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第二十三話 『夏の昼の夢』その2

 魔女さんと使い魔さんがわたしの前に現れたのは、夏休みの登校日のことでした。

 うちの中学の登校日は、全校集会とちょっとした指導と、あとは少し早めにお昼ご飯を食べて解散する日程です。だからみんなは、午後の予定……例えば遊びとかお出掛けとかのために、スタコラサッサと帰ってしまう日です。

 だけどわたしは、その日、図書室に居残っていました。

 読むためではなく、書くために。

 教室でも家でも書くのは恥ずかしく、図書室の隅でこっそり書いていたそれは、わたしの生まれてはじめてのラブレターです。

 本当は地域の図書館か何かのほうが、知り合いに会う可能性は低くなると思います。でも一番近い図書館は、なんと自習禁止なのです。本当に図書館に置いている本の用件にしか使えません。

 図書室を選んだのは妥協でした。

 でも、そんな妥協がなければ、わたしは魔女さんとは出会いませんでした。

 魔女さんの名前は春日はる來さん。わたしより三つ上の、高校生のお姉さんでした。



 登校日の放課後、わたしは図書室の隅にいました。

 窓の近くだけどギリギリ日陰になる位置に座っています。

 お昼前みたいに土砂降りだったら関係ないけれど、今はカンカン照りというやつで、とてもじゃないけど日向にはいられません。半分開いたカーテンを全部閉めると少し暗くなりすぎる気もして、自分の位置取りの方を調整しました。

 今図書室にいるのは、奥に引っ込んでいる司書の先生とわたしだけ。三時には閉めるから気をつけなさいねと言われたきり、会話もありません。

 わたしは、やっと半分埋まった便箋を前に考え込んでいます。傍には手紙の書き方のマナー本。だって、ラブレターの書き方なんて全然わからないんです。

 正直『拝啓』から書き始めるものではないような気もするけど……でも、わたしの周りの子たちもみんなメッセージアプリくらいしか使わないから、作法をどこまでくずしていいのかもよくわかりません。

 ましてや、相手は三年生の先輩です。

 おつきあいできるとも、思っていません。ただ、先輩のことを好きな子がいるんだって伝えられたら……。

 続きを書くために、わたしは先輩のことを思い浮かべようと、窓の外の青空を見上げます。

「えっ」

 思わず声が出ました。青空だけがあると思った窓のすぐ外には、箒に乗って飛んでいる女の子がいたのです。

 女の子は長くてふわふわした髪でちょっと垂れ目で、明るい色の半袖短パン姿です。町で見かけたら、都会から来たのかな、くらいにしか思わない見た目です。でも、今は箒に乗っているし、頭の上には黒い魔女帽子も乗っていました。

 つまり、女の子は魔女さんです。歴史の教科書に載っていた魔女さんみたいに真っ黒いローブを着ていないので、なんだか不思議な感じです。あ、よく見たら、箒の穂のところには、チャーム付きの首輪をした黒猫さんも乗っていました。

 魔女さんは、呆然と見上げるだけのわたしに向けて、ガラス窓をトントン叩きます。そして、口パクで『あーけーてー』と伝えてきました。

 わたしは慌てて席を立って、窓を開けます。

「ありがと。どうやって入るか考えてなかった」

 魔女さんは小声でわたしに言いながら、ふんわりと図書室に入ってきます。追い風にもゆらかずにゆっくりと着地する様があまりに軽やかで、春の風のようです。

 桜の香りが鼻の中を満たしたときのようなドキドキが胸をくすぐりました。

「どうしたのー?」

 物音を聞きつけたのか、司書の先生が奥からパタパタ出て来る音がします。

 わたしは魔女さんのことを話すべきかと考えましたが、肝心の魔女さんが窓辺にいません。きょろりと視線だけで見回すと、魔女さんは本棚の影に隠れて、口の前に人差し指を立てていました。

「ごめん、匿って」

 魔女さんは囁きくらいの小声で言いました。

「あら、窓開けたの?」

 カウンターまで出てきた司書の先生が言いました。

 わたしはふだん、まじめでおとなしい生徒だと思います。先生方に嘘をついたこともあまりありません。けれど、

「はい。虫が閉じ込められていたので」

 わたしは今日、しれっと嘘をつきました。

 だって、さっき感じたドキドキがずっと胸に居ます。平凡な毎日に、何かすてきな運命が舞い込んできたんだったらいいなって思うんです。

 それこそ、図書室で読んだ物語のような何か。何かが。

「またなのね。新しく入ってくると困るから、逃がし終わったらすぐ閉めてね」

 奥に戻ろうとする司書の先生に言われて、わたしはすぐに窓を閉めました。

 司書の先生を見送って、しばし無言が訪れます。

 ややあって、本棚の影にしゃがんでいた魔女さんは立ち上がりながら言います。司書の先生を気にしているのか、ずっと小声です。

「急に悪いな。この学校に用があったんだけど、先生方に言って入れてもらえるような理由じゃなくって」

「え、いえ……」

 わたしは、ストレートに用事を聞いていいものか迷って視線を迷わせます。ああ、そういえば書きかけの手紙がそのままです。

 魔女さんもわたしの視線を追ったのか、

「手紙かぁ。自分じゃ書く機会ないけど、なんか、いいよね」

 と少しまぶしそうに目を薄くしました。

 わたしはさりげなく手紙を自分の影に隠しながら、こくこくと頷きます。

 すると足元で黙っていた黒猫さんが口を開きます。

「はる來、この子に聞いてみればいいじゃないか」

「しゃっ」

 しゃべった……!?

 わたしは驚いて声を上げそうになって、慌てて自分の口を押さえました。

 すると魔女さんはへらりと気まずそうに笑って言います。

「あ、言ってなかった。わたしは魔女の見習いをやってるはる來。こっちは使い魔のローエン。この通り喋るんすよぉ」

「はい、しゃべるんですねぇ……」

 思わずオウム返ししたわたしに、はる來さんと名乗ってくれた魔女さんは言います。

「この学校で、今度告白しますー的な予定がある生徒を探してるんだけど……いる?」

 その言葉でわたしは、やっぱりこれはすてきな運命なんだと思いました。

 もちろん、思っただけです。そんなの思春期にありふれた“魔法”に掛かっただけの思い込みだと言われてしまうんでしょう。

 でも、わたしだけは、すくなくとも今のわたしだけは、そうだと思ったんです。

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