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第十四話 『さそりはきみを忘れたい』その2

 閑散とした街を過ぎて住宅街も過ぎて、田園が増えたところも少しだけ越えて、郊外よりやや外れた丘の上。

 そこに、川流さそりのアトリエはあった。

 白い壁に赤っぽい茶色の屋根で、近くに建物はなく、背の高い木も別に密集していない。まさに絵に描いたような感じのアトリエだ。

 急にキツくなりだした日差しを存分に反射する壁に目を細めながら、わたしはアトリエ前に到着する。広い庭……のような空間はあるけど、門も柵もないから、わたしは茶色いドアの前までそのまま飛んで行く。

 そして、インターフォンを押した。しかし、誰も出てこない。

「留守?」

 わたしは首を捻る。器用にわたしの肩に乗ったローエンも不可解そうだ。

「来る時間は伝えたんだろう?」

「うん。メールでやりとりしたとき、ちゃんと伝えてある」

 だいたいだけど、時間は伝えてあるのだ。スマホを見ても、午後四時前くらいで、だいたい予定していたくらいの時間。トイレかなあ。

 わたしがもう一度インターフォンを押してみたところで、アトリエの主人が姿を現した。

「こんにちはぁ。ごめんね、まだ時間あると思って裏で水やりしてた」

 ドアからではなく、アトリエの脇から。麦わら帽子を被った姿で。

 さっき正面からアトリエを見たときに姿が見えなかったことからすると、どうやら建物の裏で何か植物を育てているみたいだ。

「ああ、いや。いたならよかった。あんたが川流さそりだな」

「うん、そうだよ。魔女さんは見ない間に若返ったね」

 さそりはメールのやり取りで事情を知った上で、よくわからない冗句を口にする。

 実物の川流さそりは、わたしが見たインタビューの映像と比べると、少しだけ歳を取って、少しだけ日焼けしていた。



 わたしとローエンは、早速さそりに部屋の中を案内された。

 わたしは建物そのものをアトリエと称していたけど、実際にアトリエとして使っているのは一階にある一番大きな部屋だけみたいだ。

 あとは、一階にキッチンとお風呂とトイレがあって、二階にはさそりが住んでいる部屋と物置部屋と、それからじわじわ物置部屋になっていく可能性もあるという空き部屋があった。

「魔女さんは空き部屋に泊まってもらうよ。今はまだベッドも置いてて、来客用の部屋にしてるから」

「わかった」

 わたしは階段を上がってすぐのところにある空き部屋に通されて、キャリーバッグと箒をそこに置かせてもらう。箒は玄関に置くか迷ったが、どうせ魔法に使うのでもう持ち込んでおくことにした。

「あ、ローエンさんの寝床がないな。クッションかなんか要るかい?」

 冗談なのか本気なのかさそりが言って、ローエンは軽く流す。

「構わなくていいよ。私は床でも外でも好きなところで寝るさ」

「そうかい」

 さそりもあっさり納得してみせた。

 一通りルームツアー(たぶんちがう)が済んで、わたしたちは物置部屋に移動する。やるべきことがあるからだ。

「対価が足りているか、鑑定させてもらうよ」

 先陣を切ったローエンが言った。

 さそりが小さくドアを開けたその部屋はぶ厚いカーテンで陽が遮られており、少しだけ埃っぽい。

 わたしとローエンは無事だったが、さそりは電気のスイッチを押しながら派手に噎せている。大丈夫かよ、おい。

「っ……っほ、ごめんね埃っぽくて。一応定期的に掃除したり空気を入れ替えたりはしてる……っていうか、お手伝いの方を呼んでやってもらったりしてるんだけど。なんせ余った布もそのまま詰んでるから……」

 電気に照らされた部屋の隅には、さそりの言う通りリネンだか麻だかのような布がアバウトに畳まれた状態で積み上げられている。

 そして、それ以外のところは、わたしたちが対価として消費するもの――絵画で埋まっていた。

 といっても、絵は剥き出しではない。どれも布に包まれて立て掛けられていたり、広げたイーゼルの上に置かれたまま布を掛けられたりしている。さらによく見ると、隅に積まれたファイルの中身も絵のようだ。

