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第四十三話 『フィルムカメラの頼み』その9

 若い女と子供と別れて、歩きながらわたしは言う。

「『幸せな記憶』さ……今みたいな、色々があっていいと思うんだよね」

「うん」

 フィルムカメラの返事にも、手ごたえがある。

 だからわたしは、ローエンから『少年』の話を聞いたとフィルムカメラに伝えて、更に続ける。

「楽しんでいる人や喜んでいる人、今は泣いてる子供、それに、少年みたいな孤独な人……全部を『幸せな記憶』として収められたら、そういうの、いいと思わない?」

「それが、はる來さんが提案する最後の一枚かい?」

 フィルムカメラは柔らかな声で言った。だからわたしもそのまま、自分が思った通りの続きを言葉にする。

「そ、わたしがアンタに撮ってやりたい景色」

 どうかな?

 そこまでわたしが言うと、フィルムカメラは少し黙り込む。最後の数枚でこんな急転換されたら戸惑うだろうと思うから、わたしも急かしはしない。

 ローエンも黙って見守っている。

 と、フィルムカメラが突然声を張り上げた。

「はる來さん! さっきの方です!」

「ええっ……?」

 何のことかとわたしが辺りを見回すと、そこにはさっき助けてくれたマスコットキャラクターがいた。

 動き方からしても、中の人も交代とかはしていない様子だ。

「はる來さん、一つ僕からリクエストするよ。最後から二枚目の写真は、はる來さんとあの方のツーショットがいい」

「わ、わたし?」

 フィルムカメラの突然の提案に面食らうわたしに、フィルムカメラは意気揚々と続ける。

「最後の一枚を決めてくれた魔女さんのことも、僕は収めたいんだよ!」

 その言葉でわかった。

 フィルムカメラはわたしの提案に乗る気になってくれたのだ。

「急いで急いで!」

 フィルムカメラに急かされて、わたしはマスコットキャラクターに話しかけて、お礼を言って、抱き着かせてもらう。ごわごわで、でももふもふだ。

 写真撮る役はどうしようかと思ったらローエンが通りがかりのスタッフに頼んでくれていて、トントン拍子で解決する。

 残りは、一枚。



「それで、はる來さん、最後の一枚はどうやって撮るんだい?」

 わたしが遊園地のレストランにあるテラス席で早めの夕食を済ませていると、フィルムカメラに問われた。

 残りが一枚になってからは暫く、写真関係なく遊園地で遊んでいたのだ。

「ちょっと時間帯を待たなきゃいけなかったんだ」

 わたしは言い訳がましく先に言って、最後の一口になったパスタをくるくるしながら続ける。

「全部を写真に収めるってことで察しがついてるかもしれないけど、観覧車で撮ろうかと思ってて……」

「おや、ジェットコースターじゃなかったのかい。予行練習かってくらい乗ってたじゃないか」

 テーブルの下で、猫用に用意してもらった玉ねぎ抜きメニューを食べていたローエンが口を挟む。

 まあ、言われるのも仕方ない。わたし、ジェットコースター十回くらい乗ってきたし。

 わたしが半笑いで咳払いすると、フィルムカメラも笑い声を立てる。

「ま、まあね……他のアトラクションを楽しんで時間を潰してきましてぇ……」

 まだまだふざけた口調のままでわたしは続ける。

 最後のひとときだと思うと、まだ少し怖い。

 でも、そんなひとときは、きっと楽しい方がいいのだ。魔女が一貫して、わたしを振り回して楽しそうにしていたように。

「そろそろ……ほら、電気ついた」

 わたしが指さす先で、観覧車のゴンドラ内の電気が淡く灯る。

「今の時間なら、ガラス越しの街の景色も、ガラスに反射したフィルムカメラとついでにわたしの姿も、一緒に写れるはずなんだ」


 そんな会話のあと、すぐに夕食を終えたわたしは、ローエンとフィルムカメラを連れて観覧車に乗る。

 今は未だ、一人と一匹と一台。だけど、降りてくる頃には一人と一匹。

 わたしはできるだけ緊張しないように、景色を見ておくことにする。

 じわりじわりと高度を増して、遊園地の敷地内から、街の景色に目が行くようになる。

「へぇ……なんか、提案しといてなんだけど、こんなに綺麗なんだな、街並みって」

 わたしが漏らした感想は本心だった。ごちゃごちゃに人がいるだけのただの都市だと思っていた場所も、こうして腰を落ち着けた状態で見下ろしてみると存外いいものだ。

「……はる來さん、ありがとう」

 半分くらい登った頃になって、フィルムカメラは突然言った。

 そして、わたしが何事か言い返す前に続ける。

「写真を撮ってもらったら、言う暇あるかわからないからね」

「うん……」

 心細さがつい顔に出てしまったわたしに、フィルムカメラは優しく語り掛ける。

「謝るのも違うかもしれないからお礼にしておくけれど、『誰かが動かなくなるための最後の一手』なんて役割を負ってくれて、本当にありがとう。そして、『幸せな記憶』をたくさん探してくれて、それだけじゃなく最後の数枚はもっと考えてくれて……本当に、本当にありがとう」

