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第四十六話 『映画館で会った魔女だろ』その3

「ごめんなさい!」

 立派な魔女帽子をわざわざ一度被ってから脱帽して、髪の長い女は大きく頭を下げた。

「わたし、魔女なんですけど……、ちょ、ちょおーっと寝不足で……なんか、すごい、あのシーンはらはらしちゃって……気づいたらなんか…………魔法使ってました」

 髪の長い女改め魔女は、おずおずと顔を上げながらそんな言い訳をする。

 ここは映画館のカウンター前だ。ロビーの閑古鳥が賑やかなのをいいことに、支配人とわたしと魔女が三人きりの車座になっている。バイトの青年は自分のミスじゃないことがわかると全部支配人に引き渡して、映写室の中のチェックに戻っていた。

 一人カウンターの向こうにいる支配人は、肩をすくめてわたしを見る。

 そのお茶目な目が言っている。

『きみが構わないんなら別にいいけど、どうする?』

 正直言って、別に構わなかった。

 こだわりを持って見ていた映画でもなかったし、感情移入しすぎた観客の手で展開が変わってしまうという事件そのものが面白すぎたからだ。それに、あの花瓶を支えたくなる気持ちは、あまりにもよくわかる。わたしだってあと十歳若ければ手を突き出すとこまではやってた。

 かといって時間的に満たされていないのも確かだ。あの花瓶の場面は二本立ての一本め中盤だったのだから。

 満足度は高い。だからいわゆるタイパってやつ的には最高なんだろう。でも、実際に時間を使うという行為で満たされるものがあるのだ。今回は、それがまだ満たされていない。

 わたしは魔女が胸の前で持っているつばの広い魔女帽子を見て、ちょっと考える。

 わたしは今日は、一人の時間を充実させる気満々だった。でも今は、魔女って存在に好奇心を刺激されている。ちょっと関わってみたくなってきている。

 一人の時間を、誰かと過ごす時間に置き換えても、いい気がしてきている。

 ややあって、わたしは言う。

「じゃあ、お詫びになんか奢ってよ」


 魔女をナンパする形になったわたしは、その日初めて箒に乗った。

「乗り心地どう?」

 魔女があまり心配はしてなさそうに言って、後ろに乗るわたしの顔をチラ見してくる。

 明るい日差しの元、二車線ほどの道路の歩道を、魔女の箒は滑っていた。魔女のコントロールは上場で、時折通行人を器用に避けている。

 わたしの箒タンデム初体験は超低空飛行で、まるで自転車の後ろに乗せられているみたいに普通の感覚だ。

「若干尻が痛い」

「え、うそ」

 わたしが正直に告げると、魔女は少し減速して、ぱぱぱと片手でわたしのスカートの辺りを払うような仕種をした。

 途端に身の軽さが増して、尻への負担がほとんどなくなる。

「これでどう? 体浮きすぎて不安定になってない?」

 心配している魔女に、わたしは答える。

「いや、これくらいがいい」

 推察するに、わたしの尻の肉が薄いか、わたしの体重が魔女の想定より重いか、その両方かだろう。多分両方だった。

 と、

「体重何キロ?」

 魔女はストレートにそこに突っ込んでくる。相手によっては殴られるし、また別の相手によっては無言で嫌われる発言だ。

 わたしはそのどちらでもないから、ちょっとだけぼかして言う。

「詳しくは言わないけど、献血ルームに行って四百ミリ採ってもらえるくらいには健康だよ」

「そっかぁー」

 質問するならもうちょっとマシなリアクション用意すればいいのに、魔女は勝手に納得してしまう。

 かと思うと、はたと気づいたように付け足す。

「あ、わたしもこの間ね、四百採ってもらって記念グッズもらったよ」

「なんじゃそりゃ」

 不器用なコミュニケーション。わたしはその独特なリズムにちょっと笑った。



 わたしたちは適当なチェーンの喫茶店に入ると、各々好きな飲み物をもらって席に着く。魔女はアイスティー、わたしはアイスカフェラテだ。

「えっ……と、あ、そうだ、改めて今日はごめんなさい」

 魔女が話題に迷ってから謝罪に戻るので、わたしはてきとうに流す。

「いーよ、それは。それより、魔法魔法。初めて見たから面白かった。すごいね」

 わたしがジャブ的に褒めそやすと、魔女は分かりやすく頬を染めて口角をうにょうにょと上げる。隠そうと努めているようだけど、ちょっとにやけている。

「そんなにちゃんとした魔法じゃないんだけどね。あれ」

「ちゃんとした?」

 わたしが聞き返すと、魔女は何を表現しているかよくわからない身振り手振りを交えて教えてくれる。

 曰く、ちゃんとした魔法は大きく分けて二種類あるらしい。

 一つは儀式的な魔法。魔法陣はもちろん対価も必要になるし、ちょっと大変。

 一つは生活魔法と呼ばれるもの。こっちは対価も要らないし、魔法陣さえいらないものも多く、手軽で身近。

 今回魔女が使ってしまったのは、その二種類には分けられないものらしい。

「生活魔法に近いノリではあるんだけど…………ホント、わたしがさっき偶発的に作っちゃった魔法だから……」

「ノリ」

 わたしは自分が気になったところだけを気まぐれに復唱する。

 なんか不思議だ。『ノリ』だとか『作っちゃった』だとか。教科書の中でしか出会ったことがないからか、魔法ってもうちょっと真面目でいかめしいイメージがあったから。

 ……どうでもいいけどいかめし食べたくなってきたな。

「意外と魔法ってノリだよ」

 冗談なのか本気なのか、魔女はへらっとはにかみながら言う。

「へえ。そうなんだ」

「うん、二百年近く魔女やってればねぇ、ほぼほぼノリだなぁ」

 わたしの相槌に、魔女は斜め上を見ながらなんてことないように口にした。

 けど、今しれっとなんか言われたので聞き返しておく。

「にひゃくねん?」

「えへへ」

 魔女は何に照れているのか頬を染めて、暗に肯定する。

 わたしはなんとなくノってきて、手でマイクを作ってすっとぼけインタビューを敢行する。

「あなたにとって魔法とは?」

「それ締めの質問じゃん!」

 魔女はけらけら声を立てて、そこまで続いていたはにかみ笑いを脱ぎ捨てる。

 そうやって、わたしと魔女は打ち解け始める。


 意外とウマが合いそうな予感がして、わたしは新しい友人ができそうな予感を前向きに受け止めていた。

 もしかしたら、魔女も同じように思ってくれていたのかもしれない。そうだったらいいなと思う。

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