わたしは戸惑いながら、状況のすり合わせを試みる。蟲特有の感覚から、人間の何かを誤解しているかもしれないからだ。
「あ、あの……な。言いづらいんだけど、あの子は生まれてからまだ冬十個分くらい……だぞ?」
わたしは、魔女見習いとして、予定帖を引き継いだ者として失敗したのだろうか。そんな焦りから、背中を変な汗が伝う。
しかし、蟲はあっさりしたものだ。
「あの肉体のことですか? そうでした。人間はそう定義しているのでしたね」
定義。花降らしの魔法を改良しようとした魔女が躓いたそれ。
わたしは空の唾を飲み込んで言葉の続きを待つ。
「ご安心ください。私にはわかります。あの形質は間違いありません」
「形質……?」
わたしが首を傾げると、蟲は淡々と説明を付け足す。
「ええ、魔女さんでいうと魔力形質ですが……人間のあれは魔力ではないそうですから……命の形質、とでもいうのでしょうか。そういうものです」
わかるようなわからないような話だ。けど、今のわたしにはこれ以上理解できないことだけは確かだろうから、わたしは黙って続きを聞く。
「あの女の子、器は随分変わっていますが、食べ物をくれた存在の続きに相違ありませんでした。魔女さんの姿が変わってもすぐわかったように、私にはしっかりとわかりましたとも」
「そうか……」
わたしはひとまず、依頼を叶えられたことに胸を撫で下ろす。
そして、ほっとしてから気づく。
「あ……」
そういえば、先代だとか引き継ぎだとかの話を蟲にしていない。なのに蟲は、わたしが依頼を叶える約束を果たしに来た魔女だとわかっていた。
「話は戻るんだけど、さっき、魔力形質が同じなのも同じ存在だと言ったな?」
「ええ、人間には違うそうですが、私たちには。だから魔女さんのこともすぐにわかりましたよ」
蟲の認識する現実に、わたしの思考がついていけない。
だけど、心当たりはじわじわと脳に染みて来る。
わたしは元々、魔力を持って生まれてきたわけではない。わたしの魔力は、消滅前の魔女が箒の中に封じ込めて寄越し、そしてローエンの力を借りてわたしに移植したものだ。
つまり、魔力形質を人物認証に使っているのだとすれば……。
「依頼を受けてくれたこと、約束通り叶えてくれたこと、誠にありがとうございました。魔女さん」
マイペースな蟲の言葉がそのまま答え合わせになる。
蟲にとって、わたしとあの魔女は『同じ魔女』だったのだ。
わたしは瞬きの回数が多すぎる視界の真ん中に蟲を捉えて、誤魔化しなく言う。
「びっくりしてる。ここまで違うんだな。わたしからすると、依頼を受けたときのことまで今のわたしに言われるのが、なんか不思議な感じだ」
正直な感想を受けて、蟲は少し考えるそぶりを見せて止まってから、きゅるきゅるした目をこちらに向けて、じっくりと言う。
「そこまで驚かれるのですね。では、魔女さんから見たら私は、依頼主と『ほとんど違う存在』だったのでしょうか」
「え?」
最後の一言がピンと来ない。蟲もまた形質を受け継いだだけの、物理的には別の存在だったのだろうか?
考えるわたしの前で、蟲は、
「……ヒェッ」
蟲は、わたしの変な悲鳴も気に留めずに、薄皮一枚の幻想を、脱いだ。
脱皮するように、認識を阻害していたものが破けて、はらりと落ちる。
わたしの前にいた、一抱えほどの大きさの蟲。それはまやかしの姿だったようだ。
そのまやかしを形成していたのは――――小さく夥しい、虫、虫、虫、虫……そう、まさしく、『蟲』。
「ギャー!!!!!!」
わたしは十七年ちょっとの生涯で一度も上げたことがないほど大きな悲鳴を上げる。
わたしは、虫は苦手じゃない。小学生時代虫取り少女だったし、成長と共に苦手になるなんて傾向もほとんど出てなかった。
でも。でも! 集合した細かい何かが蠢いているのは、流石に怖い!
