わたしがコンビニの駄菓子コーナー買った蜜漬けあんずのお菓子をパクパク食べながら隠れ家に戻ると、ドアの真正面に真っ黒い毛玉が座していた。長いしっぽがぱしんぱしんと床を叩いている。
「おかえり」
黒い毛玉っていうかローエンが、金色の鋭い眼光でわたしを射抜いた。
なんか怒られるなーというか多分散らかしすぎて怒られるなーこれと思ったので、わたしは誤魔化すように返す。
「ただいまーいえーい…」
今、魔女の家は隠し収納の中が全部触れる状態のままになっている。つまり、空間が穴ぼこだらけで、その中身も雑多なまま露出している。
「あー……散らかしてごめんね?」
わたしが言うと、ローエンはため息をついた。
「それで、一体全体どうして急にこんなに部屋をぐちゃぐちゃにしたんだい」
怒るよりも先に事情を聞いてくれるようだ。話したあと怒られるかもしれないけど。
わたしは、持って歩いている魔女の予定帖を開いて、肝心のページをローエンに見せる。
「このさ、焼けて壊れたっていうフィルムカメラの頼みを叶えるために、本人? 本体? を探していたんだよ。それで探し回っているうちに結局収納全部開けて、でもまだ見つからないから、全部見れる状態でローエンに聞こうかと思って……このままにしてた……」
本人以外が開けると中身がドロンする隠し収納については、敢えて話さないでおく。消失させてしまったからどうこうとかではなく、存在ごと秘密にしていた可能性を鑑みてのことだ。ふざけたメッセージを出してはいたが、本人からしたら重要な秘密があった可能性もある。
「ぐちゃぐちゃにしてごめんなさい」
わたしはもう一度ちゃんと言って、ローエンと姿勢を合わせるためのしゃがみ姿勢からそのまま頭を下げた。
ややあって、ローエンは言う。
「事情はわかったよ。でもフィルムカメラなんて、わざわざ隠し収納まで探す必要ないじゃないかい」
「え?」
わたしは頭を上げて、ローエンの顔から真意を汲み取ろうとする。呆れたように細められた目からは、感情以上のものは読み取れない。
「どゆこと?」
何もわかってないことを強調する意味でも、ちょっと間抜けな聞き方をしてみた。
しかし、今度はローエンがわからない顔になる。
どうやら、わたしがどうしてフィルムカメラを見つけられなかったかがわからないようだ。
「どうしたもこうしたも、あるだろう、そこの棚に」
ローエンはすらりとした前足で、机の目の前の壁に設置されたごく普通の飾り棚を指す。
「ええー……」
あてにしていたローエンも、棚に普通に置いてあった新品のフィルムカメラの所在くらいしか知らないということか。
わたしは一気にガッカリして、立ち上がると棚の上からフィルムカメラを取る。
「これのこと? 新品じゃん」
わたしは再び膝をついて、フィルムカメラ全体をローエンに見せながらわたしもためつすがめつしてみる。
フィルムカメラの色は濃い灰色。角が全部丸くて、左上にフラッシュがついていて、右上の角近くにシャッターの丸いボタンがあって、スイッチを入れるとレンズのところが何センチか伸び縮みしそうな感じ。どこも焼けていない。
というか、どう見ても新品ぴかぴかだ。ちょっと重いし、形も今の流行からはかけ離れているから、そういう部分を根拠に考えるとすれば「新古品かな?」って程度。
そこでローエンは、ああと声を漏らして納得を見せる。
「そういえば、あいつが魔法をかけて、すっかりその状態になっていたね。忘れていたよ」
「ええぇ、じゃあ本当にこれが依頼の……?」
ローエンの言葉を踏まえてまたフィルムカメラを眺める。魔法の気配は……しなくもないけど、この部屋に充満している魔女の気配に紛れてそれほど目立たないから、いまいちよくわからない。
下手な考えで休むに似た時間を垂れ流すわたしに、ローエンは前足を伸ばして腕を下げさせる。丁度フィルムカメラがローエンの目の前に来る形だ。
そこで、ローエンは尻尾を振りながらフィルムカメラに頭突きをした。匂いをつけようとしてくる猫が足元にまとわりついてくるときみたいな感じで、ちょっと可愛らしい。
無駄な猫らしさを楽しむわたしを無視して、ローエンはフィルムカメラに声を掛ける。
「起きな」
すると、わたしの目の前で、フィルムカメラが息を吹き返す。
ふぅああああぁあおうぅ、と大きなあくびをして、それから、フィルムカメラは高く澄んだ、でも中性的な声で言葉を発した。
「おはようございます、ローエンさん。……あれ、そちらの女の子ははじめまして」
さて、だいたいの人が知っている通り、無機物には普通意識は宿らない。本当は宿っているとしても、わたしたちはそれを知らずに生きて死ぬ。
じゃあフィルムカメラに意識があるならそれが特別なことだ、っていうのもまた違う。確率の話だけをするなら特別だけど、確率以外の特別さはない。
確率に選ばれた無機物には意識が宿る。それだけだ。
ちなみに、付喪神はまた別なので、物を大切にするという行為への信仰心を失望させる必要もないらしい。確率に選ばれなかった無機物にも意識が芽生えれば、それこそ命と同等のものになるそうだから。
それはそれとして、今回引いた依頼の主は、確率に選ばれて意識を得たフィルムカメラだった。
「意識といっても、一生起きないままで終わることもできるくらいの淡い意識だよ。僕はたまたま魔女さんとローエンさんと出会って起こされたけれどね」
初めて出会う『意識あり』の無機物ということもあって興味を隠せなかったわたしに、フィルムカメラはそう言った。
わたしはフィルムカメラと話して五分くらいで、この間会った蟲とは全然勝手が違うなぁということにも気づく。
「この間蟲と喋る機会があったんだけど、アンタの方がわたしたちに近い感じがするな」
ストレートに感想を伝えると、フィルムカメラは意外でもなさそうな声で返す。
「それはそうさ。僕たちは人間の皆さんが作ったものだもの。人間社会の価値観には馴染みがいい。僕だって蟲やなんかよりは人間と喋る方が親しみを覚えるよ」
「そうなんだ」
しっくり来るような不思議な感覚に、わたしはつい前のめりになりかける。
けど、そんなわたしの興味の首根っこを、ローエンの声が引っ張って剥がそうとしてくる。
「はる來、感心はいいけれどねえ……」
「ん? 何」
わたしは机に、というか正確には机に置いたフィルムカメラに齧り付くように話していた姿勢から、ローエンの姿を視界に収めるために背筋を伸ばして後ろを振り向く。
「あ」
そこで、思い出した。この惨状を。
ローエンは呆れと怒りの間をゆらゆらしながら、皆まで言ってくれる。
「帰るまでに小屋の中を全部片付けなさい」
はい。