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第六十一話 『だれかの思い出の庭』その3

 わたしは自分から言い出す前にあの魔女がもういないと理解されて、さらに質問内容も急にぶっこまれてで、怯みそうになりながらなんとか言葉を返す。

「消滅の方。時期は今年。……しくじったというか、わたしを助けたんだけど」

 そんなわたしに向けて、ポニーテールの魔女は手首のスナップで空気を叩くような仕草を取る。おばちゃんみたい。

「そんな健気な言い方してやることないよ。やり方さえしくじらなければ人ひとり助けるくらいじゃ消えるまで行くわけないもん。あいつは」

 いつかのローエンと同じような評だった。

 わたしがちらりとテーブルの下に目を合わせると、ローエンは余っていた椅子に飛び乗ってテーブルの上に顔を出す。

「その通りさ」

「ねー!」

 ポニーテールの魔女はまるでローエンと旧知の仲のように無邪気に言った。

 ローエンも顎を上げた格好のまま、尻尾をうにゃんと揺らして応える。

 わたしはといえば、どう話しを進めていいものかわからなくなってきてた。

 と、ローエンが改めて口を開く。

「あいつの話もいいが、そろそろ予定帖の中身の話をしようか。はる來」

 助け舟だ。

 わたしはほっとした勢いで『へへぇ! こちらでやんす!』などと三下ムーブをかましたくなりながら、余計に話が逸れそうなので我慢して魔女の予定帖をめくる。

 目当てのページは一発で出てきた。一行目に『友達の思い出の庭の再現を手伝う。一応正式依頼!』と書いてあるページだ。

 ポニーテールの魔女は、ページ全体をじっくり見ながら、少しだけ静かな表情になる。

「うん……これはあたしの依頼だね。この予定帖が新品同然だった頃にした、古い依頼」

「じゃあ、かなり待たせてた?」

 わたしが聞くと、ポニーテールの魔女は、あはっと笑って返す。

「待ったっちゃ待ったよ。でも、この依頼はね、寝かせておかなきゃいけない期間もあったから、その調整のせいで後ろ倒しになってたって面もあるかな。そうこうしてる間にあいつが消えてちゃ世話ないけどね」

 そこまで言ってから、ポニーテールの魔女は椅子に座り直して居住まいを直す。

「自己紹介が遅れちゃったね。あたしはこの家に結構長いこと住んでる魔女。魔女として他と区別するときは『記憶の魔女』って呼ばれてたかな。キオちゃんって呼んでね」

「キオちゃん……」

 響きが妙で慣れるまで呼びづらそうなあだ名だな……という気持ちから来るわたしの復唱に、記憶の魔女は元気よく返事をした。

「はぁい!」



 記憶の魔女は、とてつもなく長い時間を知っていた魔女だった。

「ていっても、今はほとんど全部忘れちゃったんだけどね!」

 あっけらかんと言ってみせるその顔に、悲壮感はない。

 記憶の魔女というのは、元々記憶や記録の管理を負ってきた魔女なのだという。

「記録媒体って結構弱くてね、意外と色々なものが取りこぼされてきた。だから魔女たちは、少しでも残していこうって代表を立てて、ココに情報を入れていった」

 語りの途中でトントンと叩かれたのはこめかみ。つまり、脳に刻んでいったということだ。

「まさに生き字引ってやつだったのよ、あたし」

 でも、記憶の魔女はそれをすべて捨てる決断をした。

 人間と、家族になるために。

「家族になったのはいいとして、生き字引のままで家族でいることはできなかったのか?」

 わたしの疑問に、記憶の魔女は微笑んだまま首を振る。

「あたしの中の記録や記憶は、本当に生のものだったの。本当にその『記録の中の時間』を生きてきたような。だからその頃には二千年くらい生きたような感覚でいた。そのせいで人間とも、生半可な時間しか生きてきていない魔女とも時間感覚が合わなかったのよ」

 二千年。西暦に近い年月が、このたった一人に詰め込まれていた時期があったと。

 あまりの途方もなさにピンと来なかったのが顔に出ていたのか、わたしを見る記憶の魔女がくすくす笑う。

「はるちゃん、あなたくらいの子にとづて、十年は積年だと呼ぶに相応しい長さだと思う。その十年を『なんだ一瞬かぁ』って思っちゃうとね、やっぱり齟齬があるんだよ」

「…………」

 即答することもできない重みに、わたしは黙って紅茶を口に運ぶ。すっかり冷めて、渋みが口に張り付いてきた。

「ジャネーの法則の派手なやつだね」

 ローエンがコメントを挟む。

「なんだっけ」

 聞いたことあるようなないような響きにわたしが首を傾げると、ローエンは少しだけ考えて言う。

「お前も、多分五歳の頃よりは一日が短く感じるだろう? そういう風に生きた時間の分だけ今の時間を相対的に短く感じることを、そう表現するんだ」

「なるほど」

 そういう事象があるということだけならわたしも知っていた。じゃねーのほうそくとかいう名前は……多分すぐ忘れるけど。

 そんなわたしたちの様子を見守っていた記憶の魔女は、残りの紅茶を飲み干して言う。

「あたしがとある子の家族になってしばらくしてからね、ちょうど魔女の間でも『記憶と記録の代表はきつい役目すぎないか?』って議論になってたの。人間たちの間でもしょっちゅう労働条件の改善とかやってるでしょ。そういう波が来てたから。……それで、これ幸いにとあたしは役目を降りた」

 その相手の家族としての自分でいるために、大きなものを投げ捨てる。重い行動だ。

「それくらい、大切な相手だったんだな」

 どういう間柄の家族かわからないままわたしが呟くと、記憶の魔女は快活に笑い飛ばした。

「あはっ、タイミングよかったからっていうのもあるけどね。そうかも。だからあたし自身の記憶も切り捨てた。それで忘れちゃったの、お庭のことも」

 記憶の魔女はそこで、予定帖の文字を指でなぞった。

『友達の思い出の庭の再現を手伝う。一応正式依頼!』

 わたしは指先を目で追って切り出す。

「うん、それをわたしが代わりにやりに来たんだ。見習いだけど、任せてもらえる?」

「モチのロンよ!」

 二千年の記憶を背負っていたことがある魔女は、魔女歴たかだか数ヶ月の見習いのわたしの手を握る。 

「言っておくけどめーっちゃ大変だからよろしくね!」

 握られた手の感触が、妙に力強い。

「え……?」

 園芸関係の仕事を手伝うくらいのつもりだったわたしは、その圧に、ただ困惑するしかなかった。

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