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第十三話 『さそりはきみを忘れたい』その1

『ある人の顔の記憶を、すべての人と記録媒体から消してほしいって言われた。』

 魔女の予定帖に書かれていたその依頼は、比較的新しい字で書かれていた。

「お、大物すぎないか……?」

 わたしはその願いの規模に慄く。

「ていうか対価足りんのかぁ?」

 後から疑問までわいてきた。が、足元を歩いていた真っ黒い毛玉こと使い魔の猫ローエンが、珍しく予定について教えてくれる。

 つまり、予定を決めたときはローエンも一緒にいたということだろう。

「ああ、その依頼か。安心おし、はる來。確か対価の話もつけてあったはずだよ。そろそろ用意もできているんじゃないかねぇ」

「へえ。でもこんなすごい願いの対価が用意できるなんて……どんな人の依頼よ?」

 わたしが魔女の隠れ家の机に寄りかかったまま聞くと、ローエンは少し目を細めてから、静かに言う。

「少し、調べてみるといい。『川流かわながれさそり』で検索すれば、インターネットでもすんなり出てくるはずだ」

 わたしは、言われるままにスマホに『かわながれさそり』と入れて調べる。

「…………………………大物すぎないか?」

 最初と全く同じ感想が出てきた。でも、意味合いが違う。

「画家じゃん」

 魔女見習いを始めて三つ目の仕事は、大物からの大物依頼――著名な画家からの大規模な依頼だった。


     *     *     *


 みんなは、サソリとカエルの寓話を知っているだろうか。

 私も専門家じゃないから、どこ発祥かとかそういう詳しい話は知らないんだけどね。確かインドだったかな?

 ともかく、内容はこうだ。

 あるところに川を渡りたいサソリがいた。そいつは出会ったカエルに頼む。

「どうか私を向こう岸まで運んでくれないか」

 カエルは渋る。

「そうは言ってもお前はサソリ、刺すだろう」

 サソリも引かない。さらに理屈で食い下がる。

「川を渡っている途中でお前さんを刺してしまったら、私まで溺れる。そんな状況でお前さんを刺すなんて愚かな真似をするはずがないじゃないか」

 カエルはそれを聞いて、「たしかにそうだ」と納得し、サソリの川渡りを手伝ってやることにする。

 優しいよね。わざわざサソリを背負って川を渡ってやるんだよ。

 しかし、川を渡っている途中でサソリはカエルを刺してしまう。

 まったく道理に適わない行動だ。

「何故……?」

 死にゆく最中、疑問を投げたカエルに、共に溺れゆくサソリは言う。

「私はサソリだから。サソリである限り、刺すことはやめられなかった」

 こういう話。

 たとえ自分が命を落とすかもしれないときであっても、本質は変えられないってことだね。

 私もそう思う。どれだけ愚かな選択でも、どれだけ道理に適わなくても、変えられない本質というのはある。そういうのがない人もいるかもしれないけど、少なくとも私にはある。

 私はきっと、何があっても絵筆を取ることをやめられない。描いてはいけなくても描いてしまう。

 だから私は『川流さそり』って名乗ってるんだよ。

 せっかくだから誰かwikiも訂正しておいてよ。なんか全然違う名前の由来書いてあるんだよね。銀河鉄道の夜は嫌いじゃないけどさ。


 ――――と、会場にひと笑い起きたところで、公開インタビューの切り抜き動画は終わった。

 わたしは、これから会う人物の顔をまじまじ見る。

 川流さそりという人物は、中性的という言葉がよく似合う、浮世離れした雰囲気の女性だった。

「はる來、そろそろ乗り換えじゃないかい」

「そうだった」

 膝に座っているローエンに気づかされて、わたしはいつでも立ち上がれるようにウィッチハットをかぶり直して、箒の柄とキャリーバッグの取手をぐっと握る。

 ローエンも、いつでも歩き出せるように畳んでいた前足を体の前に出した。

 それを見とがめたのは、わたしの真横の通路に現れた幼児だ。次の駅で降りるのだろう、荷物を抱えた母親に手を引かれている。

「ねこちゃん、ねこちゃん、でんしゃいいの?」

 子供らしい疑問。母親の方は「すみません」と苦笑している。いいってことよ。

「使い魔は特別なんだよ」

 わたしが目線を合わせて答えると、幼児は目をキラキラと輝かせて食いついてくる。

「みーちゃんものれる!?」

 みーちゃん、というのは幼児の身近な猫のことだろうか。使い魔? ……ではないか。

「たっくん、みーちゃんは乗れないよ。ほら、おねえちゃんにバイバイして」

 母親は困り顔で強引に話を切り上げさせて、わたしに会釈して通路を進む。

「おねえちゃんバイバイ」

 幼児がわたしに小さい手を振って、母親に連れられて電車を降りて行く。なんというか、和むよね。

 わたしはひらひらと手を振って幼児を見送り、それから

「はる來、お前も降りる駅だよ」

 すぐにローエンに現実に戻されて慌てて電車を降りた。わたしも降りる駅!


 わたしは今、川流さそりのアトリエに向かって移動中だ。時刻は午後三時。天気が曇りじゃなかったらちょっとつらいところだった。

 今回は今までと違って、事前に依頼人とコンタクトが取れたので、泊まり込みの予定までしっかり立てている。だから、着替えがたっぷり入れられるキャリーバッグの出番だったというわけだ。

 一週間ほど外泊するかもしれない、と伝えたときは母親が卒倒しかけていたが、同性の著名な画家の家に泊めてもらうと伝えたところ、ギリギリのところで耐えていた。

 どうでもいいけど、母親のこういうところも腹立つ要素の一つだとわたしは思う。わたしの名前やわたしの気持ちのことは割と雑に扱って平気な癖に、自分の精神が衝撃を受けるときばかり繊細なのだ、あの人は。……そんな人なんて、どこにでもゴロゴロいるのだろうけど。

 さて、わたしはその後二本の電車を乗り換えて、最寄りからは箒で行く。最寄りと言っても車で十分ほどの距離だと聞かされていたので、それなりに時間を食う。

 箒の運転もそれなりに慣れてきたが、キャリーバッグを柄に引っかけて高く飛ぶのは流石に怖い距離だ。

 わたしは大人しく道の上をすいすい進んで行く。もちろん、広い歩道の上を飛ぶときは徐行。車道の上を飛ぶときは左側通行で、自転車専用レーンがあればそこを飛ぶ。前は知らなかったけど、道の上を箒で飛ぶ魔女は、基本的に自転車を漕ぐ人と同程度の扱いみたいなのだ。

「ふふんふふんふふんふふんふふ〜」

 コンビニやホームセンターなど建物は結構あるはずなのになんとなく閑散とした街並みだ。人も少ない。

 わたしは鼻歌混じりに画家の家を目指す。今回はかなりしっかりした魔法陣を描き上げなければいけないけど、行く前から緊張してたら持たない。


 それにしても。

 川流さそりは、どうしてその人の顔を消してしまいたいんだろう。

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