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第二十七話 『夏の昼の夢』その6

 文化祭の前日、夕方。わたしは途方に暮れていました。

 クラス演劇に使う大道具がたくさん立て掛けてある体育館脇。そこに、わたしは一人きりでした。

 わたしは呆然と荷物を見て、ああ無理だなあと脱力した気持ちで立ち尽くしました。背景の木の板に、模造紙の束に、衣装、舞台の手前に置く木やテーブルのはりぼて。色々置いてあります。

 これ、何往復して持って行けばいいんでしょうか。そもそもわたしの力ではひとつずつでもつらそうなものが混ざっています。

 でも、わたししかいません。

 本来は五人でここに来るはずでした。でも、買い出しの係の人が何人か休んで、一人荷物持ちに取られて、次に衣装が一枚傷ついて一人お針子に取られて……三人でなんとかしようとやってきたのに、わたし以外の二人は制服の着崩しのことで生徒指導の先生に連れて行かれてしまいました。

「わぁ……」

 わたしは座り込んで、静かにいじけはじめました。泣く気にもなりません。

「どうしよう……」

 口に出すけれど、正直に言って、どうする気もありません。教室に戻って人を呼ぼうにも、みんなの溜め息顔が目に見えるようで、気が進みません。

 わたしのせいじゃないです。でも、わたしのせいになるかもしれません。

 何もしないのもつらくなってきて、わたしは手近にあった草むらのはりぼてを五つ、ぎりぎり抱えきれるだけ抱えました。それから、うちのクラスが劇をやるプレイルームを目指して歩き始めます。自分を丁寧に扱う気も失せてきていたので、脚にはりぼての角が当たっても知らん顔をして歩きます。

 すれ違う人全員が忙しそうな渡り廊下を過ぎて、わたしは階段に差し掛かります。

 そのとき、はりぼての一つを取り落としました。

 わたしはしゃがんではみたものの、抱えたままの四つのはりぼてを落とさずにそれを拾う方法がわかりません。どうやって五つも持っていたのかもわからないし、一度全部下ろして持ち上げ直せばいいなんていう簡単な発想も出てこなくなっていました。

 そんなわたしに後ろから声を掛けてくれたのが、先輩でした。

「大丈夫?」

 わたしが振り向くと、先輩は小脇に抱えていた観葉植物を迷わず廊下の隅に置いて、わたしが落としたはりぼてと、わたしが持っているはりぼて三つをさっと自分の腕に収めてしまいました。

「あ……」

 抱えた荷物がひとつだけになったわたしは、お礼か謝罪かお断りか何かを言おうとします。でも、言葉が出てきませんでした。

 急に泣きそうになってしまったのです。

 代わりに、必死に頭を下げます。頭というか、首を下げてただけかもですが。

 そんなわたしを見て、先輩は、きっと泣きそうな顔をしているはずのわたしについては何も言わず、こう言いました。

「どこまで運ぼう?」



「少女漫画だ……」

 魔女さんはちょっと照れたふうに言いました。

「そうなんです。でも、このあともっと素敵なんです」

 わたしはずっと仕舞っていた恋の話に興が乗ってきて、そのあとのことも一気に話します。



 先輩は事情も聞かずに、ただただわたしに付き合って、すべての大道具を運んでくれました。たしか、四往復くらいはしたはずです。その間、先輩はずっと無口でした。

 ちょうど全部運び終えたところで、クラスメイトの女子が三人、プレイルームを覗きに来ました。

「え、なんで一人? てか、えっと……」

 真っ先に疑問を口にした子が、先輩への態度に迷って目を泳がせます。

 すると、先輩は静かに言いました。

「二年生だよ。荷物が多そうだったから、一緒に運んでたんだ」

「え、えぇー……」

 三人とも、プレイルームに設置された大道具を見て、わたしを見て、先輩を見てと、きょどきょどしています。

 と、最初に声を上げた子が、一瞬泣きそうな顔になって、それから唇を引き結んで顔を上げると、睨むような目でわたしに言いました。

「呼びに来てくれたらよかったのに!」

 今ならわかります。同級生でも指折りに責任感の強い子ですから、きっとわたしに負担を集めてしまった自分やクラスが許せなくて、つい責めるような言い方になっちゃったってこと。

 でも、そのときのわたしは余裕がなくて、泣きながら酷い言葉を言い返してもおかしくありませんでした。

 そんなわたしの前を、男子の制服の背中部分が塞ぎました。

「誰かに声をかけるとか、そういうの、いつでも誰でもうまくできるわけじゃない、し。気づかないことも……どっちも、あることだよ」

 先輩の声が背中越しに聞こえます。

 訥々と喋るせいで、聞き取った音声から言葉の意味を飲み込むのに、少し時間がかかりました。

 でも、穏やかで、毅然としていて、誰を傷つける意思もなくて――それが何よりも強いって、そう思いました。



「だからですね、そのときわたし、ちゃんと先輩に言ったんです。格好良かったですって」

「ちゃんと伝えてえらい」

 興奮気味に喋るわたしに、魔女さんはちょうどいい軽さで誉め言葉を掛けてくれました。

 なので、わたしは早めに水を差します。

「文化祭ハイだったんだと思います。……そのあとは、一度も話せていないので」

 うちの中学校は田舎にしてはかなり大きいけれど、各学年のクラスは二つずつです。それなのに話しかけることもできていないのです。

 そして、まだ魔女さんに話せていないやりとりのことも言います。

「先輩の方も……わたしが言った『格好良かった』って言葉のこと、あんまり本当だと思ってくれていなかったみたいなんです」

「どういうこと?」

 空になったジュースのストローをくわえて、魔女さんは首を傾げます。

「なんというか……柳に風? っていうんでしたっけ。お世辞だと思ってるなぁってわかる態度で『ありがとうね』って、それだけで……」

 わたしは熱くなった頬を両手で包んで、そのときの先輩を思い返します。

 ドキドキすると同時に、ちょっとだけモヤモヤします。すてきなのに。格好いいのに。事実なのに。

「ムカついてるな?」

 魔女さんはニヤリと笑って言いました。

「え、あっ、うう……」

 違うと言い返せなくてあうあう言うわたしに、魔女さんは追撃します。

「じゃあ、そういう気持ちごと素直に書いちゃえよ」

「そんな気持ち……って、え、ラブレターにむかついたこと書くんですか⁉︎」

 衝撃で立ち上がったわたしに、魔女さんはすっと親指を立てました。

「好きなだけならその気持ちで便箋を埋め立てたらいい。むかつくだけなら関わらないまま終わるのもアリだろ。でも、違う気持ちもあるなら……両方書いちゃえ」

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