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第二十話 『さそりはきみを忘れたい』その8

拝啓 夏の暑さに十辛じゅっからがあれば多分それである今日この頃、そちらはもう少しすごしやすいでしょうか。すごしやすいといいなと思います。

 さて、今日は謝罪と告白を同時に投げつけて渋い顔をされる奇祭の日です。今決めました。

 まず、ごめんなさい。あなたが自分の顔形のことを心底嫌っていると知っていて、私はあなたを描くことをやめられませんでした。これからもきっと。なので、お詫びといっては差し出がましいですが、あなたの顔の記憶と記録をきれいに消しておきます。余計だったら怒ってください。絶交されても仕方ないですが、できれば、どれだけ怒ってもいいので、殴る蹴る刺す罵倒する燃やすネチネチ責めるなどの行為だけで済ませてください。

 それと、好きです。多分、いつまでも。

 それでは、今日はここまでにしておきます。もし次に会うことがあって、話してもいいと思ってくれていたら、そちらから声を掛けてくださると嬉しいです。私はあなたの顔を忘れてしまうので。

敬具


  令和xx年x月xx日

  川流さそり



 さそりのアトリエにやってきて四日目の昼。やっと魔法陣のできあがりが見えてくる。今日中には必ず終わるだろう。……長かった。サボりの時間が長かったともいう。

「そうなんだ。こっちの絵も、手で弄るって意味ではもうそろそろ終わりかな」

 さそりはわたしの進捗報告にそう返した。乾かして正式に完成するまで、となると、あと何日もかかるらしい。絵の具の塗り方の問題だとかなんとか。

「魔法陣の上に絵を運び込むのって、明日の昼にはやってもよさそう?」

「朝でもいい」

 さそりが聞いて、わたしが答える。さそりはじゃあ早速といってスマホを取り出す。

「流石に自力で運べる量じゃないからね。業者さんを呼ぶよ。軽く話だけ通してあったんだ。明日無理って言われたら他の業者さん当たることになるけど」

 そこでふと思い出す。そういえばここ数日一緒にいて、アラーム以外でこの人のスマホを見ていなかった気がする。大人って、スマホを意識するかしないか、結構はっきり分かれる。

「あ」

 そこで、さそりが間抜けな声を上げた。

「何?」

「昨日充電するの忘れてたや。画面真っ黒」

 それは意識しなさすぎだろ。

 呆れ顔のローエンと多分同じ顔をしたわたしのそばで、さそりは業者やマネージャーとの連絡を完了させる。充電ケーブル短すぎて斜めになっていたのが、なんだか可笑しかった。


 そしてあっという間に夜。

 わたしが、初日と同じようになんとなく一階に降りていくと、示しあわせたようにさそりも駄菓子を漁っていた。呑田さんが大量にストックしてくれたらしい。

「ありがとうね、魔女さん」

 甘い梅ジャムを塗ったベビーせんべいを齧りながら、さそりは言った。

 ダイニングテーブルで向かい合ったわたしは、使った梅ジャムを持ち替えながら返す。

「まだ早いよ」

 うーん、やっぱりベビーせんべいに塗るならすっぱい方がいいな。美味い。

「いやいや、話も聞いてもらったしね。ずっと人がいるのも新鮮だった」

「そっかぁ」

 さそりの説明に、わたしは相槌を打ってみてから、今まで疑問にも思わなかったことを思い出す。

「誰かと暮らすとかそういうのはないんだな」

「……うん」

 さそりは少し考えてから頷いて、それから、凪いだ顔をして言葉を続けた。

「偶になら楽しいけどね。私は誰かと一緒にいるのは向いてないよ。たとえ彼女が生きていたとしてもね」

「そうか」

 わたしの返事を最後に、わたしたちはほとんど無言の時を共有する。

 聞いておいてなんだが、さそりにはそれが似合っている気がした。もしかしたら大人になったわたしにも、こんな風に一人でやっていく未来があるのかもしれない。

 しばらくしてそれぞれの部屋に戻るときになって、さそりは対価の手紙を寄越す。

 わたしとローエンは、寝る前にそれを大切に一読した。



 翌朝、わたしが目を覚ますと、階下から音がしていた。とっくに起きていたローエン曰く、一時間前には人が来ていたという。

 身支度を済ませ、昨日洗濯してもらった服を含めたささやかな荷物をキャリーバッグに全部詰めて、一階に降りる。そこにはすでに、さそりのマネージャーという三十代後半ほどの男性と、グレーのツナギを着た数名の運搬業者がいた。

