魔女との喫茶店でのお喋りは心地よく弾んだ。
話の内容は……確か、本当に日常の話やくだらない思いつきなんかを話したはずだ。日常の中でふと思い出すことならあるのに、列挙しようと考えてみるとまったく出てこない。
映画の話をやたらしたのと、あとは、楽しかったのだけは確かだった。
何せ喫茶店で解散にはならず、なんとなくで、散歩しながらもう少し話そうなんてことになったのだし。
「わたしのことはいっぱい喋ったしさ、はる來の話聞かせてよ」
半歩先を歩く魔女がそんなことを言って、いたずらっぽく振り返った。
はて、そうだっただろうか。途中から映画の話ばっかりになって、魔女のことはそんなに聞けていない気がする。
しかし魔女はわたしが口を挟む前に、下校中の学生たちを眺めながらいい加減に口ずさむ。
「しれっといたけどさ、今日って学校ある曜日よね。サボりってせーしゅん?」
よくわからない質問だ。わたしは一応義理程度に考えて、てきとうに受け止める。
「うーん…………まあ、ある種せーしゅんかぁ?」
「わたしもわからんけど、違った?」
わたしも曖昧なら、魔女もてきとーだった。
しかし、青春。わたしには微妙に意味が掴み切れていない言葉の一つだった。
単純に『若い時期』を指すというだけだとちょっと広義すぎるし、かといって『明るく活力に満ちた若い時期』といわれるとわたしの青春っていつ? ってなるし、でも大人たちが言う『暗い青春』だの『大人になっても青春だの』まで含みだすと本格的に意味がわからないし。
愛だの青春だの、大人たちが自分の主張に合わせて都度都度捻じ曲げて使いまくる言葉だから、意味がわからんなくなっているのだ。
いいかげんにせい。という気持ちが毎度ある。
「ふはっ」
考えに沈んでしまっていたわたしの顔を覗き込んで、魔女が笑う。そして、自分で話しを振っておいて簡単にぶん投げて、少し話をずらす。
「まー、どっちでもいっかぁ。……でもさ、どっちにせよ葛藤が多い年頃? だよね、確か」
これはこれで繊細な話題だった。しかし、魔女が深く考えていないこともわかるので、わたしも力を抜いて答える。
「まあ、なかなか親やなんかの庇護下から出られない年齢だし、未成年だけに色々だな」
「親かぁ……わたしもうあんまり覚えてないけど、あんま好きじゃなかったな。はる來んちは仲いいの?」
わたしは僅か高い位置にある魔女の横顔を見上げる。容姿も表情も言ってることも色んな意味で若者すぎて、同級生と喋ってるみたいに錯覚してきた。
わたしとは相当の歳の差があるだろうに。魔女はそういう、時間の垢みたいなものを感じさせない。
だから、わたしは対大人の濁し方をせずに、普通に素直な気持ちを言う。
「うちも、まあ、そんなに。今は距離置いて喧嘩減らしてはいるけど、ぶっちゃけ折り合い悪いよ。少なくともわたしはあんまり好いてはいない」
「わ、距離置くとか大人の対応すぎる。わたしは大人の対応できないから家出ちゃったよ。酷い親だったとかじゃないけどさ、今再会できるとか言われても普通に喧嘩売っちゃうわ」
「ぶはっ」
魔女のあまりに似合う言い分に今度はわたしが笑った。言い回しもなんだか二百歳越えっぽくない。
「魔女はずっと一人でやってきたのか?」
わたしが聞くと、魔女はゆるく首を振って言う。
「ううん、使い魔はよく連れてる。今の使い魔とは長いよ。三十年くらいかな」
そして、今一緒にいる使い魔の黒猫のことをわたしに話して聞かせてくれた。
やがて散歩も流石に解散かなあという空気になったわたしたちは、連絡先だけ交換して帰路につく。
しかし、魔女はなぜか最寄りの駅までついてきた。
「あんた箒で帰るんじゃないの?」
わたしの当然の疑問に、魔女ははーやれやれと箒を握り直す。
「運転だるくなってきたから近くまで電車で帰るわ」
「運転」
復唱するわたしの前で、魔女は言葉通りだるそうだ。
わたしの方はというと、箒に乗ることを『運転』と呼ぶのがあまりにも『現実』でちょっと愉快な気持ちになっている。魔法とか魔女とかいっても、ファンタジーの世界ではないのだなと改めて思わされて、ちょっと嬉しくもあった。
わたしたちは特に急がず歩いて、電車待ちの列の先頭を取る。このホームには二列に並ぶように指示書きがしてあるから、丁度よく二人横並びになった。
三分もしないうちに、わたしたちの後ろに長い列ができた。タイミングよく先頭が取れただけで混み合う時間帯には違いないらしい。
滑り込んでくる電車を目視しながら、わたしは点字ブロックの位置を確認する。
そのときだった。
「あ!」
背後で声がした。振り向くと同時に、わたしの視界がブレる。どうやら誰か倒れたらしく、倒れた人に押された女の子の頭がわたしの肩を強打していた。
わたしの体は女の子の頭に押されるままに駅のホームから横に倒されて、線路の上に放り出される。
正直な心境としては「あれれ」って感じだった。だって、取り返しがつかないほうがおかしい。ちょっと体調不良の人がいて、ちょっと不注意だっただけなんだから。
ちょっとしたことなんて、大抵は取り返しがつく。……そのはずなのだ。
だけどわたしの手も足も空をかいて、まるきり『取り返しがつく』への軌道修正をさせてくれない。
電車が近づいてくる音がする。
わたしはそっちを見るけど、電車の向きがいつもと九十度違ってなんか間抜けだ。というか景色全部が横向きだ。つまり、実際はわたしが九十度傾いている。
死ぬときって案外あっさりだ。後悔くらいはしたいけど、一瞬すぎてそれすら思いつかない。
わたしが恐怖に目を閉じると、ふいに電車の走行音が止んだ。
走行音というか、全部の音がしない。
恐る恐る薄目を開けると、わたしは体を空中に横たえたまま、なぜか静止していた。
ちょうど、あの花瓶のように。
そこでピンと来て、どうやっているか自分でもわからないけど体を起こして魔女の方を見る。
魔女は箒をホームに突き立てて、何か魔法を使っている様子だった。箒が、黄金色に光り輝いている。
「魔女……?」
わたしが声を発すると、魔女は輝くのをやめた箒をホームに置いて、手の動作だけで空中にいるわたしを操ってホームに引き上げた。やっと体が縦になって、足が地面を踏む。
「えっと……あ、ありがとう」
突然のことすぎてどんな顔をしていいかわからないわたしは、それでもまずお礼を伝える。
「いえいえ」
魔女は帽子の位置を片手で調整して、ばつが悪そうに言った。
「……ごめん、今咄嗟に時間止めちゃった。丸一日このままです」
「は⁉︎」