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第十八話 『さそりはきみを忘れたい』その6

 翌日、さそりは昨日と同じように、野菜の世話のあとキャンバスの前の椅子に座った。

 まだもうちょっと午前は続く時間帯で、昼ご飯までの時間を使って描き進める気なんだろうなとわたしは思った。

 しかしさそりは「今日はやる気がでない~」とかなんとか言ってから、ずっと背もたれに頭を預けて椅子ごとぐらぐらしている。昨日も集中力切れちゃったとか言ってなかったか?

「倒れるぞ」

 一際ぐらっと傾いたさそりにわたしは言った。魔方陣を描き進めようにも集中できない。

 さそりは苦笑ひとつ零して、落ち着きないままぐらぐらだけやめた。そして傾けなくなった椅子の上でうーうー唸ったあとで、あ、と思いついた声を上げる。

「そういえば、彼女に関する記憶と記録を消してもらう理由、まだ言ってなかった」

「あー……それなんだが……」

 明るいさそりに対し、わたしは思案しながら口を回す。

「複雑な気持ちや事情がありそうなのはわかってきてるから……その、無理して話すことは、ないよ」

 詳しいことがわかっていないなりに、記憶と記録を消すことに納得はあるのだ。無理に口を割らせる必要はない。ただでさえこの後手紙を見てしまうのだし。

 そんなことを考えるわたしに、さそりはふっと優しく微笑む。

「無理はしてないよ。それに、きみはあの魔女の代わりに来てくれたんでしょ? 代わりっていうなら、同じ人にもう一回聞いてもらうのと変わらない……って、言ってもいいのかもしれないよ? てきとうだけど」

「なんだそりゃ」

 さそりなりの冗談が混じっているのであろう言葉に、わたしも笑う。いくらなんでもてきとうすぎる。

「恋バナだと思っててきとうに聞いてよ」

 さそりは笑い声を立てて付け足した。それがどこまで本気かはわからないが、大切な願いであることはわかる。

 だから、わたしは敢えて軽いノリで親指を立てる。

「おっけー」


 さそりはカーテンを開けて、日向ぼっこをしながらローエンのように目を細めて、歌でも口ずさむように話し始めた。

 ちなみにローエンは今日見ていない。あいつも猫だし色々あるんだろう。

 わたし一人で聞かされる話は、少し重めのものから始まった。

「彼女はね、何年か前に自殺してるんだ」

 故人だろうとは思っていたが、まさか自分でとは。わたしは少しだけ魔女を思い出して、でもあれは自殺とは違うかと考えを振り払う。誰かを助けて自分の命と交換するのは、自殺とは違うだろう。

 わたしの顔が曇ったのか、さそりはまるでなんてことないよと言うみたいにゆるく首を振って言う。

「それについては別に恨んでない。あいつが自分で決めたならきっとわけがある。責めたり止めたりは家族がやってたから、私はいい。文句があるわけじゃないんだ」

 別にそんなことは考えていなかったが、わたしはひとまず頷いておく。それくらいのすれ違い、人と人の間では日常茶飯事だ。人と猫の間でもだけど。

「で、そんな彼女は自分の顔かたちというものがあまり好きではなかったんだ。十人に見せたら八人が容姿に恵まれてるって評価するくらいには美人だったんだけど」

「そこは絵の通りなんだな」

 わたしが軽く相槌を打つと、さそりは目を閉じたまま顎を引いた。

「あいつは音楽を……というか歌をやってる人間だったんだけど、その活動だって、多分容姿を引っ提げてった方が知名度は稼げたはずだ。でも、この世に刻むのは歌だけでいいって言って、顔を出さずに歌だけ出してた」

 わたしはジッと座り込んだまま、さそりの話に耳を傾けている。魔法陣を描き進めながら聞くことも考えたけど、今はこの方がいい気がした。

「なのに私はあいつを絵にすることがやめられない。あいつが作った曲や歌声のイメージをイメージのままで絵にすることもあるけど……画集とか見ての通り、抽象画はあんまり描けなくてね」

「ああ」

 確かに。わたしはさそりの画集を思い出す。さそりは自由な作風ではあるが、人物画や写実表現を混ぜたものが多く、逆に抽象画なんかはおまけのように少しだけ載せられていた。

「結局、会ったときに見たものすべてが忘れられないし、絵にしやすいのはそっちなんだよ。……目に映ったものの方が、私の中には残りやすいから」

 さそりは自虐的に笑う。

「それにね……私は『とってもよく描けたお気に入りの絵』を表に出さずにはいられない。そういう身勝手な芸術家だ。魔女さん、かえるとさそりのインタビューは見たんだったよね」

