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第五十一話 『映画館で会った魔女だろ』その8

 わたしはホテルを飛び出して、走る。

 箒だとひとっ飛びだった距離でも簡単に息が上がって、バス停のわたしは汗だくだ。まだ夏にもなっていないというのに。

 わたしはバスを待ちながら、自分でくしゃくしゃに潰したメモを見下ろした。ホテル備え付けのメモ帳に書かれていた魔女の書き置きだ。

「な、なんで……っ」

 泣きそうなわたしに反して、メモの内容は呑気だ。

『わたしが消えるところまで見られるのちょっと恥ずかしいなーってなってきちゃったから寝てもらっちゃいました。ごめんね。とりあえず、本当に魔女やってみる気があるなら、うちの使い魔と会って話してみてね』

 しかもどこに行けば会えるか書いてねえし!

 魔女の隠れ家に行けばいいのかもしれないけど、おおよその場所しか聞けていないから、自分の家からわりと近いってこと以外なにもわかっていない。

 指標のないわたしは、魔女が時間の魔法を掛けた駅を目指す。

 普段使わない路線のバスに現金を支払って、気ばかり急く中で外を眺める。

 魔女と寄ったコンビニが、魔女の後ろに乗って飛んできた歩道が、何度も何度も停止を挟んで視界を流れていく。二人で通ったのが、バスも通るような大通りばかりだったから。

「…………」

 さっきからずっと泣きそうなのに、不思議と涙は出てこない。そんな場合じゃないからかもしれないし、現実感がないからかもしれない。

 ……ただ、ふわふわした感覚のままで行動だけが中に浮いて滑っていく。それこそ、箒で飛ぶように。地に足がついていない感覚だ。

 いっそ泣いてしまった方が楽なのかもしれないけど、わざと自分を仕向けてまで泣く気にはなれなかった。



「あははごめんごめん。ほぼ初対面でやるドッキリじゃなかったねぇー」

 駅のホームで待っているわたしの前に現れた魔女が言った。

「は?」

 わたしが思いっきりドスをきかせた声と共に詰め寄ると、魔女はわたわたと手を振りながら改めて謝る。

「ごめんなさい、ホンットごめんなさい。事情があるんだよ事情が」

「何」

 短く訊ねるわたしに魔女は説明を続ける。

「わたしさ、そろそろ魔女として弟子がほしかったんだ。予定も全然消化できないし。でも、魔法を使える存在にさせちゃうからには適正とか色々見なきゃいけないからさ……それらを一気に済ませるには、大事故発生のときのリアクションを確認するのが丁度よくって……」

 喋りながら段々涙目になって俯く魔女の足元から、黒い毛玉が現れる。黒猫と聞いていたのに、耳も手足もわからないくらい、ただのまん丸だ。

「うちの魔女ちゃんがごめんね」

 マスコットキャラクター然とした幼い喋りの毛玉に向けて、わたしは軽い怒りの表明をしようと口を開く。

「まったくだよ」

 だけど、自分の喉から漏れ出た声は震えていて。

 乾いた目元を擦って目を開けると、視界に映ったのは真っ黒な夜だった。

「……魔女? 使い魔?」

 ダメ元で呼んで見るけど、どちらも返事をしない。

 わたしはベッドの上で半身を起こす。自分の匂いと慣れた感触しかなくて、ここが自室だと気づかされた。目が慣れてくると、見慣れた内装の輪郭もわかってくる。

 どうやら、夢を見ていただけのようだ。わたしは頭痛に頭を押さえながら、ベッドの上で掛け布団を巻き込んだまま体育座りをして、膝の上の布団に顔を埋めた。

 そして、何故ここにいるのかを思い出す。帰りたくなかったけど、今日の精神状態で家出したところで上手く潜り込んだりさり気なく隠れたりできずに補導されるのがオチだと思って、普通に帰宅して、普通にご飯食べて、普通にお風呂に入って寝たのだ。勿論両親にも普通に対応した。

