わたしはその絵に目を奪われながら、さそりに聞く。
「描いてるのに、消すのか?」
当然の疑問だ。依頼で消したいと言われている『記憶』と『記録媒体』、この二つにまたがる形で、絵画も対象に含まれる。描いておいて消すのは面倒すぎるマッチポンプになる。
怨恨のセンもちらっと頭に浮かんだが……パッと一枚見せられただけでも、この絵はこの人を憎んで描かれたものではない気がする。
聞きながら考えるわたしに、さそりは穏やかに微笑んだまま返す。
「うん。そうだよ。理由はまあ……どうせ追い追い話すことになるし、またでいいかな?」
「ああ、うん、それは構わないけど」
本当に構わないのでそう言った。依頼を受けるかどうかの段階ならきちんと聞かなきゃいけないが、実行するだけのわたしが聞くのは単に納得のためだし。
……納得って大事だから、こう、お店の人に言われる『差し支えない範囲で構わないのですが』みたいなやつ程度には聞きたいけど。
さそりはほっとしたようににこりと笑って、わたしの肩をぽんと叩く。
「大丈夫、照れくさいから後回しにしたいだけだよ。秘密とかじゃない」
横からローエンも言う。
「そうだよ、私と魔女にはさらっと話したしね」
「む」
確かにローエンは知ってたか。だけど、この場でわたしだけ知らないとなるとちょっと心境が違ってくる。
まあ、いいんだけどさ。
紹介が終わったところで、わたしたちは早速鑑定……とはいかなかった。
「時間が中途半端だねえ。今日はもうやめよう」
一番鑑定に詳しいローエンがそう言ったからだ。
わたしにもさそりにも、別段反対する理由や根拠はない。
それで、今日のところは早めに晩飯を食べて風呂に入って、自由に好きな時間に寝るだけになった。ホントに何もしてないから無駄に一泊増えてる感はあるが、まあよしとしよう。
ちなみに晩飯のメニューは市販のルウで作られたごく普通のカレーと付け合わせのサラダだ。
「一人のときに作ると何日もカレー食べることになって胃がやられるからね」
とはさそりの弁。飽きるのはわかるけど胃? と思っていたら「年取るとわかるかもしれない」と補足が飛んできた。油物があまり食べられなくなるのはよく聞くけど、カレーで胃までやられるのはなんかやだな。
わたしたちは台所の、ダイニングと呼べるほどの広さはない空間に置かれた椅子とテーブルで食事をとった。
食事の時間を共にして思ったけど、さそりは本当にインタビューで見たのとあまり変わらない印象の人間だ。ちょっと浮世離れしていて中性的に見えるだけの、ごく普通の……まあ、強いていえば話しやすい人、か。
それから、だらだらと人といたがるタイプじゃないみたいだ。わたしもそうだから助かる。
風呂について教えられた後は完全に別行動で、わたしは一人、ローエンが寛いでいる部屋に戻ってスマホを手に取る。寝るにはまだ早いし、他に娯楽に使えるものは持ってきていないからだ。
「って言っても見たいものも別にないんだよな」
わたしはスマホを前に一人ごちる。
配信で見ている番組も新しい動画は追加されてないし、動画サイトでも強いて見たいと思えるものはない。短い動画を無駄にスワイプしてもなんか面白くない。面白く感じないときのコレは精神と時間をすりおろすだけだから、あんまりやりたくない。
わたしはなんとなく動画サイトの検索画面を立ち上げて、川流さそりの画集タイトルを入力する。『わたしはさそり』っと。
「お」
すごい。絵画の世界の知名度のことはよくわからないが、『わたしは』まで打った時点でサジェストの三番目くらいに画集のタイトルが出てきた。一緒に出てきた検索候補には『考察』とか『解説』とかが含まれる。なんか『ガチ恋』とかもあるな…………容姿か?
わたしは一緒に出てきた単語を無視して、純粋にタイトルだけで検索を掛ける。が、それでも公式PVの真下に出てきたのは個人の動画投稿者による考察動画だ。
わたしは公式PVが十五秒しかないことを見て、まあいいかと考察動画を開く。
動画の中では男性が、挨拶→表題→自分の宣伝→軽い解説→考察の順で話を進めている。解説の段、色についての豆知識やモデルになった場所については興味深い。ただ、考察ともなると、どうにもこじつけ臭が強く感じた。わたしがさそり本人と会って話したからだろうか、戦争や飢饉に対するメッセージを絵に込められているようには思えない。
わたしは動画を閉じる。他人越しのさそりを見ても仕方がない。暇つぶしとしての楽しさも感じない以上、視聴の続行は無意味だろう。
それに、動画視聴途中で思い出したけど、わたしはまだ『わたしはさそり』を見ていない。予算オーバーだったからだ。
折角本人のところにいるのだし、見本誌かなんかで持ってたら見せてもらおう。
わたしは、こちらに構わずにいるローエンを放置して部屋を出る。そして、さそりの部屋から人の気配がしないことを確かめてから一階に降りていった。
わたしが一階に降りると、丁度台所から明かりが漏れていた。
とんとん普通に足音立ててわたしが入口を覗くと、冷蔵庫横に掛けてあるビニール袋を漁っていたさそりが、すぐに振り返る。
「あ、魔女さんも小腹すいた?」
「あー、そうかも」
先手を取られたわたしは答える。確かに、意識していなかったけど小腹は空いていた。
今は十一時。晩御飯が少し早めに六時台だったし、夜食を食べても許されそうなタイミングだ。
「あと画集貸してほしいんだけど、いい?」
わたしは台所に入りながらさそりに聞く。
「私の?」
やや天然なのか、さそりは言うまでもなさそうなことまで確認してきた。それとも、人に貸してと頼まれるくらいの画集のコレクションがあるんだろうか。
「そう、『わたしはさそり』まだ見れてないんだ」
わたしが正直に言うと、さそりは「ああ結構高いもんね」と了承してくれて、ついでにごそごそやってたお菓子をわたしにもくれる。
「画集はあとで貸すからさ、ローエンさんに黙って二人でお菓子食べちゃお」
渡されたのは、カツを模した一個十円くらいの駄菓子いくつかと、手のひら大のベビーせんべい数枚入りと、小分けにされた駄菓子の梅ジャムがいくつか。さそりもおなじくらい手に取って、台所の椅子とテーブルにつく。
「すっぱ!」
しばらくは黙々と駄菓子を食べていたが、突然さそりが声を上げた。
「え、何……?」
わたしも気になって、まだ手をつけていなかった梅ジャムを口に運ぶ。普通の梅ジャムだ。すっぱいけど、びっくりするほどではない。
さそりは梅ジャムをベビーせんべいに塗りながら言う。
「甘いほうの梅ジャム買ったつもりだったから……」
露骨にがっかりしていた。
「ふうん……」
わたしもさそりに倣ってベビーせんべいに梅ジャムをつけて食べてみる。普通に美味い。というかベビーせんべいに塗るならすっぱい方がいいかも。
視線に気づいたのか、さそりはゆるりと首を振る。
「ああ、別にすっぱいの嫌いとかじゃないよ。美味しい。でも甘い方舐めたかったのに……」
さそりは小学生みたいなしょぼくれ方をしながら駄菓子をバリバリ食べ進める。しょぼくれている割にはめちゃ食べてる。
子供っぽくて面白い人。そんな印象が、わたしの中で付け加えられた。
そんな人物評価は、すぐにもう一つ足されることになる。
部屋に戻って見た『わたしはさそり』によってだ。