうしたの」

 わたしが声を掛けると、合唱部員たちがずらりと並ぶ手前にいる合唱部顧問とうちの担任が、志村とわたしの方を振り返る。

「いや、君たちはそのままでいい。ただ……」

 合唱部顧問は歯切れが悪い。

 吹雪の効果音が大きく鳴って、次に美女が野獣の屋敷に入ったときの荘厳なBGMが大きく鳴り響く。

 そんな音たちに紛れて、相変わらず発声が綺麗なうちの担任が言う。

「トラブルがあってな。次の合唱部の出し物は中止になる」

「トラブルって?」

 志村が詰め寄るのに、わたしもついて先生たちの近くに行く。

 担任は、自らもわたしたちに近づいて、少し声を落として告げる。

「空調設備の換気機能が壊れてるみたいで、酸欠の心配がある。まだ確定じゃないけど、眠そうな生徒やお客さんも増えているし、かなりあやしい状態なんだ。だから……この人数での合唱は……許可、できない」

 言われて改めて見てみれば、合唱部は一つのクラスより若干多いくらいの人数いる。かなり多い。

 わたしは合唱練習であくびが出るのは酸欠の証拠なんだっけ、なんていう豆知識に足を引っ張られて、何も言うべき言葉を見つけられない。

「換気の時間を挟むのは?」

 いや、だめだ。反射的に言ったのであろう志村の言葉を、わたしは頭の中だけで否定する。ちゃんと否定するのは先生の仕事だ。

「時間が押してて無理だ。どちらかといえば、合唱するはずだった時間を使って換気するしかない」

「劇やりながら少しずつ全部の窓を開けるのは? 劇への影響はちょっとあるかもしれないけど、その程度は……」

「外から見えるようにガラスに貼った飾りが邪魔で、開けるのに難航しそうなんだ。劇が終わるころにはいくつか開けられそうなんだが、外は風もないし、多分間に合わない」

 担任にすべての説明を済まされて、志村が考え足らずに俯く。らしくない。テンパり気味なのもあるだろうけど、うっすらと酸欠に陥っている可能性はやっぱり高そうだった。

 合唱部の面々も、声をひそめてそれぞれの感情をいなそうとしているのがわかる。さっきの志村の食い下がりは、もう彼らは全て済ませたのだろう。

 ……気づけばよかったな。言われてみれば随分重い手足を振って、わたしは後悔する。

 だけど今からでは何をどうしたらいいのか、まったく思い浮かばない。あまりあくびをしていないわたしですら、頭が回っていないのかもしれない。

 そのとき、暗闇の中でわたしの足元に沿う感触と体温があった。

 一瞬飛び上がりそうになるが、覚えがありすぎる感覚だ。このすべすべした短い体毛を、わたしはとてもよく知っている。

「どうしたんだいはる來」

 わたしが声を掛けるより先にローエンが言う。

 わたしは周りへのローエンの紹介は後回しにして、すっとしゃがむ。

「今、ちょっとピンチ。いや、うちの劇はできるけど、次の出番の子たちがさ……」

「……それなら、お前はやるべきことをおやり。手詰まりっぽい雰囲気じゃないか」

 察しの良いローエンが割り切ることを勧めてくる。それはそうだ。それぞれがやるべきことをやって、時には工夫でおぎなって、それでも駄目ならそれを諦める。そうするしかない場面だってある。

 でも、今回はなんか、上手く言えないけどなんか違う気がするのだ。

「あああ、頭回らん」

 わたしが頭を抱えると、ローエンは慰めるように尻尾で膝や脛を撫でてくる。

「そんな調子で魔法を使うより、花降らしは使わない方向になってよかったかもしれないねえ」

「え?」

 聞き捨てならなかった。

「え? って、お前……」

 ローエンは呆れだしそうだが、そうじゃない。

「忘れてた……」

 わたしはローエンにお礼を言う代わりに背中を撫でる。

 そうだ、わたしには魔法があった。


 酸素が増えすぎるからと、安全上使わないことにした、花降らしの魔法が。

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