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第三十一話 『蟲の感謝』その2

 マジかよ。

 わたしは毎日同じ側溝に生ゴミを捨てる人間を思い浮かべては、衛生観念から来る嫌悪をなんとか飲み下す。

 そして、場合によっては口を出さなければいけなくなった部分に確認を入れる。

「ちなみに、だが、恩返しの方法は……?」

 露骨に恐る恐る口調のわたしの様子を気にも留めずに、蟲は足をがしゃがしゃ動かしながら言う。

「咲きたての花をプレゼントしたいのです」

 花を表しているとは思えないジェスチャー付きではあったが、内容は意外と普通で、わたしはほっと胸を撫で下ろす。

 蟲は動作をやめて、わたしを見上げて言う。

「魔女さんにアドバイスをいただく前は色々と考えたものでしたが、やはり素直に従っておこうかと思いましてね」

「そうか。それはよかった」

 わたしの相槌に、蟲は続ける。

「ええ。人間は雑食なので、栄養になるものはよりどりでしたがね、恩返しするなら、同じ人間に分類されている方の言うことは聞くべきだろうと」

「うん……いや、本当によかった。アドバイスが役に立って」

 わたしは実感を持って深く深く頷いた。蟲の感性で選ぶ『栄養になるものよりどり』、本当に栄養になりさえすれば何でもかんでも候補に入れていそうで、怖い。シンプルに怖い。

「魔女さんが以前仰っていた花降らしの魔法は使えますかな?」

 ん?

 言い回しに少し違和感を覚えたが、人間と蟲とのやり取りだからだろうか。

 わたしは違和感を横に置いといて答える。

「一応使えるが、対価として咲かせたい花の種と、水と土と肥料が要るな」

 対価というか、本当に材料でしかない内容だが。

 『花降らし』の魔法は、生命が関わっている魔法にしては規模が小さく見積もられて魔方陣が要らない不思議な魔法だ。元々手のひらサイズの空間内の時間を操る魔法がベースだったそうだけど……どっちにしたって時間を弄っている時点でもうちょい大規模と目されていてもいい気がする。

 余談は置いといて、わたしは手ぶらにしか見えない蟲を見遣って聞く。

「そういうのは用意できるの?」

「ははあ、だとすると難しい。土と肥料と水ならどうとでもなりそうですが、種がどうにもなりません。どうしたものでしょう?」

 蟲は器用に前面近くの足を組んで、わたしに困りましたお手上げですのジェスチャーを見せてくる。

 わたしは無理だろうなと予想しつつも一応思ったことを口に出す。

「お金さえあれば、その辺で買える種くらいは買ってくるけど」

 移動する足もあると箒も見せる。確かホームセンターが近くにあって、あそこはそれなりに花の種が充実していたはずだ。

 すると、蟲は意外にもこう言った。

「おお、そうでした。人間は花の種もお金で交換するのでしたね。ならば拾い集めたものがあります」

 そしてベンチをぴょいんと飛び降りると、足をわちゃわちゃさせて花壇の近くの固そうな地面をざくざくさくさく掘り返す。ものすごい早さだ。

 一見そこの土が踏み固められてなかっただけに見えるくらいにサクサク土が抉れていく。でもふわっと山にされた土は掘られた穴の倍くらいのボリュームがあるから、やっぱり固い土を掘っているのは間違いなさそうだ。

「魔女さん」

 蟲はわたしを呼んで、蟲の体がすっぽり埋まりそうな大きさの穴の中を一本の足で指す。

「これで足りますか?」

「洗って数えてみないとわからんな……」

 わたしは顎に手を当てる。

 土汚れにまみれたお金は、全部硬貨。全部は判別がつかないし、なんかゲーセンのコインっぽいのも混じっている。

「そこの水飲み場で洗おう」

 わたしは腕まくりをして、まずは埋められたお金を取り出す。

 一応人間同士だと拾得物の扱いになりそうだけど……蟲は善意の第三者、勝手に交番に持っていく方がご無体だろう。

 わたしは掘り返した硬貨を水飲み場に運び、ざっくり洗って、今から使いそうな分だけを選り分けて丁寧に洗う。

 夏の盛りの昼間、水が気持ちいいとはいえ、夏の日差しが非常につらい。黒い帽子が熱を集めるのも却ってつらい。

 頭にある泣き言を無視して、わたしは後ろで見ている虫に声を掛ける。

「足りそうだよ。何なら最初から肥料が入った土も買えそうだし、水も入れ物に入ったやつを買えそうだ」

「それはよかった」

 最初に見た通り、蟲が集めた硬貨にはゲーセンのコインも混ざっていたし、ただの平べったい円形のステンレスっぽい何かも混ざっていたし、一円玉や五円玉も結構多かった。

 それでもなお、お金だけで五千円以上あった。五百円玉が多かったのだ。

「この大きいやつ、多めだな」

 わたしが蟲に五百円玉を見せて言うと、蟲はこくりと頷いてみせる。

「大きい方が、価値があるようでしたので」

「正解」

 中には記念の百円硬貨も混ざっていたが、蟲への説明が大変そうだったので説明せずに丁寧に洗う。

 おそらく価値を知らない蟲が取っておき続けるよりも、対価の購入で経済の輪に戻してやった方がいいだろう。

 そうやってすっかりぴかぴかになった硬貨は、タオルで水気を取るまでもなく、日差しの熱で乾いていった。


「じゃあ、ホームセンターまで行こうか」

 準備完了したわたしは箒にまたがって、地面に穂先を蟲に差し出す。

 使いそうな分のお金はしっかり鞄のポケットに入れてあるし、使わなそうな分は元の穴に入れて軽く土をかけてある。おつりを合流させたら土を固める予定だ。

 出発する気満々のわたしに、蟲は言う。

「おや、いいんですか? 私が姿を見せると人々は驚くようですが」

「え……? わたしも軽く魔法で薄膜みたいなの取っ払わないとあんたが見えなかったし、見えないようにしてるんじゃ……?」

 わたしが聞き返すと、蟲は淡々と説明してくれる。

「勿論、この辺りには、隠れ身の糸をたくさん撒いてあります。しかしひとたび場所を出ると、勘のいい人間には見えます。私たちは魔女さんほどの魔法を扱えませんので」

 当てが外れたわたしは、じゃあ代わりに、と蟲に訊ねる。

「じゃあ降らせたい花の名前を教えて。売ってなかったときのために他の候補も含めてね」

 すると、蟲はきゅるきゅるの目でこちらを見たまま固まった。

 ……嫌な予感がする。

「もしかして、花の名前って…………知らない?」

 蟲は、慌てた風でもなく困った風でもなく、ただ普通に答える。

「はい」

「そ……っかぁ…………」

 わたしは、さっき蟲の恩義の内容を聞いたときと同じことを、再び思った。

 マジかよ。

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