言い切ったときには、わたしは前のめりな前傾姿勢になっていました。
「…………」
わたしがおずおずと顔を上げると、少し照れた感じの先輩が、へらっと気弱に笑っていました。
「えっと……」
それから明後日の方を向いたり頭を掻いたりしてから、改めて口を開きます。
「いや、俺はかっこよくないよ。でも……」
そのとき、わたしの中でだけ時間がとってもゆっくりと動いていました。
記憶と気持ちがぐるぐると高速で回っています。
わたしは、手紙の中には結局、『ムカついた』方の気持ちは書きませんでした。嫌な気持ちにさせる可能性はやっぱり少ない方がいいかなって思ったからです。でも今は、ここ数日で掘り起こした本心が力を持って暴れています。
『なんで』『本心なのに』『やだ』『歯牙にもかけられない?』『話したいのに』『わたしの気持ちだよ、なんで先輩が「ない」って簡単に言うの……!』
そのとき、暴れている気持ちがひとつ、口という出口を見つけて飛び出します。
「かっこよくなくない!」
完全に、相手の言葉をさえぎってしまっていました。
先輩が何か――きっとお礼か何か、先輩のことだから優しいなにか、言葉を、言いかけていたのに。
「わたしにはかっこいいもん! かってに否定しないでください! 先輩のバカ!」
わたしは泣きながら勢いづいて言って、息を吐き切ってからはじめて、自分の気持ちしか見えなくなっていたことに気付きました。
先輩が何を思ってそう言ったのか、先輩にとってわたしの言葉がどういう意味を持ったのか、何も考えていませんでした。いまだって、考えられていません。
さっきと同じように前のめりな前傾姿勢になっていたけど、今度は顔を上げる勇気がありません。
わたしは、
「ごめんなさい! 失礼します!」
わたしは一部始終を見ていた使い魔さんも、いつの間にかトイレの前のスペースまで出てきていた魔女さんも素通りして、俯いたままダッシュで学校外へ出ていきました。
渡せなかった全部の飲み物が重くて肩が痛くて情けなくて、悲しくて、たまりませんでした。
結局泣き止むのに時間が掛かったわたしに、魔女さんは余計なことを言わずに付き合ってくれました。わたしを箒に乗せて少し高く飛んで、大きく遠回りをしながら家に送ってくれました。
「ごめんなさい」
ありがとうって言いたいのに最後まであやまるしかできなくて、わたしは落ち着いたら手紙を書く約束をして、魔女さんとお別れしました。
縁結びの魔法も、急すぎて狙いが外れて先輩に当たってしまったそうです。つまり、意味はなかった。何もなかったのです。
昼に見た夢のような何日かだったけど、ここから先は現実が待っているのでした。
* * *
「はる來、何をごろごろしてるんだい。埃が立つだろう」
ラブレターの件から三週間後、わたしは自室のベッドの上を悶え転がってローエンに呆れられていた。
「だってぇ……わたしが変なタイミングで目を離さなかったら違ったかもだしぃ……」
うだうだし続けるわたしに、ローエンはついに溜め息までつきだした。
「まったく、いつまで気にしてるんだい」
「ふと暇になると思い出すっていうか……今日みたいに何もない日とかに思い出すって言うか……」
わたしは言い訳しながらラブレターの一件を更に思い返す。
魔女として年下の子と関わるのは初めてだった。だから実は全体的にかなり背伸びしてカッコつけてたし、通うのだって実際はキツかったけど楽勝ってことにしてたし、奢ってあげた方が年上っぽいと思ってお年玉貯金すら一部持ち歩いていた。
そこまでは、悪くなかったと思う。……ちょっとカッコつけすぎてた気がして恥ずかしいとこもあるけどそれはそれ! 仕方ない!
だけどそれらすべてが、結果の前では滑稽だった。
わたしは『恋の手伝いとして縁結びの魔法を使う』という予定帖の予定を消化しながら、『実際的な恋の手伝い』には大失敗したのだ。
それは、キラキラした目でわたしを見ていたあの子のせいじゃない。中学生なりに一生懸命やってた大人しい女の子に「ムカつく気持ちを伝えよう」なんて発想を意識させたわたしのせいだ。
無意味にせっついて夢を見せて、無意味に魔法を使っただけの、未熟な魔女見習い。
「ゲリラ豪雨め……」
わたしは自分を棚上げするために、天気に原因を求める。
実際、あの子と出会った登校日に雨が降らなければ、わたしは下校中の生徒たちの中から恋をしている子を探す予定だった。その予定通りだったなら、あの子はわたしにせっつかれることなく、ゆっくりゆっくりと手紙を綴ることができたはずなのだ。
でもそうだったら、今度は他の子の恋に余計なちょっかいをかけてしまっただろうか。
悩み続けるわたしを、ローエンは静かに諭す。
「受け止めるためなら何のせいにしてもいいけどね。はる來、何か行動していれば、失敗とも出会うものだよ」
「うん……」
わたしは顔を半分以上枕に埋めたまま、目だけ上げてローエンを見上げる。
……首輪のチャームに引っかかった胸毛が変な角度で光って白髪に見えた。今は関係ないけど。
そんなどうでもいいことを考えるわたしに、ローエンは言う。
「一度の失敗でへこたれるような見習いに、予定帖の中身を押しつけるわけにはいかない。元はあいつの不始末だ」
「ちょっ……!」
聞き捨てならずにわたしは起き上がる。
けどそんな反射の行動でローエンは怯まない。こいつはただの猫ではなく、わたしより長い時間を生きた使い魔の猫だ。
「お前はそうしてもいいってことさ。無理をするくらいなら取りこぼしていい。魔女に返したいもの、あの小娘にやり直してやりたいこと……そういうのを『次の誰か』に向けると決めて、お前自身の成長を待ってもいいんだ」
ローエンのごもっともすぎる言葉に、わたしは押し黙る。反射的に薙ぎ払っても、無理に飲み込んでも、今は誤りだからだ。
ローエンはそんなわたしに悠然と告げる。
「まあ、本当の意味でへこたれているなら、の話しさ。今のお前は立ち直れないのかい?」
わたしは少しの反発心のお陰で元気になった心で言い返す。
「全然! まだやりたい!」
わたしはまだまだおつかいを続けていく。ラブレターのあの子だって、失恋してもこの先の日々を生きていく。
それがいつか誰かに渡せる何かへの伏線になればいいなと思う。
わたしは魔女の予定帖を取り出す。
そして、
『××県にある◯◯中学の学生に一度だけ縁結びの魔法を使ってください。』
今回こなした予定のページに『消化済み』と記入した。
後日。わたしの家に、ラブレターのあの子からの手紙が届いた。
一枚目の便箋は拝啓から始まって、軽い時候の挨拶のあとにはこう書かれていた。
『さて、あのあとわたしは、何故か先輩と何度も何度も会ってしまいました。避けようとしても避けようとしても、会ってしまったのです。』
……まったく、世の中何がどうなるかわからない。偶然も他者評価も、読めないにもほどがあるのだ。
だってこうも書かれている。
『イヤじゃないか聞いたら、ううんって。あんな真剣に叱られたの久しぶりで、ちょっと嬉しかったって。わたしは恥ずかしいからやめてほしいんですけど、手紙も何度も読んでるって。』
更に文面は続く。
『それで、今度、隣町までデートに行ってきます。』
そう、わたしの恋の手伝いは――成功していたのだ。
手紙の最後はこう締められていた。
『わたしが出会った魔女さんがはる來さんでよかったです。ありがとう。体に気をつけて。敬具』