「全部、絵……か……」

 わたしは圧倒されて呟く。だって、この部屋、学校の教室の半分くらいはある。

 いくら広げたイーゼルの上に置かれたままのものが紛れているといっても、絵画同士で立て掛けられている辺りは最大限コンパクトにまとめられているだろう。なのに、部屋はほとんど満杯なのだ。

「全部絵だけど、習作とか、途中で飽きてやめちゃった絵もあるよ」

 さそりは面映ゆそうに肩をすくめる。

「相変わらず保管の仕方がなってないねぇ」

 ローエンに言われて、さそりは笑顔に気まずそうな色を入れる。

「うーん……メンボクナイ……マネージャーにもめちゃくちゃ怒られるよ」

 だけど直後に、あ、でも、と声を明るくする。

「ここに置いてある絵は全部対価に使ってもらうものだから、そんなに長く持つように保管しなくても大丈夫だよ!」

「乱雑に扱われたせいで傷ついてたら対価としての価値も下がるよ」

 ローエンは辛辣に言った。

「あう~……」

 さそりは冗談めかして落ち込んでみせる。

 わたしは絵画の正しい保管方法もわからなければ、対価の価値がどのような条件で上下するのかもあまりよくわからないので、鑑定の話に戻す。

「とりあえず、わたしとローエンで絵の鑑定をさせてもらう……けど、今からやってたら夜が明けない? これ」

 だってめっちゃ多いし。数えるだけでも小一時間掛かるんじゃないか?

「午前からやっても一日がかりだろうね」

「え、そんなにかかるんだ」

 わたしとローエンの見通しに、さそりは意外そうに目を丸くする。

「手分けしてもそんなにかかる?」

 さそりの疑問に、ローエンが返す。

「手分けできないから、もっと掛かるかもしれないね。残念ながらはる來一人の鑑定ではまだ少し間違いが出るかもしれないから」

「めんぼくない」

 自分で説明しそびれたわたしは、だらしない笑みを口元に浮かべて付け加えた。こういうところ、見習いは困ったもんだよな!

 すると、さそりは手をひらひら振って笑う。

「ああ、気にしないで。お手数おかけしちゃうなぁって思っただけだから」

 わたしは、今度はローエンに言われる前にさそりに言う。

「事前にも言ってあるが、魔方陣も複雑で時間がかかるものを使う見通しだし、それなりに長く泊まる。世話になる分、家事も多少は手伝うつもりだ。よろしく」

 本音を言うと家事とかはあんまりしたくなかった。だって魔方陣の設計図持ってきたけどアホみたいに複雑だったし、あれに神経割きながら他のお手伝いとか、絶対キツい。

 そもそも元々わたしは生活がだらしない方なのだ。最近は魔女の名代だからって神経張ってること多いけど。

 だけどこの間田舎の通夜にお邪魔したときに貰って来た野菜は美味しすぎて全部食べちゃったし、手土産は予算オーバーだったし、これくらい申し出るしか手がないのだ。

「あはは、高校生がそんなこと気にしない。それに、家事のめんどくさいとこは代行さん呼ぶから平気だよ。魔女さんは魔法にだけ集中してよ」

 さそりはわたしを見透かしたように笑って言った。

 そして自然に続ける。

「そんなことより、鑑定の前に魔女さんに紹介しなきゃ。ローエンさんはもう見たことあるよね」

 紹介?

 話が掴めない。様子からすると、わたしを気遣って無理やり話題を変えたわけではなさそうだが。なんだろう。

 わたしが疑問に思うそばから、さそりは一番手前のイーゼルに掛かっていた布をぱっと取り払う。

「こちら、私の愛する人にして、すべての人と記録媒体から顔を消してほしい人物です」

 さそりの細い指が愛おしそうに指し示したのは、絵画の中で憂いを帯びて微笑む、髪の長い女性だった。

 さそりは両手を広げてみせながら、笑う。

「この部屋にある対価も、すべて彼女を描いたものだよ」

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