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第六十二話 『だれかの思い出の庭』その4

「頼んだからね!」

 わたしはどうやら、大変な依頼に取り掛かりにきてしまったようだった。

 念押ししてくる記憶の魔女に、わたしはこくこくと頷く。

 大変でも、正直ビビり散らしてても、回答は変わらない。どちらにせよ予定帖に書かれた内容はできる限りやると決めているのだ。

 記憶の魔女は満足気に手を離して、乗り出していた身を元に戻す。

「あ」

 前傾姿勢から元に戻る記憶の魔女の、その勢いづいた肘がティーカップを倒す。

「わっ」

 幸い、紅茶は空っぽだ。けど、カップは綺麗に転がって床に落ちる。

 ガシャンと割れることを覚悟したわたしの前で、カップはカロンカロンと軽い音を立てて床に着地した。

 割れ物に対する保護魔法をかけてあったようだ。流石古くからの魔女の家。

 記憶の魔女は気恥ずかしそうにカップを拾って言う。

「ま、まあお茶も飲み終わったし、詳しい話は実際のお庭に出て話さない?」


 わたしたちは流しに洗い物を置いて、玄関に向かう途中右側にある洋室を通って庭が一望できる縁側まで出る。

「……けっこうキレイじゃん」

 これはわたしの感想。

 どんな荒れ放題かと覚悟して覗いたその庭は、意外にも少し雑草が多い程度だった。普通の人間が片付けようとしても半日あればいけるだろう。あとは花壇に何か植えて、白い椅子とテーブルは……錆びてるけど、直すか買い直すかすればそれで済みそうだ。

 ということは、

「雑草を引っこ抜いて整えるとか、そういう普通の庭仕事じゃだめなわけだな?」

 どうせもっと厄介な仕事に決まっている。

 わたしの予想はやはり当たっていたみたいで、わたしとローエンを先導していた記憶の魔女はちょっと残念そうに笑う。

「ええー、わかっちゃうんだ。ここ片付けるだけだよって言ってリアクション見てから言おうと思ってたのに」

「……なんでどうでもいい嘘つこうとするんだよ」

 呆れるわたしの横をすり抜けて、ローエンが縁側のふちから何かにおいを嗅いでいる。

 一瞬何かわかったのか聞こうと思って、思いとどまる。使い魔として何かを探っているときと猫の本能で周辺環境の確認に勤しんでいるときがあって、後者だったとき言及すると恥ずかしそうだから。

 記憶の魔女は、伸び気味の草の中にあったサンダルを二つ持ってきて一つを自分が履いて、縁側から足を下ろす。わたしも倣って、ふるぼけたサンダルに足を乗せる。

「まず、『思い出の庭』なんだけど、なんと、写真とかもありません。絵もないです」

「なんて?」

 爆弾発言をわたしが聞き返すと、記憶の魔女は『たはは』と愉快そうに笑って、爪先で潰れた草を眺めるような姿勢で言う。

「焼けちゃったのよね。それくらい前だったのよ。…………っていう言い回しでわかる?」

「えっと……」

 いきなりはピンと来ない。そんなわたしの横に、ローエンがやってきて座る。

「空襲か何かだろう」

 その小さな囁きで、わたしもやっと理解する。

 それなら事情はわかった。骨を折ることに変わりはなさそうだけど。

 記憶の魔女はわたしたちがこそこそしているのを見守ってから、また話し始める。

「あのね……あたしさ、ここの家の子の幼馴染だったの。今生きてる子が話題に出すときは『大お祖父様』って呼ぶような人。って言っても、相手にとって幼馴染なだけで、あたしからしたらたまに絡んでくる豆粒の一人みたいな感じだったけど」

「うん」

 近所のチビどもの呼び方にしたって豆粒とは随分で面白いけど、そこに突っ込むのは我慢してわたしは頷く。

「その子やたらとあたしが好きでね、まあ子供にはしょっちゅう好かれるから、珍しい好意でもないなと思ってたんだけど」

 そう言われて、語る記憶の魔女の横顔を目に留める。いつの間にか前を見ている目は大きい。そして睫毛が長くて、色が白くて、表情がはっきりしていて……愛嬌を失わない程度の均整の取れ方をした、愛らしく親しみやすい顔立ちだ。子供好きするだろう。

「ある日、この家……何度か建て替えする前のこの家の、ここと同じような配置にあった庭に連れて来られた。そうしたら、あたしが好きな花ばっかり植えられてて、このお庭をあげるから結婚してって言われたの。……まだ背も完全には伸び切ってないガキンチョが、庭の持ち主だって親だろうに、生意気に」

 そこまで言ってから、記憶の魔女はわたしの方を向く。

「それがすっごく嬉しかったんだってさ・・・・、そのときのあたし」

 突如現れた伝聞調の言い草に面食らう。

「驚いた。それも忘れてるのか。……あ、でも、そうか。庭のことも忘れてるってことは、そうか……」

 素直に口にすると、記憶の魔女は相変わらず綺麗に笑う。

「理解が早い。はるちゃん頭いいねえ」

「……どうも」

 あんまりストレートに褒められると照れる。微妙に前提条件を忘れていたのに褒められて恥ずかしいとすら思う。思春期とはそういう生き物なのだ。……って言うと主語デカだけども、自尊心を守るために主語デカでいることを許してほしい。

 わたしは褒められたままでいることができなくて、自分から話題を軌道修正する。

「じゃ、じゃあ、そういう記憶? 記録? は何かで残してたの?」

「うん、魔法でもよかったんだけど、ノートに残してたよ。お庭のことは、昔から近所のがきんちょにモテてたよーとかの記録に混じって書き残されてた。記憶消す直前にまとめてたノートにわざわざ残したってことは、よっぽど嬉しかったんだと思う、あたし」

 実感がなさそうに、でも前向きにしか見えない表情の記憶の魔女が言った。

 いい頃合いと見て、わたしはさっきから持ってた疑問を口にする。

「ところで、誰と家族になって生き字引降りたの」

 記憶の魔女は正午に近づく空を眺めながら言う。

「プロポーズしてきた豆粒のひ孫ちゃん。色々あって天涯孤独の赤ちゃんになっちゃってさ、見てられなくなって引き取っちゃった」

 軽く言うけど、結構すごいことをしている気がする。

 口にしないわたしの感想は置き去りに、話は進む。

「思春期の難しい時期に、あたしその子の夢を応援してあげられなくて。それで、夢を捨てるときの気持ちにも寄り添えなかった。『頑張り続けてたって言ってもまだ十年くらいでしょう。次のことの方が長い時間やることになるよ』くらいのこと言ったみたい。二十歳にもならない子に向かって」

「それは……」

 残酷だ。

 時間の流れの実感を忘れて単純計算すれば事実でもあるから、記憶の魔女なりに考えてもそうなったんじゃないかと思うけど。

「…………十年って、持ってる記憶が五十年くらいになっただけで、こんなに長いのにね」

 記憶の魔女はそう付け足したあと、少し置いて、伸びをしながら明るく言う。

「それで反省して、だいたい三十五年くらい残して昔の記憶をポイってね!」

 改めて事情を聞かされてもなお大胆すぎる決断だった。

「極端」

 わたしの太ももに隠れるように伏せたローエンがぽつりと言った。

 わたしもそう思う。

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