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第十七話 『さそりはきみを忘れたい』その5

「……やっぱAI学習も消すコスト結構嵩む?」

 さそりがひどく苦そうに苦笑しながら言う。無関係なところで勝手に増殖する顔の情報……確かに気が遠くなる。でも、

「お前が思うよりは嵩んでいるが、それは物量によるものだよ。ひとつひとつは微かだ」

 そう、わたしが掴みきれない程度に微かなものであるのも確かなのだ。だから、多分足りる……はず。

「失敗のリスク覚悟で、今の対価だけでゴリ押しすることもできる」

「それは……」

 ローエンが口にした乱暴な案を聞いて、これまでほんわか保っていたさそりが初めて本気で息を呑む。顔が整っているせいか、表情が消えると若干怖く見えた。

「それじゃ困るのはわかるさ。かといって対価の絵を増やそうにも、描いている間にもAIは似姿を増殖させていくだろう」

 ローエンは淡々と説明を続ける。生成AIって便利そうだけど、今回みたいなときはかなり困るんだな。特殊なシチュエーションではあるけど。

 静かに答えを待つわたしとさそりの前で、ローエンはいつもよりもっと聞き取りやすい声で続ける。

「だから、追加の対価として、想いの重さを掛け合わせる手法を使う。掛け合わせを使えば、対価は充分に足りる」

 充分に足りる、という部分を聞いて、張りつめ始めていたさそりの空気が一気に緩む。

「……そう。……………………あ、えっとぉ……それで、掛け合わせって何したらいい?」

 さそりは安堵のあまり途中で会話を止めそうになって、でも気づいて言葉を続けた。

 わたしも、こういうときどうするのか知らない。

 ローエンは、勿体ぶるでもなく告げる。

「絵とは別の媒体に、同じものへの感情を写し取る。それだけでいい」

「別の媒体? それはそれで時間かかりそうだが……」

 わたしが思わず口を挟むと、ローエンは前足でそれを制して言う。

「大丈夫、手紙か何かでいい。ようは掛け算だからね、1より少しでも大きければ充分さ」

 なるほど。絵より時間が掛からなそうだし、魔法を使う側のわたしからしても直感的に掛け算を意識しやすい。

 問題は、手紙を書くという行為がさそりにとってどれだけの負担かということ。それから、もう一つの懸念もある。

「手紙……」

 さそりは口元に手をやって、少し躊躇ったように繰り返した。

 わたしはさそりが無理してOKを言ってしまう前に、もう一つの懸念も伝える。

「書いてもらった手紙は、悪いけどわたしとローエンが見ることになる。書かれた内容が重要な分、どうしても」

 ローエンは、金色の目でただまっすぐさそりを見ている。

 ややあって、さそりは一つ深呼吸をして、また穏やかに微笑んだ。

「いや、いい。やるよ」



 対価が決まって、わたしは早速今回必要な魔法を準備することにする。

 今回の大規模な魔法に欠かせないもの――そう、複雑で大きな魔方陣だ。

 わたしの経験不足もあって、今回の魔方陣の記述には数日を要する。そのため、屋外に描くことはできない。雨風で消えるからだ。

 だけど、魔方陣が小さいと魔法も不完全になるかもしれないし、何より複雑なその文様の全てを書き入れることすらできない可能性も出てくる。ただでさえ美術の成績で一番いいのを取れたことがないのだ。

 ということで、わたしはこの家の中で一番大きな部屋、つまりアトリエ部屋全体を使って魔方陣を描くことになった。

「別にいいけど……私がアトリエで描くときはどこにいればいい?」

 戸惑いながらも許可をくれたさそりに、わたしはその魔方陣の図案見本を見せる。魔女んちの資料をコピーしてきたやつ。

 魔方陣は基本的には手描きじゃないと発動しないから、コピーし放題、出版し放題なのだ。開発者が権利を主張している新しい魔法なんかだと難しいらしいから、本当の『放題』ではないけど。

「この図案で、真ん中は割とスカスカだし、外側から埋めてくから……その、前とか横とか後ろとかをわたしがうろちょろしてても平気なら、真ん中にいてくれればいい」

 無理だと言われたらどうしようと思いながらわたしが言うと、さそりは至極当たり前のように「ふぅん」と飲み込む。

「いいよいいよ。解放感が必要なときは外で描くし。アトリエで描くときの位置に困らなきゃ私は何でもいい」

 さそりが鷹揚だったお陰もあって、わたしは無事、アトリエに魔方陣を描き始めることになった。

 部屋の真ん中にさそり、その周りにわたしだ。完全に無言でいるのも却って集中に入りづらい。

 わたしは、一番外枠になる円をチョークで描きながらさそりに聞く。

「その人、どんな人だったんだ?」

 顔を消してほしい女性の絵を描いているさそりは、鉛筆を走らせながら笑う。

「無茶苦茶な女だったよ。夕陽が綺麗だからとか言って急に電柱に登るし、アコースティックギター一本で路上ライブしてる人に急に駆け寄ってったと思ったらキャリーバッグ殴打とコーラスで飛び入り参加するし、ドリンクバーでドリンク三種類以上混ぜてないとこ見たことないし」

