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幕間 『期末テストのために』

 高校二年の夏休み――その少し前。テスト期間を控えたわたしは頭を抱えていた。

 なぜなら、テスト勉強が全く手につかないからだ。

 高校入学以来、完全なノー勉でテストに挑むのはこれが初めてだ。これでも普段はテスト前勉強とサボった日の分の自習くらいはしているのだ。

 ちなみに、中学までは一度もしたことがない。受験勉強のこともテスト勉強に含むと言われたら「流石にした」と答えるが、推薦でほぼ確定だったから併願校受験のためだったし、日の丸の鉢巻をするほどは頑張ってもいなかった。

 とはいえ高校に入ってサボり癖がついた今のわたしがテスト勉強をしていないのはまずい。ひじょーーうにまずい。

「どうしよう……?」

「それを平日の昼から僕に尋ねてくる時点でねぇ……」

 通い詰めている映画館の支配人は、カウンターにもたれかかるわたしに苦笑を返す。

 支配人は今日もネクタイ姿の初老の紳士だ。古い作品の表現でいうとロマンスグレーってやつ。顔馴染みなのもあるけど、そもそも雰囲気がかなり柔和で、つい余計なことも話したくなる。

 昼間だし電気もついているのにどこか薄暗く感じる映画館のロビーには、わたしと支配人以外には、トイレからシアターに帰る途中のよく見かけるおっさんくらいしかいない。そんなに人が来る映画館でもなければ、見に来たやつは見に来たやつで既に着席しているからだ。だって、今やってる映画もう上映してるし。

「まあいいや。学生一枚」

「はい。今日は完全入れ替えの日だけど、途中からでいいのかい?」

「うん」

 わたしは支配人の確認を受けた上で正規の学生料金を支払って、二つあるうちの正面すぐのシアターに向かう。正規の料金と言っても普通の映画館と比べたらかなり安い。支配人の道楽でやってる映画館だし、上映作品も支配人の私物――それも著作権の保護期間が切れている作品が多いらしいので、そのへんの事情なんだろう。

 古ぼけた赤い絨毯のを踏んだわたしは、漏れ聞こえる音を目安にタイミングをはかって重い扉を薄く開けて体を滑り込ませる。一応の気遣いだ。

 とはいえスクリーンの正面にある扉の隙間から思いっきり光が入って二秒間ほど女優の顔が半分に割られる。だけど、気にするような観客はここにはいない。ここに来る連中はそういうのも含めて映画だと思っている節がある。わたしもその例外ではないので、あまり気にせずに真ん中やや右くらいの座席に座った。

 今日の客入りは、平日のこの時間にしてはかなり上々だ。縦六横十くらい並べられた椅子には、今日は六人くらい人が入っていた。

 わたしは頭の半分くらいを映画に浸しながら、少しだけでも心を休める。

 悩ましいことが多すぎる。スクリーンの中の人々も悩みに塗れているが、それはそれとして曲に乗って滑稽に動いて歌う。

 わたしが今じたばたしていることも、物語か何かの上ではこんなもんなのかもしれない。

 他人の悩みなんて小さなものだ。本当の姿なんて見えないし、それでいい。

 座席の肘掛けに肘を立てて頬杖をつきながら、登場人物たちにとってはバッドなエンディングまでを見守る。

 前半少し見逃したのもあって全部に納得できる物語ではなかったし、他にもあらや古臭さは探すまでもなかったが、それでもわたしは満たされた気持ちでエンドロール眺めていた。

 エンドロールになった時点で半数の観客は席を立って出て行く。わたしも古い劇場に通い出すまで知らなかったが、エンドロールを迎えると少なくない観客が席を立つのは、一昔前(?)では普通のことだったらしい。

 やがて黒字に流れていた白い字幕が尽きて、劇場が明るくなった。

 仕方ない。時間切れと諦めてわたしも席を立つ。飲み物もポップコーンもないから、本当に鞄を持って立ち上がるだけ。超身軽。

 わたしは支配人に軽く言葉を掛けて、学校に戻ることにする。午後からの授業はテスト前に休んでも別に大丈夫そうなやつだけど、他に行くところもないのだ。

 せかせか歩きながら、わたしは少し前に起こったことと、今後のことを思う。


 一人、魔女が消えた。

 死ぬよりもよりしっかりとした、この世からの消滅だ。

 そのときのことを詳しく思い出すと無闇に動揺しそうなので今は蓋をしておくが、ともかく魔女が消えたことで魔女が遺した『予定』が全部宙ぶらりんになっていることが当面の問題だった。

『叶えられなかったとしてもわたしの責任でしょー?』

 などと、本人は凄まじい軽々しさで言っていたが、わたしはそれじゃ気が済まなかった。

 当然だと思う。だって、原因の一端にはわたしがいる。

『わたしに申し訳ないならわたしのこの手帖にある予定を全部消化して。わたしに恩義を感じているなら、それは他の人に返して。両方なら……両方やっちゃえ!』

 魔女の言葉を思い出しながら、わたしはポケットから魔女の予定帖を取り出した。

 手のひらサイズで、使い込まれている風情はあるのに、折れたり変色したりはしていない古い手帳。予定帖という割にカレンダーもついていなければ、大抵の予定には期限の類すらも書かれていない。

 その代わり、それぞれのページに、魔女が遺していった予定が何個も何個も書き込まれている。

 わたしは、魔女のけしかけ通りに予定の消化をしてもいいし、そうしなくてもいい。

 ただし、予定の消化をしていくのなら、わたしもまた魔女になる必要があるし、何より時間と労力をそれなりに注ぐことになる。

 もちろんやらなくてもいい。魔女自身も、そして魔女の使い魔だったローエンもそう言ってくれた。

 でも、わたしは魔女の予定を放り捨てたとして、余計なものを背負わずに生きていくと決めたとして……テスト勉強には集中できるだろうか。流石にしばらくは気が済まないんじゃないだろうか。

 その答えは、


 突然頭に衝撃があって、わたしはうずくまる。いってぇ……!

 見上げると、そこには灰色の固い電柱がそびえていた。考え事に集中しすぎて電柱にぶつかっていたようだ。ベタすぎる。

 もちろん、普段のわたしはもちろんここまでアホじゃない。テスト勉強だって結構さらっとこなしてきた。今のわたしは、何かがつっかえたままで無駄に懊悩し続けているからいけないのだ。

 そう思うと、いっきに吹っ切れた。

「あーもう、やっぱり悩むのって馬鹿らしいな!」

 わたしは思いっきり口に出す。

 人通りも車通りも少ない平日の歩道とはいえ、少し向こうを歩いていた人がビクッとこちらを向いていた。が、知らんもう知らん。

 わたしはずかずか歩いて、もどかしくなって早歩きになって、次第に走って、最後には疲れて歩いて、学校ではなく魔女の隠れ家に向かう。

 そして、入口の扉を漫画みたいにバーンと開けて、昼寝していたローエンに宣言した。

「わたし、魔女やるわ!」

 わたしはそうして、唐突に魔女になる決意を固めた。

 だって、テストで赤点取りたくないし。

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