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第四十二話 『フィルムカメラの頼み』その8

 目が腫れて開きにくい。

 わたしはローエンを抱えたままで忘れ物センターを訪れて、今、フィルムカメラを受け取るための個人情報記入をしている。記入欄が小さくて住所が書きにくいし、目が腫れて視界が少し狭い。

「はい、ご記入ありがとうございます」

 忘れ物センターの受付のおばちゃんは記入欄を確認すると、しゃがんで足元の収納からフィルムカメラを出してくれた。

「ありがとうございます」

 わたしは見失ってしまったマスコットキャラクターに言いたかった分まで深々と頭を下げて、フィルムカメラを受け取った。

 そして、忘れ物センターを一歩出たところで、フィルムカメラが気遣いを発揮する前に宣言する。

「写真、撮ろう。アンタに撮ってやりたい景色もあるんだ」

 わたしには考えがあった。


 ボートの上で本音を漏らしたあと、わたしは少しの間人工池の上を漂いながら、仮でも覚悟を決めた。

 フィルムカメラの頼みを、ちゃんと聞く覚悟。いや、聞かない覚悟とでもいうんだろうか。最後までフィルムカメラのためになれるように、予定を完遂する覚悟だ。

「ローエン、わたし、また強がってでも立っててみせるから……一度手をつけた仕事を、依頼人に気まずい思いをさせながら置いておくようなことはしないから……だから、全部終わったら魔女とお前の話をしてくれ」

 そんなわたしにローエンは言った。

「……はる來、無理に突き進んでよくない終わらせ方をするなら、一度横に置いておけ。……と言うところだけど、何か考えたのかい?」

 わたしはローエンがいつものように気にかけてくれることを妙にくすぐったく思いながら、力強く頷く。

 わたしはこういうときのアイディアとか思索とか、そういったもの全般には強い方だ。

「もちろん」


 わたしはローエンに宣言した通り何か考えていて、それはフィルムカメラに宣言した通りの『撮ってやりたい景色』のことだった。

 だけどひとまずは普通にフィルムカメラに頼まれた『幸せな記憶』の被写体を一緒に探す。

 あと四枚。わたしが撮ってあげたい写真は、最後の一枚として提案してみるて、駄目だったら新しい『ベスト』は新しく考え直すと決めていた。

「フィルムカメラ、アンタが撮りたいと思う『幸せな記憶』っていうのはみんなニコニコなだけか?」

「……そこについては、深く考えてなかったな。いや、これまでの写真に不満があるわけじゃないよ。ただ……そうだね、純粋に考えていなかった」

「じゃあ、残り少ないけど、少し変化をつけてみよう」

 わたしはそう言うと駆け出して、さっきまでは絶対に声を掛けることを避けていた人たちに声を掛ける。

「すみません! 今のお二人を写真に撮らせていただけないでしょうか!」

「は?」

 目を吊り上げて怒られる。それはそう。

 だってわたしが声を掛けたのは、身長制限で乗れないアトラクションを前に地面で駄々捏ね大泣きしている子供と、その子供をなんとか宥めようと頑張っている若い女だもの。

「お願いします! 何でも……ホントに何でもするので!」

 わたしは勢いでゴリ押ししようと無駄にハキハキ喋って無駄に綺麗に頭を下げてみせる。

「写真も、公開しないので」

 付けたしつつも、断られるかなとは思う。迷惑でしかない可能性が高いのは承知の上で、それでもわたしのエゴで声を掛けたのだ。

 だけど、すげなく断る言葉が降ってくるかと思った頭の上に降ってきたのは女の泣きだしかねない声だった。

「ホントになんでもしてくれるの……?」

「も、もちろん!」

 わたしは『思ったよりも助けを求められる場面だったな』という罪悪感を押し隠して顔を上げる。

 すると女の人は地面に転がって手足をジタバタさせる子供の頭とわたしの間にしゃがんで子供の顔を隠すと、自分自身の泣きべそ顔の下半分も両拳で隠す。

「…………どうぞ」

 藁にも縋る思いが伝わってくる、生々しい表情。助けに行くよりもファインダー越しに覗くことを選ぶのは、やっぱり変な感じだ。

「フィルムカメラ、撮るよ」

「え、ええ……」

 フィルムカメラがわたしの囁きに困惑しながら、でも否定はしなかったことを確認してからシャッターを切った。

 それからわたしはすかさず言う。

「ローエン頼んだ」

「丸投げかい……」

 ローエンは本気でわたしに呆れるが、それでもすっと子供に近寄って、子供の額を舐める。

 軽い魔法だ。二重の意味で。今だけ、子供の体がほんの少し軽くなっている。

「…………?」

 子供は驚きで一瞬涙を忘れ、指先一本で体を起き上がらせると、ふらつきながらバランスを取ることに夢中になった。

 多分科学館で月の重力体験をやったことがある人でもわかると思うけど、ふわふわした体でバランスを取ること自体、少しコツが要るし面白いのだ。

「ほら、今抱き上げちゃお」

 わたしは女の人をけしかけて、子供が地面に転げないように抱き上げさせる。

「かるい……」

 泣いている子供がどれだけ重苦しかったことだろうか。女はさっきまで泣きべそをかいていた目を見開いた。

 多分この二人は、これである程度は一件落着、かな。

 ローエンの魔法だけでなんとかなって助かった。箒を置いて来ちゃったせいでわたし自身の魔法は殆ど使えないのだ。

 とはいえ本当の本当に丸投げしてしまうのもだめだ。

 わたしは子供を持ったことも預かったこともないなりの感想で、でも女の人に寄り添う。

「子供が駄々捏ねちゃうと大変だよなぁ……」

「そうなの……あたし一人、どうしたらいいかわからなくって……」

 女はシングルマザーで苦労しているとも、急に預けられた子供の扱いに苦慮しているとも見える。

 だけど女はひしと子供を抱きしめて、大切そうにぽんぽんと背中を叩き続けているし、子供もそのリズムに早速ウトウトしてきているようだった。

「急にごめんね。わたしたち、『幸せな記憶』をフィルムに収めて回っているんだ」

 わたしが言うと、女は腫れた目を丸くする。

「しあわせ……?」

 さっきの追い詰められていた自分と泣き止まなかった子供のことを思っているのだろう。

 わたしは怒られる前に付け足す。

「そう。あんたには酷くつらい場面だったと思うけど……子供からしたら、遊園地に連れてきてもらって、駄々を捏ねても傍にいる大人がいて……きっと幸せな記憶にできる場面だと思ったから」

 すると、女は子供のために体を揺らしながら少し黙り込む。

 そして、女は言う。

「……ねえ、何でもしてくれるんだよね?」

「あ、ああ。そうだよ」

 わたしは内心冷や汗をかきながら返す。自分で言った条件だ。何を言われても頑張るしかない。

 そんなわたしに、女は言う。

「なら、もう一枚撮ってくれない? ……今のあたし、きっと『幸せな記憶』になるし……なってほしいから」

「ああ、撮ろう」

 真っ先に返事をしたのはフィルムカメラだ。

 ローエンがフィルムカメラに掛けた声を届ける魔法は切れていたみたいで、女には届いていない。

 だからわたしは女には聞こえなかったその返事をすぐにでも伝えて、シャッターを切った。

 これで、一気に残り二枚。

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