「おぉ……?」

 わたしは思わず描かれている途中の女性を見る。大人しそうな顔してエキセントリックだ。

「愉快な人だな。……友達だったの?」

 聞いちゃいけない雰囲気だったらすぐに引こうと思いながら聞くと、さそりは若干悩みながら返してくれる。

「あー……うん、『ともだち』……くらいなら言ってもいいのかな。人と人との関係ってよくわかんないや。『知り合い』だったかも」

「なんだそりゃ」

 わたしが地雷じゃなかった安堵感と共に雑に突っ込むと、さそりは照れているような本気で困っているようなよくわからない笑みを口元に浮かべながら返す。

 「元はさ、ネットのとも……だち? だったんだ。私はあいつの歌が好きだったし、あいつは私の絵が好きだった。でも、お互いのSNSはフォローしていたけど、コメントとか会話みたいな機能はほとんど使ってなかったから……うーん、友達、だったのかな」

「でも会ってたんだろ。さっきの話し聞く限り」

 わたしが突っ込むと、さそりはそれを認めつつ、他の情報も付け加える。

「って言っても、当時はお互い顔出しなしで活動してたのもあって、会うまでが長かったし……」

 顔出しなし。その言葉で、わたしの顔を隠し忘れられていたときのさそりの反応を思い出す。でも、話しの腰を折りそうなので一旦黙って続きを聞く。

「会ったのも四……いや五回くらいだっけ? 遠かったからあんま会ってないんだよね」

 片手で数える程度か。確かにそれなら、大人になればなるほど友達と呼ぶのは躊躇うのかもしれない。わたしは成人したことはないが、物語やらエッセイやらSNSや配信での発言やらを聞く限り、そういうものらしいし。

 でも、気になることはいくつもあった。

「ドリンクバーは?」

「それはドリンクバーを見つける度に自信作のドリンクをSNSに上げてたから」

「他の奇行は?」

「あはは奇行、うん、それはその四、五回の中で見たよ」

「濃いな……」

 そんな会話の間も、お互いに描くものは描き進めていた。

 さそりは迷いなく線を増やしていて、わたしは早速バランスがひん曲がっている。やはりプロ、さそりはすごい。わたしが下手なわけじゃない……といいな!

「あ、そういえばあんたのインタビュー動画見たよ」

 曲がりすぎた線を手で擦って消しながらわたしが言うと、さそりはこっちを見て言う。

「どれだろう?」

「ああ、あの『さそりとかえる』の……」

 わたしが答えている途中で、さそりのスマホのアラームが鳴る。休憩の合図だ。

 さそりは過集中という状態を起こして具合が悪くなることがあるらしく、アラームはほどほどに頻繁に鳴らしていると言っていた。

「ん、もう十二時だ」

 アラームを止めたさそりが時間に気付いたので、わたしたちは会話も作業も中断して放り投げた。


 そして、わたしたちはお昼ご飯を食べて、寝こけたローエンを放置して買い物も済ませ、おやつどきにはすっぱい梅ジャムを甘くしようと奮闘する。

「なんか集中力切れちゃったー」

 とはさそりの弁だ。そんなことでいいのか? ……いや、芸術家だからこそ、そういうものなのかもしれない。

 わたしはさそりに付き合ってもといちょっと楽しくなってきて、梅ジャムに水あめを混ぜてみたり、砂糖と煮てみたりする実験に参加する。

 途中で魔方陣に戻ろうとは思ってた。思ってたよ。……なんか陽が沈んできたけど。夕飯の支度なんかもそろそろやり始めだし、今日こそ手伝うけど。

「………………」

 今日一日を何度か振り返ってみたが、午後のほとんどの時間、わたしは魔方陣を描いていなかった。

 だから、

「お前……」

 ローエンの呆れた視線に刺されながら、夕飯後のわたしは魔方陣の進捗を取り戻そうと奮闘することになる。

 風呂に入ったあとで床に這いつくばるまでにいかない分、集中して。

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