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第三十三話 『蟲の感謝』その4

 ホームセンターでの買い物を終わらせたわたしたちは、急いで公園に戻り、硬貨を埋め立て直す。

 硬貨の埋め立てには意外と時間が掛かった。先にいい加減に埋めた分を一度回収するのが難しかったし、硬貨が埋まっている部分を他の箇所と同じくらい平らにするのも大変だった。

 そのせいで、そうこうしているうちに陽も傾いてきてしまった。夏は日が長いといったって、限度はあるのだ。

 わたしは改めて、依頼の期限が今日までだということを意識する。ここからは時間の浪費なんかは最低限で済ませなければならない。魔法も外してられない。

 だからわたしは先に、狙いが逸れないように補助する魔法陣を手のひらに描いておく。魔法の発射から、魔法で浮かせたものの投げかけまで補助できる優れものである。以前はこれを描く暇がなかったせいで、当てる予定だった人に魔法が当たらなかったのだ。そのときは結果オーライだったけど。

「よし、このまま恩人のところに行こう」

 わたしは、花降らしの魔法の材料をビニール袋のまま箒の柄に掛けて、後ろの穂先には蟲を乗せて飛び立つ。

 自然と建物の影より高い位置に来てしまい、横殴りの夕陽が眩しくて仕方なかった。

「恩人の――神田さんちはどこ?」

 わたしの質問に、蟲は理知的に答えつつも人間の基準には戸惑ってみせる。

「そこの、家を囲む壁の中の部分が広い家です。ええと、確かあの空間は……」

「庭のこと?」

 流石に言い換えの助け舟を出したわたしに、蟲は少し大げさに言う。

「おお、おお、流石魔女さん! ありがたい」

 それから神田さんの家の特徴を言い直す。

「庭が広くて、草が少なくて、洗濯物というのがたくさんある家です」

「はいよ」

 わたしはすーっと飛んで、二階建ての神田さんの家に近寄る。高度をすこし下げたから、二階のすぐ近くに陣取った形だ。

 遠目で見た通り、住人は中にいない。

「花を降らせる相手は、家の中かな?」

 わたしが問うと、蟲は思いのほかはっきりとした言葉で答えを寄越す。

「いいえ。感じません」

「……それ、感じでわかるんだな」

 わたしは、人間にも魔女になった人間にもない感覚に、ただ目を見はる。

 やはり人間とは感覚が大きく違うのだ。期限や色への感覚はわたしからしたら大雑把だったが、そうした感知能力はわたしの方がいい加減にできているといえるのかもしれない。

 その証拠に、蟲はなんの気負いもなく答える。

「ええ、勿論」

 しかし、感心している場合ではないかもしれない。

 神田さんちの恩人さんが今日ずっと留守だったら、魔女が予定帖に書き込んだ依頼の約束を反故にすることになってしまう。

 何か考えて喋ろうと頭を回すわたしに、蟲は言う。

「今帰ってくるところみたいですよ」

「マジか」

 やったぜ。

 ここから奔走していたら本当に依頼の期限をすぎてしまうし、そうなったときに蟲がどういう反応を示すのか全く読めない。ややこしいことにならないのは助かる。

 わたしは家のかげに身を寄せつつ、神田さんちの玄関に続く道の方を見遣る。

 中年の男が十歳くらいの女の子の手を引いて、スーパーの袋を持って家に帰るところだった。絵に描いたように微笑ましい親子の光景だ。まあ親子とは限らんが。雰囲気からして、似たようなもんではあるろう。

「どっち?」

 一応聞くと、蟲はわたしの後ろで目を凝らすような仕種を取ってから言う。

「あの幼い雌の…………失礼、小さな女の子の方ですな」

 蟲の声は相変わらず平坦だが、ざわざわと足を動かす音が、ほんのり楽しそうに聞こえた。

 狙いを定めるために見下ろすと、男と女の子は、家の門を開けて玄関へ歩みを進めようとしているところだった。

 わたしは、箒を片手運転にして、手早くビニール袋の中で材料をぶちまける。花と土は包装を破って、水は霧吹き型の容器に入っていたので、中でプシュプシュ出した。

 それから、握ったままの箒の柄に魔力を込める。

 そういえば、箒に乗ったまま別の魔法を使うのは初めてだ。花降らし自体は『ちょちょいのちょい』って感じだから、そんなに戸惑いもない。花降らしは簡単で材料も手頃で、魔法そのものの練習でも扱ってきたのだ。

 袋の中でポピーが芽吹き、花びらが一枚一枚開いていくのがわかる。

 この魔法のコツは、早めに魔法の発動を止めておくことだ。でないと、花の時間を進め過ぎてしまう。そこは手動だ。

 昔、改良の過程で『成長の時間だけ促す』という定義を噛ませてみた魔女がいたみたいなんだが、上手くいかなかったらしい。

 人間からすれば『花が咲く』と『花が枯れる』には大きな隔たりがあるように思えるが、花にはそれがない。芽吹き咲いて枯れて種を残す、その一連の流れがすべて『成長』なのだ。種を落とす役割を終えた体が朽ちていくのも成長にあたるし、何なら自身から切り離して落とした種すらも成長と呼んで差し支えないのだそうだ。

 人間視点で意思と呼べるほどの意思はなくても、そういう、わたしたちとは違った『感覚』と『定義』がある。

 説明は長くなったが、ようは『成長の時間だけ促す』という定義を噛ませてみたところで、花自身の感覚と定義が優先されて、『枯れる』過程まで『成長』してしまうのだそうだ。

 わたしは袋の中でふんわり咲き誇った花たちを根から切り離し、一度綿毛くらいまで軽くして、徐々に重さを戻しながら女の子の上に落下させる。

 よっし、上手いこと花冠のように頭に乗った。


 そして、女の子の歓声が、夕方の住宅街に小さく響いた。



 わたしたちは大喜びする女の子にも、困惑する男にも気づかれないうちに、さっさと公園に戻ってきた。その頃には陽は沈みきり、公園はささやかな街灯と月明かりに薄く照らされている。

 あまりにささやかな恩返しだ。命の恩人へのお返しにしては小規模にも思えるが、蟲と人間との間でトラブルなく何かを与えるなら、これくらいが丁度いいのかもしれない。

 それにしても、あれだけ小さい子だと『側溝に生ゴミ』の意味も変わってくる。小さい子特有のよくわからない行動の一環なら、嫌悪感も薄い。

「ありがとうございました。あんなに喜んでもらえるとは」

 蟲は恭しく頭を下げた。

「いえいえ。間に合ってよかった」

 わたしが心からそう返すと、蟲は、本当になんてことなさそうに、爆弾発言を投下する。

「冬四十個ほど前の恩でしたが……いやあ、残しておいてよかった」

「え……?」

 そう、蟲と人間や魔女は、思うより、普通に話して感じるよりも違う。

 わたしたちの間には、大きな距離があるのだ。

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