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第四十話 『フィルムカメラの頼み』その6

「そういえばさー」

 わたしは、噴水前のいい感じのスポットでフィルム送りジーコジーコをやりながら口を開く。

「全部撮り終わったらフィルムは現像に出せばいいの?」

 残りのフィルムが少なくなった今ふと思いついただけの、本当に、何気ない疑問のつもりだった。

 せいぜい、現像の仕方に指定があるとか、魔法で何か一捻り入れるとか、そういう話だと思っていたのだ。

 だから、フィルムカメラの沈黙が探るようなものだったことにも、ローエンが観念したようだったことにも、呑気に首なんか傾げていて、答えがなければまた被写体探しに戻る気でいた。

 でも、フィルムカメラは律儀にも口を利く。

「前の魔女さんの予定帖には、何も書いてなかったのかい?」

「ああ。どういう依頼かってことくらいしか」

 わたしは、じわじわ迫ってくるような嫌な予感を無視する。

「じゃあ、今の魔女さん――はる來さんには少し気まずいかもしれないね」

 フィルムカメラはほんのり冗談めかすような軽い口調で前置きすると、さらりと言ってのけた。

「最後の写真を撮ったら、僕は焼けて壊れたカメラに戻るよ。意識も千々になるし、フィルムも多分、もう取り出せないんだ」


 は?



 そういえば、魔女が言っていた。

「寿命が定まっている生き物はね、できるだけ長く生きよう、できるだけ長く生きようって頑張るんだけどさ、寿命に定めがない存在って結構そこのところちゃらんぽらんになるんだよね」

 とかなんとか。

 例外はクラゲとかのいくらでもでかくなれる海洋生物くらいだとも言っていた。大きくなっていくこともなく終わりもないと、存在し続けようとする意思が希薄になるのだと。

「だから、あんたも『生きたい』と思い続けたいなら、寿命の際限を取っ払うようなことはやめときなさい」

 二百三年生きて、残り時間もいつまでも伸ばせる予定だったはずの魔女は、わたしにそう言った。

 わたしの生存と引き換えに消滅することになった魔女は、消える前に、そんなことを言っていた。



 怒るのは面倒臭い。だからわたしはできるだけ怒らないようにしている。

 少なくとも、感情的にワーってなって落とし所も方向性も考えずにただ怒り散らすのだけはしない。

 両親に対してはもちろん、他に相手にも。だって、怒っても面倒なだけでどうにもならないから。

 そのはずだった。

 だけど、今、流石のわたしも憤りを隠すことができない。

「聞いてない! 一個もっ、聞いてない!」

 わたしはフィルムカメラをぶら下げたままずかずかと遊園地の出口へ向かう。

「ごめんね」

 フィルムカメラは謝ってくれるけど、そうじゃない。

「あんたはいい! ローエン、何でわたしに何も言わなかったんだ。説明してみろ!」

 わたしが怒鳴ると、横をつととととと着いてくるローエンは息も切らせず平坦な声で言う。

「お前が落ち着いたら話す」

「……お、落ち着いてられるか!」

 わたしは珍しいどもり方をして、遊園地のハッピーな空気の往来で、足を踏み鳴らして迷惑な立ち止まり方をする。喧嘩したカップルの片割れでももうちょい周りが見えてそうなくらい、周りが意識に入って来ない。

 わたしの剣幕に驚いた小さな子がビクッとなって親に抱き上げられているのが視界の端に入っても、その事実が心まで入って来なくて、わたしは無難な謝罪も口にできない。

 間に立ったローエンが代わりに謝って、でも普段のわたしの粗相への対応と違って、わたしを咎めることもしない。

 わたしはそれすらやりきれなくて、泣きそうなまま立ち尽くす。

 半日でもいい、ローエンとフィルムカメラを置いて逃げ出してしまいたかった。フィルムカメラはわたしが持っていてあげなきゃいけないから、そんなことはできない。

 どうしよう。どうしたら。

 そんなとき、目の前にふくふくした手が現れた。

「…………あ」

 遊園地のマスコットキャラクターだ。古びた毛皮の手をわたしの前で振ってから、風船を一つ差し出してくる。

 わたしが反射的に風船の紐を受け取ると、マスコットキャラクターは今度はわたしの目の前で自分の腕を往復させるジェスチャーを取って、涙を拭いたい意思を表明してくる。

「まだ泣いてな……」

 まだ泣いてないと言う予定だったわたしは途中で泣き出して、しゃがみ込んでしまう。

 わたしの脚と胸元に挟まれた空間から、フィルムカメラが言う。

「はる來さん、今どうしたいか、僕に教えてくれないかい」

 わたしは滲んだ視界の中で、少し考える。『一人になりたい』『逃げたい』でも、それは一番じゃない。

「ローエンと、サシで話しをさせてくれ」

 言ってから、いや無理だろと自嘲する。フィルムカメラに足でも生やせるなら余裕だけど、そんなんできるわけがない。そんな魔法があるとしても、わたしはそれを使えない。

 しかし、フィルムカメラは簡単そうに返事をする。

「わかった」

 そして、冷静じゃないわたしではなく、ローエンの方に魔法の確認を取る。

「ローエンさん、僕の声を周りにも聞こえるようにできますか?」

 何?

 わたしが聞くより先に、ローエンの尻尾の先から魔法の圧力が伸びて、フィルムカメラを包み込む。フィルムカメラを起こしたときみたいな簡易魔法だ。

 展開についていけないわたしをよそに、フィルムカメラは早速わざとらしく声を張る。

「ああ、どうしたもんか、落とし物になってしまった! 魔女の女の子と、黒猫のローエンさんを一人と一匹きりにしてしまう。でもちゃんと話したことがあると言っていたから、丁度いいかもしれない!」

 すると、まだそばにいてくれていたマスコットキャラクターが、手を差し伸べてわたしを立ち上がらせる。わたしは泣いているところに他人がまだいてくれたことにパニックを起こしかけてたたらを踏んだ。

 フィルムカメラは、ぐらつきながら立ち上がったわたしの胸元で言う。

「マスコットキャラクターさん、見ての通り僕は落とし物なんですが、しかるべきところに連れて行ってくれませんか?」

 マスコットキャラクターは頷くと、わたしにフィルムカメラを寄越すように手の平を向けてくる。

 ぐずぐずのわたしは頭が回らず、とにかく指示された通りにフィルムカメラを掛けていた紐を首から外して、本体ごとマスコットキャラクターに引き渡した。

 その途端、マスコットキャラクターは慌てたような動作をしながら辺りを見渡すジェスチャーを何度かして、そして、フィルムカメラを持ってどこかへ走り出した。

「……忘れ物センターに行くんだろうね」

 しばらく黙っていたローエンが言った。

 どうやらわたしは、フィルムカメラの優しい機転と、ローエンの魔法と、マスコットキャラクターの気遣いと優しさに助けられたみたいだ。

 これはきっと、無駄にしてはいけない。

 わたしは意地を張りたい気持ちをグッと堪えて、ローエンに向く。

「話、聞かせてくれるんだよな」

 涙は急には止まらないが、手で拭って間に合うし、一応喋れなくはない。

 一度泣いたお陰か、今のわたしは怒ってもいない。一応落ち着いているつもりだ。

 ローエンはわたしを見上げて言う。

「少し長くなる。ボートでも借りよう」

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