怯えながらも、冷静な頭の片隅では疑問が氷解していく。
魔女のメモにあった『小さくて目立たないから踏んづけ注意』ってこの大きさのことを言ってたんだな、とか、ホームセンターでわたしの足に当たった『固い毛に覆われた感じ』はこの小さな蟲たちの足だったんだな、とか……あと、ホームセンターの店内で蟲がサッと身を隠したときはこの状態になってそれぞれちょっとした隙間なんかに入り込んでいたんだろうな、とか……。
ほんとうに、蟲は『まったく別の生き物』なのだ。
白目を剥きそうになっているわたしを気遣ったのか、蟲たちはわらわらと散って行く。
そんな様子にもわたしの膝は大爆笑かましているわけだが。
わたしが限界を迎えて座り込むより前に、蟲たちのほとんどは捌けていき、一匹だけ目の前に残った。
その小さな一匹の蟲が、大きな蟲の格好をしていたときのような所作で恭しく頭を下げる。
「改めましてこんばんは。私が冬四十個前の記憶を持つ最後の欠片」
小さな蟲は、滑らかに光を反射する触覚をくいっと動かし、小さな頭を上げる。
「人間さんや魔女さんにわかりやすく言うと、あの群れの長老にあたる蟲です」
「あ、ああえっと、どうも……?」
どういう返しをすべきかわからず曖昧に会釈をするわたしに、小さな蟲は、平坦な声でゆっくりと告げた。
「この体が壊れる前にあなたと再会できて、本当によかった。本当に、ありがとうございました」
独特な感覚の上にある感謝を、わたしは、なんとか倒れず、最後まで受け取りきった。
蟲の依頼を消化した次の日、わたしは自室で寝込んでいた。
あの場は気絶せずに切り抜けたものの、不意打ちで小さな蟲の大群が蠢くさまを見せつけられたのだ。それも生で。映画に出てきたって叫ぶくらい苦手なのに。生で。
「生……迫力……」
ぼそっと呟いたタイミングで、窓ガラスに固いものが当たる音がする。
カーテンは閉まっていた。
気のせいかと無視しようとすると、もう一度カンと音がして、ついでローエンの声が聞こえた。
「はる來」
「あ」
ローエンのことをすっかり忘れていた。
昨日は衝撃が強過ぎて、ローエンが待つ魔女の隠れ家に寄らずにまっすぐ帰ってきて、そしてそのままずっと家に居てしまっていた。
わたしは慌ててカーテンと窓の鍵を開ける。
夕暮れをバックにした黒い毛玉が、そっとわたしの部屋の窓を開けた。
「……昨日は、怒りすぎて悪かったね」
「え……?」
そういえば、忘れていた。昨日のわたしはローエンと喧嘩して、その後――はっきりとした仲直りをしないまま出掛けたのだった。
ローエンの金色の瞳が、少し気まずそうに逸らされる。
どうやら、勘違いされている。
「いや、全然怒ってないよ」
わたしが言うと、ローエンは恥ずかし紛れなのか目を釣り上げる。
「は? なんだって? じゃあなんで戻ってこなかったんだい!」
どうやらめちゃくちゃ心配かけていたことがわかって、わたしは苦笑する。そりゃそうだ、わたしだって同じことをされたら同じように怒る。約束の時間をすぎているなどの状態じゃなくたって、遅いなと思えば心配するのだ。
「ごめん、ごめんって。いや聞いてくれ。昨日は大変だったんだって」
わたしはローエンを部屋に招き入れて窓とカーテンを閉める。
なんだか帰ってきたーって感じがして、怒られてるのに笑いが止まらない。
距離があること、定義や感覚が違うこと――それが悪いってわけじゃない。
でも今は、ローエンとの『わかりあえてる部分』があたたかく有難く感じた。