「へぇ、それで遅刻したん?」
夏休み明けの登校一日目に寝坊で大遅刻かましたわたしに、クジは面白そうに言った。
クジ、といっても無機物の籤ではない。普通にそういうあだ名がついてるだけのクラスメイトだ。そばかすと三つ編みが似合う派手目女子で、わたしの前の席。どれだけ化粧を濃く仕上げている日でもそばかすは据え置き、というか『ベースメイクでそばかすが消えた日は描く』なんて言ってるくらいのこだわり派ギャルだ。
大昔のアニメには、そばかすもウィークポイントなりにお気に入り〜みたいなニュアンスで歌うヒロインがいたらしいが、クジの場合は『そばかすがお気に入り(大マジ)』である。
「まあね」
わたしは短く返して、昨日のことを思い返す。『せっかくだから整理しながら戻していこう!』とか考えたのが地獄の一丁目だった。身の程を知らないというのは恐ろしいことだ。
その反省ってわけじゃないけど、今は学校の教室で自分の席に座って、こちらを振り向いているクジとだらだら駄弁っている。始業式を終えたわたしたちは、校舎内掃除に駆り出される前のちょっとした休み時間をだらだらざわざわと過ごしているのだ。
「クジは夏休みなんか変わったことあった?」
日焼けして登校してきたクジのことだ、何かあるだろうと踏んで話題を振る。
しかし、クジは苦笑して顔の前で手を振る。
「いやいや、はるひほど大冒険はしてないから。海行って日焼けどめの塗り直し忘れて焼けただけ!」
「海行ってんじゃーん」
そういえば今年の夏休みに一度も海に行かなかったわたしは、足をばたばたさせながら言い返す。
ちなみに、はるひというのはわたしのあだ名の一つだ。
「クジ、放課後あんたも来るんだっけ?」
少し離れた窓際で盛り上がっていた女子の一団からクジにお声が掛かった。
「おっと、行くわ」
「んー」
わたしは立ち上がるクジに軽く手を振って見送る。今声を掛けてきた三人が、普段クジがよく遊んでるグループ。それぞれみんな近くになればわたしとも喋るけど、遊びに出掛けたことはあんまりない。クジも含めて。
クラスメイトとの距離は万事こんな感じだ。喋る頻度の多寡こそあれ、とりわけ親しくしている人がいるわけじゃない。一定の距離を持ってほどほどに仲良く過ごせている。丁度よくて助かる。
わたしはスマホを取り出して、ぺしぺしぺしっと容易く情報の海に沈む。でも、今は目的意識があるから、短い動画の群れじゃなくて検索結果の文字列の間を泳ぐ。意味なく短い動画をスワイプし続ける時間よりは有意義だけど、検索ワードが定まらないので、結果が出せるかはちょっと不安になる。
調べているのは、幸せな記憶を写真に残せそうな場所だ。
フィルムカメラの頼みを叶えるためにどこへ向かって何を撮るべきなのか、それを考えるために文字と時々写真を眺めている。
『幸せな記憶』っていうと、やっぱり人生の節目のことが思い浮かぶ。結婚式とか、誕生日とか、何かの記念日とか。だけど、そういった個人的な行事に他人が勝手に入り込んで「お写真失礼!」なんてことしたら、せっかくの幸せな記憶が台無しだ。あるいは結婚式なら、まだ潜り込んでも許してくれる人はいるかもしれないけど。
「んんん……」
わたしは教室で一人唸る。眉間に皺が寄る。姿勢が崩れる。机に突っ伏す形になる。あ、眠くなってきた。寝ちゃおうかな。
「ハルツーが唸ってる」
ぼそっと呟いたのは、わたしの机の横を通りすがった委員長だ。自分の机に戻るところだったみたいで、わたしのところに立ち止まる。
委員長は背の低い地味なおかっぱ眼鏡女子で、何委員を任されても『ザ・委員長』って感じの働きをしてくれちゃうしっかり者で――というところからお察しの通り学級委員長でもなんでもない。
そしてハルツーというのもわたしのあだ名である。名前に『ハル』が二つあるからハルツー。こっちのあだ名を好むのは少数派。
「いーんちょぉー」
わたしはこれ幸いとばかりに委員長にうざ絡みする。
「なになに?」
頼られて満更じゃない委員長が半笑いでわたしの机に手を掛けて立った。
わたしはごろんと首を捻って、突っ伏した姿勢のまま無理やり委員長の顔が見えるようにして、ふざけた口調で言う。
「幸せな記憶の写真をな……たくさん撮るにはな……どこに行くべきかのぅ……」
「えぇ……何、急に。あ、もしかして魔女の仕事?」
委員長の言葉に、わたしはこっくりと首を縦に振る。
クラスメイトたちのほとんどは、わたしが魔女の道を選んだことを知っている。何故なら夏休み前のクラスの打ち上げを断るときに正直に言ったから。
何も、打ち上げを断るのに仰々しい理由が必要だったってわけではない。事実『行かない』の一言で欠席した奴も連絡に気づかずスルーした奴もいた。わたしの場合、単に今後も付き合いが悪くなることを考えて、先に知っておいてもらう楽さを取ったまでの選択だ。今だって話が早くて楽ちん。
委員長はうーんとしばらく唸って、それから言った。
「あ、遊園地とかどう?」
天啓。
というか、なぜ今まで気づかなかったのだろうと自分の不見識を恥じるレベルの発想だった。
「それだ」
目に入っていた鱗が取れたくらいの爽快感で、わたしは立ち上がる。
「わっ」
驚いた委員長がちょっと後ろによろけたので、支えがてら委員長の両手を握る。
「ごめ、ありがと」
すると、両足で床を踏み直した委員長は分厚いレンズの向こうの目を細めてはにかんだ。
「どういたしまして、魔女さん」
そのとき、丁度先生が教室に入ってきた。
掃除の時間が始まるらしい。
わたしは、フィルムカメラを連れて遊園地に行くときのことを思い浮かべながら、自分たちの班に割り当てられた廊下掃除をする。
その日は無駄に捗って、同じ班の男子に『俺らがサボりになるだろ』と怒られるまで廊下を磨きまくってしまった。