 さそりの絵たちは、もうほとんど運び込まれたところだ。

 さそりのマネージャーは来たばかりのようで、わたしと挨拶を交わすやいなやさそりに苦言を提示しだす。

「川流先生。こういうことは先に言ってもらわないと」

「先に言ったら反対すんじゃん」

 さそりは、わたしに対してとも呑田さんに対してとも違う、力の抜けた態度でマネージャーと話している。

「……しないよ、個人としては」

「マネージャーとしては?」

「猛反対です。何を既に他所に渡してる絵やデータの使用権の契約が済んでる絵にも含まれているものを消そうとしてるんですか。今から頭が痛いです! というか、展覧会の準備もありますよね⁉︎ そんな時期に何してくれてんですか!」

「ごめんなさい」

 真剣に怒るマネージャーに、さそりは抑揚の薄い謝罪と共に、綺麗に頭を下げていた。

 そんな光景を眺めている間にも、魔法陣の上には、全部の絵が運び込まれる。

 ローエンは、大量の絵に埋め尽くされながら薄っすら見える線に目線を遣って言う。

「外の円の歪みっぷりを見たときはどうなるかと思ったが、途中からはなかなかきれいに描けてるじゃないか」

「でしょう。さそり師匠のおかげだからな」

 珍しい褒め言葉に、わたしはちょっとだけ胸を張った。もしかしたら美術の成績も少しは上がるかもしれない。画家にコツを教えてもらって、その上こんなに複雑な魔法陣を描き上げたのだから。

「では魔女さん、使い魔さん、私はこれで」

 マネージャーがわたしたちに一声掛けてから出ていく。来たからには立ち会うものかと思ったが、そうでもないらしい。

 当然、運搬を担当していた業者の人たちもお題を受け取ってすぐに撤収して行く。

 わたしは部屋の隅の丁度いいところにキャリーを納めて、帽子を被り、手紙を手にして……やっべ箒玄関じゃん。そこで気づいて玄関まで行き、箒を持ってきて構える。

「本当にいいんだな?」

 わたしはさそりに、締まらないのを誤魔化すようにちょっと格好つけて言った。

「いいよ。ここに運び込まれた絵全部と私の手紙を対価に、彼女の顔の記憶を、すべての人と記録媒体から消してほしい」

 わたしは深呼吸をすると、手紙を魔法陣の中に置いて、陣の外に立ち、箒の柄を魔法陣の内側のスペースに突き立てる。

 これで、対価も、記憶と記録もこの世から消える。もう二度と戻らない。

 ああ、本当に大物依頼だ。

 魔法陣の中から風と光が巻き起こる。願いの規模に応えるように強い風と、強い光だ。

 対価の絵画から、画材が剥がれ落ちるように光の中にとけていく。かと思えば、一緒になって布や紙も浮かんではとけていく。顔も髪も服も、その人のために描かれた背景も、迷って引かれた線も、すべてが消えていく。

 絵に描かれた女性の顔の記憶と記録がこの世から消えていくことも、魔法の行使者であるわたしにはよくわかる。

 自分でもよくわからないまま、目から涙が溢れた。でも溢れた雫は落ちる前に浮かんで、対価と一緒にとけて消える。

 すべての絵が消え、わたしの涙も出なくなって、最後に、手紙が消えた。

 少し時間差があって、光と風が止む。


 そして、誰も何も、人も絵もAIも何もかもが、かえるに例えられた『彼女』の顔を思い出すことはなくなった。

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