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第四十四話 『映画館で会った魔女だろ』その1

 いい発見をした。

 高校に入って早一年とちょっと。わたしは、学校をサボったり放課後家に帰らずに遊び回ったりすることが増えて、比例するように映画館に行く回数も増えていた。

 前者のサボりは悪事だぞーという百も承知な事実は横に置いといて、ともかく映画館。映画館の話だ。

 いい発見とは、わたしはよくある普通の映画館を、実は結構窮屈に思っていたということだ。

 わたしは映画を見るのはそこそこ好きで、映画館という箱の中に映画の世界が広がっているのが好き。だから、映画館にはよく通っているんだけど……。

 とかく、よくある普通の映画館は気を遣う。スマホの扱いや椅子に足をぶつけないように気をつけるなどのマナー面から、後ろの人を気遣う座り方だとか音を立てないように飲食するだとか変なところで笑わないだとかの純然たる気遣いまで……色々ありすぎて、よくある普通の映画館は、最早身じろぎにも厳しい空間なのだ。

 昔は昔でマナーが悪すぎて大変だったらしいけど、わたしは今しか知らないから、『これはよくなってきた結果』という風に捉える視点は持っていない。

 ただただ、ああよくよく考えるとわたしは窮屈に思っていたのだなあと実感する、そんな感じ。

 自分のことをひとつ知るというのは、人生の居心地をよくするヒントとして大変に有効だ。

 わたしはこれから、今まで漫然と取っていた『お小遣いに余裕があるうちはショッピングモールの映画館に行く』という行動を変えることができるのだ。

 それでわたしは、映画館通いを減らそう…………とは、していなかった。

「探さないと意外と気づかないもんだな……」

 わたしは一人ごちて、古めかしい赤い看板を掲げる小さな映画館を入り口から眺める。

 そう、わたしは映画館という場所の新規開拓を選んだ。

 昔の映画館が今から考えれば信じられない空間だったというのなら、古い映画館ならもしかしたら――わたしにとってちょうどいい塩梅の空間が広がっているかもしれないのだ。

 今来ているのは、何度か通ったことのある商店街の外れにある映画館だ。ポスターは新しいし、入り口脇のチラシにも今日の日付で上映予定が書かれているから、やってるはず。

 わたしは少し緊張しながら小さく扉を開いて、そろりと映画館に入る。

 そこにはホコリっぽさを連想させる古びた狭いロビーがあった。映画館というより、なんかちっちゃい公民館みたいな印象だ。カウンターにも初老の紳士が一人、高めの椅子に座って何か読んでいる。

 わたしがとすとす近づいていくと、あと二歩くらいのところで初老の紳士がやっと目を上げた。

「いらっしゃい。はじめてのお客さんだね。何か目当ての映画かな?」

 老眼鏡と思しき眼鏡をずらして上目遣いにわたしを見る初老の紳士の胸には、支配人と書かれた名札がついている。

「あー……」

 肝心の映画のチョイスのことを考えていなかった。

 わたしは少し考えて、素直に言う。

「いや、何やってるか調べてなくて……。ただ、映画館の新規開拓をしにきました」

 すると、支配人はほほうと愉快そうに微笑んだ。

「なるほど。そういうことなら、シアター1で今やっている……この映画はどうだろう」

 支配人が見せてくれたのは、昔のポップスターが主役という作品説明がついた一色刷りのチラシ。印刷が少し不鮮明で、作品説明の隣の画像はかろうじて顔がわかるくらいの状態だ。

 わたしはチラシを数秒眺めて、それから首をかしげる。

「途中から?」

 すると、支配人はうんうんと鷹揚そうに頷く。

「『この映画館』という雰囲気を開拓するなら、丁度いいと思うよ。今日はこの映画は二回連続流す予定でね、その二回は一つのチケットで見ていいし、今が一周目だ」

「え、今、その……入れ替え制? じゃないなんてことあるの!?」

 わたしは思わず目を見張る。昭和から平成のレトロ感が持てはやされる令和の女子高生としては、反応せざるを得ない。ネットの検索結果の中でしか見たことがない上映の仕方だ。

 支配人はわたしの食いつきにまた笑う。

「まあ、昔の映画館みたいにずっと流してずっといられるわけじゃないから、入れ替え制っていえばそうだけどね。うちは私の道楽で営業しているから、たまにこうして懐かしのやり方をしてますよ。どうです? 映画は途中ですが、今から入りますか?」

「入る入る、入りますっ」

 わたしは更に食いついて、普段行く映画館より安い学生料金を払うと、早速正面にあったシアター1に入る。

 扉を開けた瞬間、ドキっとした。

 スクリーンの中のポップスターが丁度扉を開けたところだったからじゃない。

 わたしが扉を開けたことで、真正面にあるスクリーンに白い光が差したからだ。

 わたしは慌てて、ゆっくりしか閉まらない扉を押してなるべく急ぎめに閉まらせる。しかし今度は押しすぎて反対側にちょっと開いた。

 しばらく内心うひぃうひぃ言いながらなんとか扉と和解して、わたしはやっと座席を探す。

 チケットももらわなかったし何も言われなかったから、自分で好きなところに座ればいいんだろう。

 わたしはそわそわしながら、縦六列しかないうちの後ろから二番目の列、だいたい真ん中らへんの椅子に座る。

 丁度わたしが席についた瞬間に音楽が始まった。

 わたしは映画も気にしつつ、周りの座席を見渡してみる。狭いシアターに、五人ほど人が入っている。平日昼間だからだろうか、それとも万事こんなんなんだろうか。

 わたし以外の観客の映画に対する態度はまちまちだった。

 音楽に乗って頭を揺らしながらポップコーンを食べる者、どう見ても寝落ちしている者、腕を組んでジッと鑑賞する者……わたしと同じ列の隅に座る髪の長い女など、こちらには聞こえない程度に一緒に歌を口ずさんでいるのか、口が小さく動いている。

 新しい場所に興奮して、わたしは、一周目には全然映画に集中できなかった。

 だからというか、当然二周目も最初から最後まで見てシアターを出る。その頃には二人の観客は退室済みで、逆に一人の観客はまだ寝ていた。

 一緒のタイミングにシアターを出たのは、一人。

 小さく口ずさんでいた髪の長い女だ。

 わたしが背筋を伸ばしてゆっくり歩いていると、女はわたしの後ろについてきている感じがする。妙だ。

「……あの、何か?」

 わたしが振り向くと、女はちょっときょどってから、突然に少しテンションを上げる。

「えと……ね、ねえっ、あなた途中で入って来た子よね」

「あ、うん」

 映画を台無しにしたと怒られるんだろうか。そんな考えがちらっと覗くが、どう考えても怒るときのテンションじゃない。

 戸惑うわたしに、女はちょっと早口で言う。

「扉開けるタイミングどんぴしゃでなんかカッコよかったよ。じゃあね!」

 自分で伝えた感想に照れたのか、女はわたしを追い越して映画館を出て行った。逆光でよく見えなかったけど、女は扉を出るとつばの広い帽子を両手で被って、バタバタ走っていく。

 わたしは『変わった人だな』という感想以上に『そのときの周りのことも鑑賞体験に含んでいいんだ』という広がりを感じて、ちょっと愉快な気分になる。

 それはそれとして、変な人だなとは思った。


 このときのわたしは知らなかったけど、このとき初めて話した女が、わたしの人生を左右することになる。

 流石に想像もしなかった。女が、今はレアキャラもレアキャラの魔女という存在で、わたしがその魔女を継ぐことになるだなんて。

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