「だって、来なかったし」

 わたしは整理された状況に向けて一人ごちる。

 未成年の外出についての条例に引っかかるギリギリまでは、駅のベンチで待ってたんだよ。これでも。

 まだ見ぬ魔女の使い魔を待っていたことになるんだろうけど、多分、わたしは本当は、魔女を待っていた。

 あっさりいなくなられても全然実感がわかなかったから。それこそ夢で見たようにドッキリだったんじゃないかって、そうであってほしいって思っていたのだ。

 ようは、自分の認識と現実とで帳尻が合っていてほしかったのだろう。わたしは無駄に俯瞰して自分を見る。

 魔女が消えてしまうことが悲しいとか、自分の責任に感じて怖いとか、そういう気持ちもあるにはあったけど、それらの感情は実感が遠い。会ったばっかりすぎて、魔女が実は今日見た映画の中の存在だったって言われた方がまだなんぼか理解しやすかった。

 わたしは重たすぎる瞼を下ろす。精神的にも肉体的にもなんだか疲れていて、すぐに再び眠りに落ちてしまった。



 翌朝。確実に学校に遅れる時間帯になってやっと目を覚ましたわたしは、その日の授業を全部サボることに決めた。出席回数的にも内容的にもまあいける授業が固まっている日なので。

 かといって、闇雲に魔女の使い魔を探すことも、待つこともする気にはなれなかった。

 それで、わたしは結局魔女と出会った映画館を訪れた。なんかもう、映画を見るくらいしかやることが思いつかなかったのだ。

 けど、映画館の前では黒猫が待っていた。

「お前がはる來だね。随分待たせるじゃないか」

「え……猫が喋った……」

 テンションが上がりきらないわたしがぼそぼそ驚くと、黒猫は不機嫌そうに目を細める。

「私のことは聞いているだろう?」

「あ、ああ。使い魔の……ローエンだっけ」

 そうして、わたしは魔女から聞いていた黒猫が頷く姿を見下ろす。

 真っ黒い毛並みに金色の目を持ち、チャーム付きの首輪を付けた使い魔は、夢と違って別にまんまるじゃない。普通に猫の形で、むしろすらっとしたスタイル。そして、声や話し方も、落ち着いている。低めの猫の鳴き声をそのままヒト語にした感じの声質も相俟って、どこか威厳すら感じた。

 そんな声が、ため息するように言う。

「まったく、一日あけて来るとは。あいつによく似てるじゃないか」

 はい?

 わたしが反発心を隠さないまま首を傾げて見せると、ローエンははたと目を丸くして、それから気まずそうにわたしを見上げる。

「……まさかだけど、魔女から聞いてないのかい?」

「うん、場所も聞いてないし、いつなら会えるとかも聞いてない」

 ローエンが猫のくせに綺麗な舌打ちをかまして、あいつ……と低く唸る。全く同感だった。

 なんだか、それだけでちょっと気が緩んでくる。

「ていうか、わたし魔女やってみる気があるなら会ってみろとしか言われてない」

 わたしはポケットから魔女が残したメモを取り出して、ローエンに見せる。

 すると、ローエンは言う。

「……魔力の授受の前にひとつやりたいことができた」

「うん」

 わたしは頷いて、低く唸るローエンの前にしゃがむ。

 ローエンは、大きく息を吸った。

「私に、あのバカの悪口を言わせな!」

「あははははははっ」

 その親愛まじりの怒りに、わたしはついに笑い出してしまう。あんなに出てこなかった涙も、可笑しすぎて目尻に滲む。

 あんなに焦って凹んでいたのに、今は一旦、前を向けてしまえそうだった。


     *       *       *


 しっかり思い出してみて改めて思ったけど、魔女はいい加減すぎる。

 テキトーが服着て飛んでるというより、服着てから飛んでるだけ偉いくらいテキトー、そんな奴だった。

 わたしはそんな魔女がもういないことを想って、一通り笑いながら少し泣きもした。


 そんなふうに気持ちの整理をしたのが、三日前。そのことをローエンにじっくり話して、心を落ち着かせたのが二日前。

 そして一日あけて、今日。わたしは喪の作業を終わらせておいてよかったと心から思うことになる。

 何せ、魔女が消えたことを伝えて、初めて依頼人に大泣きされてしまったのだから。

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