「うん……」

 わたしは泣かないように短く応えて、カメラの構え方の調整を始める。そろそろ高度が上がってきた。

 フィルムカメラは構わず続ける。

「あの少年も、街の一部で息づいていた。そして、僕で写真を撮ることを慰めにしていたときには、それが『幸せな記憶』になっていたんじゃないかって、今はそう思えるんだ。そうだったからこそ、最期に、フィルムカメラの僕のために願ったんじゃないかって」

 てっぺんが近い。

 フィルムカメラは照れたように続ける。

「都合がいいかな?」

 わたしは迷わず答える。

「いや、きっとその通りだよ」

 観覧車がてっぺんに辿りついた。一番街がきれいに撮れる画角で、かつ、ゴンドラの中の様子もいい感じに反射している。

「ああ、いい景色だ……、  」

 フィルムカメラが溜め息のように誰かの名前を呼んだそのときに、わたしはシャッターを切った。

 わたしの手の中にあった綺麗な状態のフィルムカメラは、みるみる焦げて焼け落ち、溶けたプラスチックの塊になっていく。

 わたしは怖くて切なくて、でも最後に見せてあげられたものがあることが嬉しくて、吐きそうなくらいの感情の奔流に振り回されて景色を滲ませる。

 ローエンは、うずくまるわたしにずっと寄り添っていた。ゴンドラが地上に降りるまで。そして、わたしが自分の家に帰っても、今日だけはずっと。



 後日、わたしはフィルムカメラの墓を作っていた。

「よっさほいさっと」

「何をしているのかと思ったら……」

 魔女の隠れ家から出てきたローエンが、盛り上がった木の根から、絶賛土を掘り返し中のわたしを見下ろす。

 ここは魔女が作った森の中。外の生態系とは別の場所だ。

 だから、無機物の墓を作っても不法投棄にはならないし、何かの薬品だかが染み出して植物がどうこうなっても、別に構わなくていいのだ。

「人間にはこういう行為が必要なのさ」

 わたしが言うと、ローエンはすっと隣に降りてくる。

「墓標はこれかい」

「ああ」

 ローエンが鼻で差したのは、魔女の隠れ家の隠し収納の奥に埋もれていた板を加工したものだ。見た感じ、家具の素材にしようと確保したけど別に使わなかったやつ、って感じだった。

 板のままだと何かわからないので、彫刻刀で『フィルムカメラ』と掘ってみた。日曜大工に使えるような魔法はまだ覚えてないから、綺麗に掘るのが結構大変だった。

 わたし女子高生、力ない。普通科の女子高生、彫刻刀学校で使わない。

 そんなことを考えている間に出来た穴に、わたしはフィルムカメラだったプラスチックの塊を安置すると、土を被せて、墓標を突き立てると、膝をついて手を合わせた。

「…………」

 そんなわたしをジッと見ていたローエンが、ポツリと言う。

「お前がそうしているところを見るのは、初めてだねぇ……」

「うん」

 わたしは、魔女のことを想っているのだろうと気づいて、静かに頷いた。

 それから、立ち上がる。

「魔女のことは、まだ全然悼めないんだ。心に衝撃は残っているし、油断すると怖くなったりつらくなったりはするけどさ……」

「言っていたね、最初のときに」

 ローエンがしんみりしている。というか、

「覚えてたんだ」

「ああ、まだ人となりもわからない奴に突然に、死ぬどころじゃなく消えられて、どう受け止めていいのかわからない。そう言っていたね。その割にずっと落ち着いているから、私もすっかり忘れていたわけだけどね」

「ははっ」

 ローエンがまた罪悪感を覗かせるので、わたしは笑う。

 そして、言う。

 背筋を伸ばして、堂々と。

「なあ、魔女とローエンのこと聞かせてくれ」

 フィルムカメラの頼みのページに『消化済み』と記入することができたわたしなら、聞かせてもらっていいはずだから。

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