 一瞬触れただけの話題に言及されて、よく覚えてるなあと感心すらしつつ、わたしは頷く。

「見たよ。印象深かった」

「ね、あの話面白いもんね」

 出典不明の物語。『さそりは、自分を背負ったかえるを刺せば沈んでしまう川の真ん中でさえ、目の前の獲物を刺すことをやめられない。そういう生き物だから』と。それだけの、エンタメ性よりも教訓に重きを置いた物語。

 確かに面白い話だ。わたしにはそれほどの抗えない本能なんて睡眠欲くらいしか知らないから、ただ他人事として興味深いだけだけど。

 対してさそりは、実感を以てあの物語を語っているとわかる。わかってくる。

「私はね、彼女の顔を覚えている限りは彼女を描き続けるだろう。こういうモチーフのことを画家の世界ではミューズというんだけど……あいつを、あいつそのままの姿を私のミューズにしてはいけない。いけないんだ」

 さそりは、告解のように言った。

 それから、大きく伸びをして、爽やかに言い放つ。

「もう“かえる”を刺せないように、さそりは一人で川に沈まなくてはいけない。だからこの世の全部から彼女の顔を忘れさせて、私も綺麗さっぱり忘れなければいけないんだ。なんたって――」

 アラサー世代のはずのさそりは、少年のような無邪気な笑顔を浮かべる。

「愛してるからね! 私なりに」

 なんか恥ずかしいこと言われた。

 そこで、わたしはここまでの話しの大半が恋バナ然としていなかったことに気づく。

 これじゃわたしの期待ともさそりの本意とも外れっぱなしだ。

「なるほどね。それで?」

 わたしは敢えて疑問を一言で表した。

「え……今ので終わり! ……って流れじゃなかった?」

 さそりが困惑している。それもそうだ。

 だからわたしはもっと質問をわかりやすくする。

「恋バナだぞ。どこが好きなのか教えろー」

 わざとらしくチョークを持ったままの手を振り上げたわたしに、さそりは今日初めて可笑しそうに笑った。

 ひと笑い頂いたところで、わたしはクラスの陽キャのみんなのノリを真似て話を更に掘る。

「ていうかいつ好きになったのぉ? リアルで会って一目惚れとかぁ?」

 彼女たちのような他意のなさまでは真似られないけど、せめて表面だけでも軽い方がいいだろう。……というわたしなりの気遣いだったが、

「はははっ、いやっ、何、それっ!」

 何故かさそりのツボに入ってしまって暫く笑われてしまった。

 けどそれはそれとして、質問には答えてくれる。

「好きなところは……存在? で、好きになったのはいつだろ……多分だけど、歌と文章しか知らない頃から好きだったと思う」

「ほほう、熱烈ですな」

 わたしがてきとうにコメントすると、さそりはまたひと笑いする。

「まあ、まあ、ね。だから別に彼女の顔かたちの記憶が消えても、本来問題ないんだよ、私には」

 さそりはそう言ってすっと立ち上がると、カーテンを閉め直す。そういえば昼も近づいてきて、ちょっと熱くなってきていたところだった。

 話題が恋バナから依頼に戻ったついでか、さそりは言う。

「それに……彼女は意外とリア友たちに対しては気が小さかったらしい。一緒に撮った写真が何枚かネットに上がってる。断れなかったんだってさ。そっちもついでに消してあげたいな」

 カーテンに寄りかかったさそりの複雑な表情を見て、わたしははたと昨日のことを思い出す。

「あ、わたしの顔スタンプ隠し忘れ事件のときに複雑そうだったのってそういう?」

 全然事件じゃないのに事件扱いするという地味なジョーク(地味すぎる)を交えてわたしが聞くと、さそりは苦笑する。

「まあ、ちょっと重なっちゃって。ごめんね」

「いーよ別に」

 わたしは本当に気にしていなくて、ぼへぇーっと答える。

 でも、魔女として――依頼の実行者として確認しなければならない事項を思い出す。

「その人が家族が持ってるアルバムの写真とかは除外しなくていいの? まだ魔法の条件を描き加えることはできるが」

 わたしは自分の下、遅々として描き進められていない魔方陣をチョークで指す。まだまだ細かい条件の調整部分は描いてないし、魔法を実行するときの力の使い方で調整する部分もあるから、大枠以外は結構自由がきく。

 けど、さそりは首を振る。

「ああ……それは考えたんですけどね、どうやら彼女の弟にはスポーツの才能があったみたいで。選手の家族写真とかそういうのがどっかしらに出かねないんだ」

 才能きょうだいだ。羨まし……くはないか。でもあるところにはあるんだなぁという感じはある。才能の鉱脈みたいなもの。

 感心しているわたしを前に、さそりは家族写真の扱いについてサッパリとした口調で言う。

「彼女自身も二度と見たくないと渋い顔してましたし、消しちゃいましょう」

 大雑把な。

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