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幕間 『ローエングリン』

 私と魔女の関係は――一言で言えば、『ただの魔女と使い魔』だった。

 でも、最初は違った。違ったというか、暫くは迷っていたんだ。


 私たちが出会った場所は確か、港町。堤防に座る魔女とその横の黒猫。そんな、今思えば絵本みたいなシチュエーションだった。

「猫じゃん」

 まだミャァだかニャアだかしか言葉を持たなかったわたしを見下ろして、魔女は言った。

 色素の薄い長い髪が透かす日の光がやたらと眩しかったことを覚えている。魔女の微笑みのその輪郭も。

「魚食べる?」

 魔女は、人にするように気さくにそう声を掛けてきていた。

 後から聞いたところによると、丁度人間関係というやつが嫌になって、人間とは話しをしたくなかった頃らしい。

 私は近くに来た人間に警戒しながら、それでも魚につられてその場に残っていた。

 私からしたら、人間は無防備に置いてある食べ物を私たちが食べるだけで怒る意味不明な生き物だった。賢い猫なら五年も生きれば人間の言っていることはだいたいわかるようになるが、それでも人間の理屈を理解してやる気にはならなかったしね。

「わたしの前の使い魔さ、鴉だったんだけど、鴉の寿命で生きて死にたくなった~とか言って群れに帰っちゃったんだよね」

 魔女は足をぶらぶらさせながら言った。

「絶賛使い魔募集中なんだけど、どう?」

 私は人間特有のどうでもいい話をしているんだとしか思わず、義理程度にニャァとだけ返事をして魚を貪っていた。

 すると魔女は少し考えて、自分自身に魔法を掛けて言い直した。

「絶賛使い魔募集中なんだけど、どう?」

 さっきと違って、『なんとなく言葉がわかる』程度ではなく、はっきりと考えが伝わってくる。

 でも、私も呆れて同じ返事をしなおした。ニャァと。つまり、『どうでもいい』と。


 魔女はどうにも、つれなく付き合ってもらえると嬉しくなってしまう悪癖があるらしくてね。

 餌につられて付き合いながらもつれなく接する私の元に、何度も来るようになった。

 私も魔女の存在に段々慣れてきて、たまになら撫でさせてやってもいいと思うようになり、更に時間が過ぎて冬になる頃には、魔女の膝の上で餌を食べるようになっていた。

「……ねえ、お前、やっぱりわたしの使い魔になる気ない? 寿命も延ばし放題だし、美味しいものも食べられるよ」

 その言葉で、初めて耳がピクっと動いたし、同時に心も揺れた。

 当時の私には毎日が『どう生き延びるか』で、つい先日まで生存競争相手だった猫も交流があった猫も、簡単に死んで行ってたからね。交通事故なんかも含まれたけど、基本的に野良猫は寿命が短いもんなのさ。

 美味しいものには釣られなかったのかって? そりゃあ、そのときは魔女に美味しい思いをさせられていて、それが当然になっていたからね。勘定には入れてないよ。猫の思考回路なんてのは大抵がそんなもんさ。

 寿命が延ばし放題になってみれば生への執着なんて薄れる一方だったが、当時は生きることに向かう力で溢れていた。

 丁度寒かったことだし、私を暖めてくれる生き物の確保という意味でも、私は魔女の使い魔をやってみていい気分になったんだ。

 私が昰と返すと、そこからは本当に早かった。

 魔女はあっという間に私の周りに魔法陣を描きつけて、長い髪を代償に、一滴の血を契約のしるしにして、さっさと私の存在を『自分の使い魔』に換えてしまった。

 後から知ったんだが、普通は使い魔の契約を取り交わす前に猶予期間を設けるそうだ。

 完全に人間の言葉がわかる状態で数日間から数ヶ月一緒に過ごして、使い魔になったら生じる変化についても詳しく話す。それで色良い返事があってやっと契約に至るらしい。

 明確なルールではないよ。でも、普通はそうする。そうじゃないと、やっぱり不満だと降りられる確率がかなり高くなるみたいだ。それもそうだ、ただの動物から使い魔に変化すると、見える世界も己の立場も全く違って来るのだから。

 私の場合は、まず、元々あった猫の五感の視覚に『色』が加わったことに目を回した。

 だけど、髪がすっかり短くなった魔女が嬉しそうに頬を上気させて笑っていただけで、比較的どうでもよくなってしまった。若かったんだね。

 ああ、『普通の魔女と使い魔』の関係性かどうか迷ったのはここまでの話じゃない。ここからの話さ。

 私たちは不思議と気が合った。まるで最初から一緒にいたみたいに。どこか逸れていた欠片同士が引かれあって元に戻っただけだとでもいうみたいに。

 ちょっと合いすぎていたんだ。

 同じ種族の雄と雌なら、話は簡単だった。

 猫の流儀でも、古くからの人間や魔女の流儀でも、決まった型があったから。本来ならそれを適宜自分たちに合うように変えたり変えなかったりするだけでいい。

 もちろん、別々の生き物だからって擦り合わせができる可能性はゼロじゃないだろうね。

 でも私からしたら、人間や魔女の流儀で結婚という儀式を行うのは絶対に違うという確信があった。使い魔になっても残る感覚で猫の流儀に巻き込むのは、もっと違う感じがした。そして運が悪いことに、新しい形を見つけるというのも、まったくしっくり来なかった。

 それはきっと、魔女も感じていたのだろう。だから私たちは無言の葛藤の末、『普通の魔女と使い魔』の関係性を選び取った。それが自然で充分だと思っていたわけじゃなく、一番マシな形として。

 時間は掛かった。魔女の髪がすっかり元通りの、腰まで届く長さに戻るくらいまでには。

 その頃だね、名前を持たない野良猫だった私が、ローエンというあだ名で呼ばれ始めたのは。

 名と素性さえ問わなければ伴侶となったはずの白鳥の騎士、ローエングリンを縮めて、ローエン。

 核心をついてはいけないという意味で、魔女から見ればしっくりくるあだ名だったんだろう。



「……待って、その……思ったより恋バナだったことにもびっくりしてるけど、それ以前にローエンってあだ名だったの?」

 語りの終わりっぽかったのもあってわたしが突っ込むと、ローエンは涼しげに返す。

「そうだよ。魔女が自分を魔女とばかり名乗るのと同じように、私も本来名前を必要としていなかったからね、わざわざ考えなかったのさ」

 名前がないのにあだ名はある。なんだか変な感じだ。

 ああでも色んな所で色んな風に呼ばれる野良猫の生き様というのには近いのかも。

 でも、ローエンは野良じゃなくて魔女の使い魔になったのに。

「自分で考えないのはともかく……魔女も、名付け親にはならなかったんだな。確か使い魔には魔女から名前を贈ることが多いだろ?」

 わたしが言うと、ローエンはこの場にいない魔女を揶揄うように笑う。

「そうだ。でも、親とつくような関係になりたくなかったんだろう。お前、恋バナって言うならそれくらい察しておやり」

「うっ……そうかも……」

 ローエンの自意識過剰とかそういうんではなく、本当に魔女はローエンが好きだったのだろう。そして、ローエンも。

 自分から聞いておいて、非常に複雑な心境だ。

 それは、わたしと引き換えにこの世から消えてしまった魔女が、ローエンにとってどれだけ重大な人物だったかを聞いてしまったから。……というのももちろんあるんだけど、なんていうか、今の心境としては……両親の馴れ初め聞かされた感が多大すぎた。

 思ったより何倍も、しっとりした話だったもので。

 それにしても、うぅん……。

「…………」

「なんだい」

 言うか迷っている言葉があったわたしを、ローエンがそっと促した。

 わたしは少し考えてから、ローエンに甘えて口に出すことにする。

「でもさ、魔女ってもっとこう……」

 言葉を選ぶ。

「こう…………」

 ああだめだ、浮かばん。

 仕方ないのでストレートに言う。

「もっとこう、情緒子供っぽくなかった?」

 そう、わたしの記憶の中の魔女は、そりゃあ二百年ちょい生きた年上の女ではあったけど、でもそれ以上にどうしようもなく、子供っぽいコミュ障だった。

 ローエンは私の物言いに少し目を丸くしてから、肉食動物らしいギザギザの歯を見せて大笑いする。

「そうだねぇ! あいつは基本的には、ずっとガキだったよ」

「……だよねぇ」

 わたしはほっとするのと同時に、ちょっと笑った。

 わたしとローエンは、間違いなく同じ魔女のことを思い起こしているのだ。



 ローエンに魔女のことを聞かせてもらって、思う。

 わたしも、わたしと魔女のことを思い返してみてもいいのかもしれない。

 映画館で会った魔女との、短い交流のことを。

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